世界一チケットの取りにくい音楽祭
2019.08.21
プライベートなお話
バイロイト(Bayreith)音楽祭
リヒャルト・ヴァーグナー
(英語読みにするとワーグナーとなる
(Richard Wagner))が創始した
彼の作品を演じるためだけの
音楽祭である。
https://www.bayreuther-festspiele.de
そのプラチナ・チケットは
かつて、十年以上申し込み続けないと
割り当ててもらえないという噂であった。
わたしも一生に一度は行きたくて
何年も申し込んだが、
途中で、だんだんあほらしくなってやめた。
夏の旅行の予定が立てられなくなるからだ。
ヴァーグナーといえば
好きな人も、嫌いな人も、
認めざるをえないビッグ・ネームである。
どうしてなのか?
オペラを大変革したからである。
書物における、言及の機会は
ゲーテに次ぐという。
(リヒャルト・ヴァーグナー)
ヴァーグナーは
ドイツのライプチッヒに生まれ、
大学で作曲を学んだ。
パリほか各地を転々として
音楽家としての活動をしたが
経済的には困窮を極め
彼の性格、思想形成に
深い影響を与えたらしい。
ドレスデンに戻り
才能が認められ
宮廷指揮者となったが
三月革命に共鳴、連座し、
エグザイルされてスイスに逃げ
10年を過した。
やがてしだいに許されドイツに戻り
バイエルンのルードヴィッヒⅡ世に
崇拝され庇護されたのは有名な話である。
(映画『ルードヴィッヒ/神々の黄昏』)
これで大借金もすべてチャラになった。
あとは飛ぶ鳥を落とす勢いだ。
そして1882年、晩年、
移り住んだバイロイトで
自身の楽劇を演ずるためだけの
念願の祝祭劇場を建て、
世界最高に気位の高い
バイロイト音楽祭ができた
というわけである。
彼の思想、理想は、
どこにあったのだろうか。
ドイツやゲルマンの神話に多く題材を取り、
古代ギリシアの劇を音楽的に再現すべく
愛と救済を、
女性に、そしてキリストの神に託した。
体験から反ユダヤ的な考えも見え、
ヒトラーが愛したことなども関係して
後世、とかくの議論が醸される。
チャップリンがはげしく
ヒトラーを糾弾した
名画、『独裁者』の中で
独裁者が地球儀と戯れる
有名なシーンでは
彼の『ローエングリン』第一幕前奏曲が
BGMとして流れた。
https://www.youtube.com/watch?v=IJOuoyoMhj8
(このオペラには
大好きな結婚行進曲が入っている)
わたしは、不勉強で
それらを語る資格はまだない。
これから、著作などで勉強してみたい。
とはいえ、
音楽、演劇、絵画を総合した
その作品はすばらしく、
豪華で、贅沢、実験的。
多くの人を魅了した。
作詞、作曲、劇場づくりと
なんでも一人でこなしてしまう天才、
エネルギーに満ち溢れた
たとえばチャップリンのような人である。
なんといっても
劇場まで作り、後世、孫子の代まで続く
ビジネスモデルの礎を
築いたのだからすごいし、
街のそこかしこに彼の像が立っている
バイロイトという街に
多くの恵みをもたらしたのも
立派なことである。
ヴァーグナーの音楽についていえば、
(わたしは門外漢なので
意見はあくまでも受け売りである)
それまでのオペラを
彼が「楽劇」を呼んだものに
ラディカルに、大成功裏に変えた。
それまでの番号付きオペラ
(一つひとつの曲が分断されている)
からの変革である。
その特徴、功績は、
・ライトモチーフ(示導動機)の明確化
かんたんにいえば人物毎のテーマメロディ
・無限旋律の採用
劇中とぎれることのない音楽
・序曲を前奏曲に変えた
序曲はえてしてメロディの要約だったが
前奏曲は全体の中で意味ある一部
・オペラでなく楽劇化
神話に題材をとり、音楽、セリフなど
すべての要素を一体化した
などに示される。
実際、それはそのとおりで
それまでのオペラとは、
一線を画するものだと思う。
まあ、映画みたい感じだ。
主題は思想的で、
音楽性も理論に裏打ちされた
堅牢なもので、まさにドイツ的である。
ために、それに魅せられるファンも多く
