コンサルタントは明晰に考えられなければならない
2024.04.23
コンサルティング
私は経営コンサルタントである。コンサルタントである以上、お客様の経営の問題について、切れ味の鋭いアドバイスができなければならない。そのためには、ものごとを明晰に考える必要がある。先だって読んだ、アナトール・ラポポートの『一般意味論』(1949)という本に「論理学は問題解決のためには不可欠の要素である。それは『ものを考え出す』助けになる」と書いてあった。そして、質問に解答するためには、論理学、意味論、数学が必要だと述べられていた。それらは『科学的』ということの要素であろう。
ということで、論理学、意味論、数学が問題解決をなりわいとするコンサルタントには不可欠な思考ツールなのである。
論理学についていうと、私も幹部のマネジメント研修の科目の中に『論理思考』を組み込んでいる。しかし、この題目はとびきりおもしろい思考ワークがないと退屈きわまりない。貧弱な頭で気の利いたワークネタをひねり出すのはおっくうだが、これは創作しなければなるまい。スタッフの諸君、助力をお願いします。
数学についてだが、同じ本の中に「数学は関係の言語である」と書かれている。「関数」という言葉があるくらいだから「そらそうや!」といたく納得した。私は数学は大の苦手である。しかしわれわれレベルの経営コンサルティングでは数学などほぼ不要である。必要なものは経営の要素を数字で表わす(定量化=Quantify)ことだ。そこでコンサルタントとしては数値資料を作って分析することはとても重要となる。
最後に意味論である。これが避けて通れない重要なポイントなのだ。コンサルティングではコミュニケーションを通じて、情報を収集し、思考し、見解を伝え、討議していくが、その中ではほんま頭が痛くなることしきりである。相手の話の意味がつかめない、うまく思考できない、意図した意味を相手に伝えきれない云々。
さて、わたしの最近の勉強のテーマの一つが、コミュニケーション技術である。なぜなら問題解決には的確なコミュニケーションが不可欠だからだ。その技術は大きく分けて2つある、『NLP』と『意味論』である。意味論はNLPの源流をなすから、双方は一つのテーマといってよい。ちなみにNLPは、神経言語プログラミング(Neuro-Linguistic Programming)といって、卓越したコミュニケーション技術を使って、ビジネスや人生のさまざまな課題をみごとに解決・跳躍させる技法である。
NLPの源流は、魔術師のような卓抜な治療家たちの技法である。それはクライアントが語る不完全なことば、見せるしぐさを念入りに観察し感受し、質問や誘導、挑戦により、本人が気づいていない完全な深層心理を表出させ、自己規定によりしばられている行動を解放していく技法だといえる。
そんなことができれば、これはもはや卓越したコンサルタントだと言える。というわけであれこれと勉強をしているのである。
意味論は、NLPで基礎となる考え方を提供している。意味論自体は、ものごとのあるいは言表の真理追求の可能性とそれを阻害しているものを明らかにすべく探求していく。
やり玉にあがるのは、いわゆる西洋哲学2000年の伝統である形而上学である。真とも偽ともいえない、アクセス不能なことがらの追求にあくせくしてきた歴史だが、17世紀のガリレオ、ニュートンに始まり、19世紀以降百花繚乱となった科学的思考に知恵を借りて、哲学のあるべき範囲を見直そうとするのが意味論のめざすところである。
工場の設備生産性が低いなどといったほぼ物理的な問題の解決はまあ割と簡単に解決できるからいいとして、そもそも倫理的問題などについては真理に到達できるのだろうか?人それぞれに見方があって、ああいえばこういう、糸口が見えない問題が多々ある。そのぼたんの掛け違いのようなちぐはぐな議論の原因はさまざまあろうが、意味論の論者たちは、議論を測定可能=経験の世界まで引き戻さなければならないとする。なぜならわれわれが真偽を云々できるのは、われわれが経験できる世界だからである。
西洋古代から近代に至るまでもっとも長く打ち破られなかった哲学の分野は、アリストテレスの論理学である。例の「AならばB、BならばC。ゆえにAならばC」という三段論法である。これが数学などで威力を発揮してきた『演繹法』の基である。
20世紀に入って俄然このアリストテレス論理学が、各方面の哲学者から異議にあがるようになった。それは頭の中で妄想する観念論だからだ。19世紀は科学の世紀といわれる。そこではあくまでさまざまな自然の現象を実験つまり経験によって説明していく。
科学は物理学において見事な成功をおさめ、その後化学へ、そして生物学へと展開されていった。そして今や、ブラックボックスとされてきた人の気持ちや行動のメカニズムさえ、驚くべき脳科学の発達は、それを科学的に解明し説明するところまで科学は発展してきている。
少し話が横道にそれたが、意味論では、真理の基準は演繹による絶対の価値基準ではなく、その価値は『予見の可能性』によるという。つまり、ご託宣が当たる確率が高いのがよいのである。それが神話や占いから、妄想による独断を経て、われわれが科学の成功を参考にして、真理にアプローチする方法だというのである。
なんだか、わかりにくい話であるが、要は、コンサルタントも経営者も幹部もビジネスマンも、自分の思考の組み立て、プロセスをよく吟味して、憶断ではなく、科学的つまり仮説と実験による検証でその仮説をよりブラッシュアップしていき、それに基づいて生産的な討論や会話をしていこうということである。私も老化した脳みそだが少しでも学んで、多少でも企業の高業績化の介添え役になれたら幸せだと思うのである。