ブッダの『真理の言葉』をまとめる。
2011.02.26
ブログ
大阪のコンサルティング税理士 小笠原 です。
今日一日かけて、
ブッダの『真理の言葉』(中村元先生)をまとめました。
ようやく勉強の予定も計画に追いついてきたかな。
これもインターネットで、先生の全訳があったから
短時間でまとめることができたのですが。
しかし、まあ便利ですが、こんなの著作権などよいんですかね?
それはともかく
原始仏典ですから、ブッダと弟子のやりとりが
おそらくは史実に基づいて語られているのでしょう。
その臨場感や温かみがたまりませんね。
スッタニパータは1100もの詩句からなっています。
入滅後かなりたってから
その言行録を弟子たちがまとめたものだが
大乗仏教のように、ブッダが神格化する前の
まだ、生身のブッダの息遣いが聞こえてくるような
経典です。
蛇の脱皮のたとえや
『犀の角のように歩め』という説示が胸に突き刺さります。
ブッダの説く
諸法無我、この世のすべてはまぼろしと正しく観じ
つまらぬ執着をすて、戒めを持し、もろもろの感官を自制する。
そして世の理法、認識に到達する。
この簡単な、そして深遠な真理を
どう直覚するか、その境地に至るかが課題ですね。
そのためには、やはり正師について
修業せねばならないのでしょう。
ちなみにいくつかその内容をご紹介
農夫がブッダは耕作していないのではと訊ねられたことに返答して
77 (師は答えた)
「わたしにとっては、信仰が種である。苦行が雨である。
知慧がわが軛(くびき)と鋤(すき)きである。
慚(はじること)が鋤棒である。心が縛る縄である。
気を落ちつけることが鋤先と突棒とである。
78 身をつつしみ、ことばをつつしみ、食物を節して過食しない。
わたしは真実をまもることを草刈りとしている。
柔和が私にとって(牛の)軛を離すことである。
79 努力がわが(軛をかけた牛)であり、
安穏の境地に運んでくれる。
退くことなく進み、そこに至ったならば憂えることがない。
80 この耕作はこのようになされ、甘露の果実もたらす。
この耕作を行ったならば、あらゆる苦悩から解き放たれる。」
ブッダが賤しい人とは何かと問われたことに答えた章
116 「怒りやすく恨みをいだき、邪悪にして、
見せかけであざむき、誤った見解を奉じ、たくらみのある人、
──かれを賤しい人であると知れ。
124 己れは財豊かであるのに、
年老いて衰えた母や父を養わない人、
──かれを賤しい人であると知れ。。
128 他人の家に行っては美食をもてなされながら、
客として来た時には、返礼としてもてなさない人、
──かれを賤しい人であると知れ。
132 自分をほめたたえ、他人を軽蔑し、
みずからの慢心のために卑しくなった人、
──かれを賤しい人であると知れ。
133 人を悩まし、欲深く、悪いことを欲し、
ものおしみをし、あざむいて(徳がないのに敬われようと欲し)、
恥じ入る心のない人、
──かれを賤しい人であると知れ。
136 生まれによって賤しい人となるのではない。
生まれによってバラモンとなるのではない。
行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。
※バラモン=聖者
■<8、慈しみ>【慈経】
~スリランカにおいては、結構式の前日に僧侶を招いて
祝福の儀式を行なうが、
その際に唱えられるのが、この一節ないし、
「宝」「こよなき幸せ」である。
143 究極の理想に通じた人が、
この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。
能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、
思い上がることのない者であらねばならぬ。
144 足ることを知り、わずかの食物で暮し、
雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、
聡明で、高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。
145 他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、
決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、
幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。
146 いかなる生物生類であっても、
怯えているものでも強剛なものでも、悉く、
長いものでも、大きいものでも、
中ぐらいのものでも、短いものでも、
微細なものでも、粗大なものでも、
147 目に見えるものでも、見えないものでも、
遠くに住むものでも、近くに住むものでもすでに生まれたものでも、
これから生まれようと欲するものでも、
一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。
148 何びとも他人を欺いてはならない。
たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。
悩まそうとして怒りの想いをいだいて
互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
149 あたかも、母が已が独り子を命を賭けて護るように、
そのように一切の生きとし生れるものどもに対しても、
無量の(慈しみの)意を起すべし。
150 また全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし。
上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき
(慈しみを行うべし)。
151 立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥つつも、
眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいを
しっかりとたもて。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。
152 諸々の邪まな見解にとらわけず、戒を保ち、
見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、
決して再び母胎に宿ることがないであろう。
■こよなき幸せ【吉祥経】
258 「多くの神々と人間とは、幸福を望み、幸せを思っています。
最上の幸福わ説いて下さい。」
259 諸々の愚者に親しまないで、
諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、
──これがこよなき幸せである。
260 適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて、
みずからは正しい誓願を起こしていること、
──これがこよなき幸せである。
261 深い学識あり、技術を身につけ、
身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであること、
──これがこよなき幸せである。
262 父母につかえること、妻子を愛し護ること、
仕事に秩序あり混乱せぬこと、
──これがこよなき幸せである。
263 施与と、理法にかなった行いと、
親族を愛し護ることと、非難を受けない行為、
──これがこよなき幸せである。
264 悪をやめ、悪を離れ、飲酒をつつしみ、
徳行をゆるがせにしないこと、
──これがこよなき幸せである。
265 尊敬と謙遜と満足と感謝と(適当な)時に教えを聞くこと、
──これがこよなき幸せである。
266 耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、
諸々の(道の人)に会うこと、適当な時に理法について聞くこと
──これがこよなき幸せである。
267 修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、
安らぎ(ニルヴァーナ)を体得すること、
──これがこよなき幸せである。
268 世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、
憂いなく、汚れを離れ、安穏であること、
──これがこよなき幸せである。
269 これらのことを行うならば、
いかなることに関しても敗れることがない。あ
らゆることについて幸福に達する。
──これがこよなき幸せである。
最後にもうひとつ
【よき言葉】~欠点のない非難されないことばとは
1.最上の善いことばを語れ。
・自分を苦しめず、また他人を害しないことばのみを語れ。
これこそ実に善く説かれたことばなのである。(451)
2.正しい理を語れ、理に反することを語るな。
3.好ましいことばを語れ。好ましからぬことばを語るな。
・好ましいことばのみを語れ。その言葉は
人々に歓び迎えられることばである。
感じの悪いことばを避けて、
他人の気に入ることばのみを語るのである。(452)
4.真実を語れ。偽りを語るな。
・真実は実に不滅のことばである。これは永遠の理法である。
立派な人々は、真実の上に、ためになることの上に、
また理法の上に安立しているといわれる。(453)
心に持していきたいものである。
コンサルティングに強い税理士法人小笠原事務所 大阪 小笠原
でした。