彼らは、ヴァグネリアンといわれる。
それだけの偉大な音楽家だから
その音楽は、たとえ題名をしらずとも
映画やCMや結婚式などで
耳にして聞きなれているはずだ。
代表は、コッポラが
『地獄の黙示録』で使った
『ワルキューレの奇行』である。
https://www.youtube.com/watch?v=a6p2b7NWeUw
やたら金管楽器が鳴り響くド派手曲である。
その作品群は
『タンホイザー』
『ニュールンベルグのマイスタージンガー』
『ローエングリン』
『トリスタンとイゾルデ』
『パルジファル』
そして
あの壮大な Ring 四部作
『ラインの黄金』
『ワルキューレ』
『ジークフリート』
『神々の黄昏』…
なんともすごい。
さて、バイロイト音楽祭
ワーグナーが在世中に創始したが
その後、愛妻だったコジマが
その運営を引き継ぎ、
ジークフリート、ヴォルフガングなど
総監督はヴァーグナーの子孫、係累が
就任してきている。
まあ系図を見ると
家系だろうか?多く幾度も結婚し、
長命、晩年で子をなしていて
その主導権争いも
かっこうの話題を提供する。
今回、10年来の夢であった
そのチケットが手に入った。
やれ、
・チケットが手に入らない、
・ドレスコードがすごい、
・チケットに記載された人でなかったので
入り口で入場を拒否されたなど、
とかくのエピソードに気おされて、
少しばかり緊張しながら
バイロイトに向かった。
ミュンヘンから急行列車で
ニュールンベルグへ、
そしてそこでローカル列車に乗り換える。
約200km、2時間半の旅である。
降り立ったのは田舎町の駅
タクシーでホテルに向かう。
次の日が私たちの見る
『タンホイザー』の公演日だ。
当日は、午後4時開演で
午前中は、ヴァーグナーの自宅だった
ミュージアムなどを見物して
ヴァーグナーゆかりの名前や
イメキャラであふれかえる
街中で時間をすごし、
2時45分、ホテルからバスで会場へ。
その30分前からフロントで
シャンペンなどがふるまわれる。
ぞくぞくとドレスアップした
紳士淑女たちがぞくぞくと登場
すぐに人であふれかえった。
やがてバス2台に分かれて出発。
会場は意外に近かった。
そして、ついに遠景にあの
写真では見慣れてきた
憧れの祝祭劇場が見えた。
すでに会場はお客さんでいっぱい。
銘々、アペリティブの
シャンパンやワインを手に
談笑の花が咲いている。
ドレスコードは超一級である。
男は過半がタキシードに棒タイ
小心者のわたしは
けっこう気おされ気味。
家内と、さあて
日本人はどれくらいいるだろうと
あてっこをしながら会場に来たが
予想に反して、ぽつぽつと数人。
概して、アジア人は少ない。
しかし、よく耳を澄ますと
フランス語が多く聞かれ、
ロシア語なども聞こえてくる。
不思議に英語は聞かない。
開演20分前、
正面玄関上のテラスに
ラッパをもった男たちが現われ、
タンホイザー・マーチの
ファンファーレが鳴り響く。
これが会場への誘導の合図である。
(慌てて撮ったのですみません)
実際はこんな感じ
https://www.youtube.com/watch?v=1mT3vP5ETdE
ちなみに
このタンホイザー第2幕で流される
騎士たちの入場の行進曲
皆さんも
きっとどこかで聞かれていると思うが
https://www.youtube.com/watch?v=mT5Igmv8eow
わたしはこの曲が大好きで、
事務所の25周年の記念パーティを
開催したときに、
ご招待の方々を紹介する
クレジット・タイトルの映像の
BGMとして使わせてもらった。
ぴったりだったと
自画自賛し悦に入っている。
話しは戻って、
さて、最大の心理的難関
入場の切符チェックである。
しかし、なかばそうだとは思ったが
ひどくあっけなく
ふつうのオペラ劇場と変わりなく
入場でき、ふにゃっと気が抜ける。
会場に入って中を見渡した。
さすがにいい感じである。
おごそかで、適度な大きさ、
前後はあまり深くなく、
全体に舞台をかなめに
広い扇型で
客席が階段状に配置される。
