御堂筋税理士法人創業者ブログ

 アレクサンドロス大王(3世)は、マケドニア王国の国王(在位前336年―323年)であった。フィリッポス2世の子で、少年期にあのアリストテレスに師事した。父の没後コリントス同盟下のギリシアの反乱を鎮圧,前334年ペルシア(ペルシア帝国)征討のため小アジアに渡った。グラニコス,イッソスで戦勝,ティルス,ガザを攻略,エジプトに入りアレクサンドリアを建設した。

 前331年ガウガメラの戦でペルシア軍に完勝。このときの戦いぶりはYoutubeやニコニコ動画で追体験できるが、その戦略の切れ味はスカッとするほどすばらしい。王都ペルセポリスに入りペルシア征討の目的を達する。

 以後東征軍を再編成,パルティア,バクトリア,ソグディアナ,インド北西部パンジャブ地方にまで遠征していった。前324年スサに凱旋(がいせん)。東西人種融合策をとり,ペルシア人も文武官職に採用,自らは東方的絶対君主として神格化を要求した。

 アレクサンドリアと命名した多数の都市を建設して東西交通・経済の発展,文化融合に寄与し,ギリシア語を共通語とするなどヘレニズム文化の基礎を築いた。

 アラビア周航の準備中に病没。まだ30過ぎであった。もし彼がもう少し生きていたらその後の世界はどうなっていただろう。

 しかし現実は、遺将たち(ディアドコイ)の争いのため帝国は分裂し,ヘレニズム諸王国が出現した。そしてこの稀代の英雄について、のちにその生涯に空想や神秘をまぜた伝奇物語が各地で知られるようになった。

 アレクサンドロスは、一瞬の怒りに任せて大切な人に剣を振り上げたこともあった。そして後悔に身をよじったこともあった。しかし、彼は少年のころからの仲間と共に心の中の何ものかに突き動かされて、世界の制覇に向けて疾風怒涛のごとく突き進んだ。その天才的な軍事の戦略的頭脳と類まれなリーダーシップは、フォロワーを魅惑し彼らをしてこの男のためならと身も心も投げださせた。

 最強の指揮官、戦術家、常に自分が先頭に立って敵に襲い掛かって行き、体中、傷のないところがなかった王は歴史に永遠に名を刻もうとした。そして、王はまた、抜きんでたカリスマでもあった。その彼の渾身の演説を読むと二千三百年のときを超えて、今も読む者の胸を熱くする。

 ご紹介する演説は、歴戦の疲労の中、年輩者の兵士を退役させ故郷に帰そうとして兵士たちの矜持に傷をつけ、それが発端となって、兵士たちの間にたまりにたまっていた王への憤懣が行動化した折、彼が兵たちに語りかけた内容である。

「私が父から受け継いだものは、わずかばかりの金銀の盃と金庫にあった60タランタ足らず、しかもピリッポスがこしらえた、およそ500タランタもの借金を背負いこんだうえ、私自身も別途800タランタの借りをつくるという、そんな状態のなかで私は、諸君が自活してゆくさえどう見てもおぼつかない土地から軍を起こし、ペルシア人がまだ海をおさえていたあの当時、ヘッレスポントスの渡(わたし)を手際よく一気に、諸君の前に開放してやったのだ。

 次いでダレイオスの太守たちをグラニコス河畔での騎兵戦で圧倒した私は、イオニア全部にアイオリスの全部と両方の地域のプリュギア人、それにリュディア人たちの地を諸君の領土に加え、ミレトスもこれを囲んで攻略した。

 進んで降伏を申し出てきたその他の地方も私は、それらを手に入れると全部、諸君のものにして、諸君の用に供してやった。戦わずして手に入れたエジプトやキュレネから上がる資財も、諸君のものとなったし、コイレ・シリアやパレスティナや両河の間の地、メソポタミアも諸君の財産なら、バビュロンもバクトラもスサも、これまた諸君のものだ。リュディア人の富、ペルシア人の財宝それにインド人の資財、さらにはその外海もまた諸君のものだ。これらの土地に太守となるのも君たちなら、将軍となるのも、部隊指揮官となるのも皆、君たちなのだ。

 なぜといってこれらの艱難辛苦を経てきた今でさえ、王としてのこの衣裳と頭飾りのリボン以外に、この私の手許にいったい何が残っているというのか。私が自分用に得たものなど、何ひとつとしてありはしない。どこの誰にしたところで、現に諸君の持ち物であるこれらのもの以外、あるいは諸君のためとりあえず保管されているもの以外に、私の財産なるものを、これがそうだと指摘できる者などいるわけがないのだ。そういったものを蓄えたところで、私一個のためには何の得にもならないからだ。

 私は君たちと同じものを食べ、夜も君たちと同じようにして眠っている。それどころか自分では、君たちのうちでも口の奢(おご)った者が食べる程のものも、口にしてはいないと思うくらいだし、夜は夜で君たちが安眠できるようにと、君たちのためを思っては目覚めがちなことも、余人は知らず、少なくともこの私には分かっているのだ。

 しかし私がそうした一切のものを獲得したについては、それは諸君ばかりが一方的に艱難辛苦、辛酸を嘗(な)めたその結果であって、この私自身は指揮をとる立場として、別にこれといった艱難辛苦も辛酸もなしに済んだのだと、あるいはそう思うものがいるかもしれない。

