せっかく大阪に住んでいるのなら文楽に親しみたい
2022.07.17
プライベートなお話
御堂筋税理士法人の小笠原です。久しぶりにブログを書いてみます。
昨日、国立文楽劇場に行った。題目は『心中天の網島』。この作品は、江戸時代の一七二〇年、大坂の中心を流れる大川(淀川支流)の天満橋の少し上、網島で起きた心中事件を取り上げ、それを文豪、近松門左衛門が、紙屋治兵衛と北新地の遊女小春との物語に翻案したもので、近松の最高傑作と世上、評価されているものだ。
物語は、治兵衛と小春の心中を留めようと侍に変装した治兵衛の兄、孫右衛門が小春を訪れる、上の巻は河庄の段に始まる。ここに小春に会いに来た治兵衛が現われ、小春が孫右衛門に心中する気がないと漏らしたことに激高した治兵衛が愛想尽かしをする、実はこれ、治兵衛の妻、おさんから手紙をもらった小春が、おさんへの義理立てから心にもないことを言ったのであった。
中の巻は、時雨の炬燵の段。家に戻った治兵衛だが気が塞いで商いに身が入らない、そこへ小春に横恋慕していた、伊丹の太兵衛が小春を身請けするとの話が舞い込む。おさんが実は小春に手紙を出したことを告白し、それでは女の気がすまないと、貯めていたお金と、自分や子供たちの着物を質に入れ、小春を身請けするお金を用意してやる。そこへ堪忍袋の緒を切らした、おさんの父、五右衛門が来て、おさんをむりやり離縁させてさとへ連れて帰る。この段の、おさんの心意気、心根、治兵衛への思い、子どもを置いていかなければならない悲痛が痛切で、こちらの胸が痛くなる。すばらしい話の展開である。
下の巻は、大和屋の段と道行名残の橋尽くし。何もかも失い、呆然失意の治兵衛は、小春を求めて新地へ。そして小春を連れ出し、新地から八軒屋橋、天満橋を超えて、死出の彷徨。ついに網島、大長寺(現在の藤田美術館)境内で、小春の喉を突き刺し、己はおさんへのせめてもの義理立てで、小春の帯で首を吊ったのである。
河庄の段だけで、一時間半、時雨の炬燵の段もおそらく一時間、密度の濃い眼を離せない展開が続く。最後の修羅場まで三時間半、やはり通しの公演はすばらしいものがある。歌舞伎の公演のほとんどが、名作の濡れ場を切り取ったものの盛り合わせメニューであるのに対して、まことに充実感を感じるものである。
なんとも緩急自在、しだいしだいに抜き差しならない運命への誘いが、やるせないほど痛哭である。近松のドラマツルギーの腕がさえわたる感じ。思わず人形劇だということなど忘れてしまい、ドラマの世界にいやおうなしに巻き込まれて行ってしまう。
僕には、浄瑠璃の、三味線の、人形使いの巧拙は、とてもではないがわからない。だが、登場人物の心情になり切った浄瑠璃の歌いあげ、三味線の音の冴え、とても人形とは思えない人間の感情と動作の表現など、歌舞伎に勝るとも劣らない、磨き抜かれた芸の力を堪能できる。人間国宝の四人の方々を含むそれぞれの演者が、近松の至高の悲劇の登場人物たちになりきってのパフォーマンスは圧巻である。その三者がシンセサイズされ、シンクロナイズするのは、まさに総合芸術の名に恥じない。
日本文学の偉大な研究者であったドナルド・キーンは、その著書、日本文学史で、この作品について、それに先立つこれも傑作の『曽根崎心中』と比較して、「『曽根崎心中』と『心中天の網島』の違いは、劇作家としての近松の成長にある。『心中天の網島』においては、真の悲劇がすべてそうであるように、人力では抗しがたい必然性が、登場人物を悲劇的な結末へと追い込んでいく。」 まさにそのとおり!、オイディプスのよう、ロミオとジュリエットのようである。
曽根崎心中では、徳兵衛とお初が主人公だが、心中天の網島では、治兵衛と小春に、貞淑な妻おさんが絡む。二人の女性の義理立てと心情が物語の奥行きをとんでもなく深める。その最高の場面と科白が次のところである。
治兵衛 「手附渡して(おさんを)取止め請出して其の後、囲うて置くか内へ入るゝにしてから、そなたは何と成ることぞ」
といはれてはっと行当り
おさん 「アッアさうじゃ、ハテ何とせう子供の乳母か飯焚か隠居なりともしませう」
なんという我を忘れた振る舞い、心持ち、言葉だろうか!このような忘我の自己犠牲の精神がいったい人間に可能なのだろうか?もはや利他に透徹した聖女のセリフである。
僕が、文楽劇場に足を運んだのは、一月の絵本太閤記に続いて二度目だが、さらにこの芸術の深さに心を奪われることとなった。上方歌舞伎とは名ばかりで、役者が東都に往ってしまった歌舞伎界とはちがい、あくまで上方、大坂に根付きつづける文楽に、僕らはもっと親しみ、応援をしていきたいものだ。
一年を通して最高峰のオペラに接せられる、ウィーンやミラノに住むオペラファンの方々をうらやましく思う僕だが、しかし我が大阪にも、このようなすばらしい総合芸術が根を張って存在し、いつでも気楽に見に行ける幸せをもっと噛みしめ、その恵みをますます楽しみたいものだとあらためて感じたしだいである。みなさんもいっしょに参りませんか?