 それならば我こそは、王が自分のために力戦奮闘してくれたそれ以上に、王のため粉骨砕身した、とあえて自認できる者が、諸君のなかに果たして何人いるか。諸君のうち誰でもよい、実際にここに出てきて裸になって、自分が受けた傷痕を見せてみよ。そうすれば私は私で、自分の身体を見せようから。

 私について言えば身体中いたる所、少なくともこの前半身に、無傷のままの箇所などどこにも残ってはいない。白兵によるものであれ飛び道具によるものであれ、その傷痕を我が身に残していないような武器はひとつとしてない程だ。白兵戦では刀傷を受け、矢玉にも射当てられ、射出機が射ち出す弾にも撃たれ、石弾や棍棒で負傷したことも数えるにいとまない。それもこれもすべて諸君のため、諸君の名を挙げ諸君を豊かに富ませようとして身を挺した結果であり、私はこの間、ずっと君たちを、勝ち進む征服者としてあらゆる地方、海という海、あらゆる山河、あらゆる曠野を踏破しながらひきいてきたのだ。・・・」

 まさに自分が兵士として王の眼前に佇立しているがごとく胸を突き刺すものがある。ことばは、こころの鏡である。そこから出た珠玉のことばは聴く者のこころの奥底に響き渡り聴く者をして感動させ、奮い立たせる。リーダーたる者、またリーダーたろうとする者、ねがわくば、こうした言葉を紡ぎ出せるように修養を重ね、率先実行をなし、また先人の足跡をたどり力を磨くようにしたいものだ。

アレクサンドロスの評価(アリストブロス)
「彼の享年は32年と8ヶ月で、王位にあること12年と8ヶ月だった。身体つき殊のほかに美しいばかりか、労苦をいとわず判断に聡く、勇敢にして名誉にあこがれ、すすんで危険に身をさらし、神事またおろそかにはしないといった諸点で、彼は衆に抜きんでていた。肉体的な快楽追求という点では、己を持することきわめてつよく、精神的な面でのそれについて言えば、彼が求めて飽くことを知らなかったのは唯ひとつ、名誉名声だけであった。

 まだ先行き見通しがはっきりしない場合に、必要なすべきことを洞察する能力は、まことに恐るべきものがあり、所与の状況から起こりうべき事態を読みとる点でも、正鵠を射てあやまたなかった。軍勢を戦列に配置し武装をととのえ、また整然と秩序あらしめることでも、彼はこよなく巧みな腕前をみせた。兵士の士気を鼓舞して幸先よい期待感を吹きこみ、己自身の大胆不敵を以て、危険に対する将兵の恐怖感を吹きとばす、およそこうしたことにも、彼の手並みは卓越していた。

 実際必要なすべきことがはっきりしているときには、彼はこのうえない勇猛果敢ぶりを発揮して事に当たったし、敵の先手をとって相手に気づかれずに、有利な地位を確保することが必要になれば、彼はいつも相手側が先行きを恐れためらっているすきに、すばやく先制の一撃を食らわすという、その彼の果断ぶりでもまた、恐るべきものがあった。それに協定されたこととか合意が成ったことは、これをかたく遵守するにおいて、彼の右に出る者はなく、敵のだまし討ちにむざとは引っかからないという点でも、彼にならば、ほかの誰よりも安んじて頼ることができたのだ。金銭のことについて言えば、彼は自分の快楽のためにはきわめて倹約家だったが、友人たちのためとなると、まったく物惜しみするということがなかった。

  一方たとえアレクサンドロスが、その直情径行の性格や怒りの激発にまかせて、何かの過ちを犯したり、また夷狄(いてき)の風に同化して尊大倨傲(きょごう)に過ぎる振る舞いに傾いたりしたとしても、他方そこに彼の若さだとか、彼の破竹の勢いに乗った幸運つづきだとか、常々君側にあって王侯の快楽に奉仕し、彼らの為最善を計ることなく、かえって悪事を勧めるていの取り巻き佞臣(ねいしん)どもがいたことなどをも考慮して、公正妥当に斟酌すれば、私としては上に挙げたようなことについて、その非を格別言い立てようとは思わない。そのうえ古来君主多しといえども、自分が犯した過ちを後悔したのは、私の知るかぎりでは、その持ち前の高潔な心情からして、ひとりアレクサンドロスだけなのだ。

 大方の人ならば何か過ちを犯したと気がついても、自分としては正しいことをしたかのように強弁して、それでその罪咎(つみとが)も隠しおおせるものだと、浅はかにも考えるものだ。しかし私が思うに、罪にとっての本当の救いは、犯した罪を告白し、犯した罪を悔いていることを己が態度で示すことだけなのだ。けだし加害者の側が自分が悪いことをしたと、その罪を認めるならば、被害をこうむった方としてもその受けた不快な思いは概して、きつい痛みとして感じられはしないだろうし、加害者当人としても、前非を悔いて思い悩むさまが人目に立てば、もう二度とふたたび同じような過ちは繰り返さないという、そうした善良な予想がきっと最後まで、自分の心に残って離れないだろう。」

正当な評価というべきであろう。

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