オーケストラ・ピットは
深く設けられ、観客からは見えない。
また客席の左右には
ひだのように壁がある。
全体は木製で、
ギリシアの古代劇場を模したとされ、
ヴァーグナーらしい
こだわりと矜持が感じられる。
さあ、満席詰め詰めで、
やがておもむろにライトダウンされ
いよいよ楽劇の祝祭が始まった。
今日の指揮は、
数日前ザルツブルグで聞いた
ロシアの巨匠、
ザンクトペテルブルグ、
マリインスキー劇場のゲルギエフである。
おごそかな長すぎる序曲が始まる。
舞台前、少し掘り下げられた
ピットからとてつもなく
荘厳な音色が聞こえてくる。
やがて幕が開き、
オケのピットが見えないことの
すばらしい効果が実感できた。
端的にいえば
視覚のじゃまがなく
舞台に専念できるのである。
平たく言えば映画と同じである。
さて、この音楽祭
聞いてはいたが字幕がない。
だから、もちろん事前に、
Web上で全セリフを
日本語とドイツ語対訳で読んできた。
実際に聞いてみると
期待に反してというべきか、
当然というべきか、
まったくのチンプンカンプン。
しかしそれも、途中で気にならなくなった。
わずかのストーリー展開の知識と
舞台の演技の視覚支援で
字幕の速読に追いまくられることなく
音楽と劇に集中できた。
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しかし、外国人はともかく、
ドイツ人も歌詞の意味は
キャッチできるのだろうか?
訊いてみたい気分である。
わたしなど、NHKの朝ドラの
まんぷくのドリカムや
まっさんの中島なんとかさんの
歌詞さえ聞き取れませんし。
演出は、ドイツ好みというか、
現代化されて、奇抜なものである。
しかも、これもはやりなのか
映像表現が大いに使われていた。
『タンホイザー』というオペラの原題は
「タンホイザーとヴュルツブルグの歌合戦」
ドイツ人ならだれでもしっている
古城ヴュルツブルグ城の中世伝説
方伯の主催した騎士たちによる歌合戦と
エリザベート王女のお話である。
エリザベートと恋仲だった
騎士のタンホイザー、
ふとしたことから女神ヴェヌス
(要するにヴィーナス)との
愛欲の生活に耽りこむ。
これではダメだと現世に戻った彼は
旧友、ヴォルフラムに遭う。
彼とともにお城に戻り
エリザベートと再会し、愛を確かめ合う。
その日は奇しくも歌合戦の当日
テーマは、愛の本質はなにか?
他の歌い手が、騎士道の
婦人への無償の献身愛を詠うのに
がまんできなくなったタンホイザーが
官能的な愛を詠う。
方伯から下った処分は
ローマ巡礼の追放であった。
彼の不在の間、日々祈りをささげる
エリザベート
彼女は、ついに死をもって
タンホイザーの罪の許しを請う。
いよいよ巡礼者たちが帰ってきた。
がその中に彼はいない。
最後に、ひとりボロボロになった彼が
姿を見せる。
神の許しは得られなかったという。
自暴自棄になったタンホイザーは
再びヴェヌスの愛欲に浸ろうとするが
通りかかったエリザベートの葬列に
救済される。
典型的な、ヴァーグナーのテーマ
「愛による救済」である。
救済とは、
神の恩寵によって義とされ
死後天国へ行くことが許される
ことを意味する。
この話を、
ヴェヌスを小さな旅回りの
芸人一行に置き換え、
そこに狂言回しとして
侏儒(こびと)と
おかまの大男のピエロを配置する
という演出で繰りひろげられる。
のっけからどうなるのだろうとハラハラ。
つまり作劇できるのだろうかの不安である。
ところが第二幕
ヴュルツブルグ城の歌合戦のシーン。
圧巻、あっぱれ、あっけにとられた。
なんと、祝祭劇場を
ヴュルツブルグ城に見立て
舞台を垂直に二分割
下でリアルな劇進行、
上でフィルムによる舞台裏の角度からの盗写
によって、構成され、進められていった。
この演出のおもしろいところは
祝祭劇場の舞台裏を
垣間見れるところと、
実は奇抜な発想だが
ヴェヌスたちが会場に乗り込んでくる
シーン外での物語の進行を
同時並列的に見せるところにある。
祝祭劇場に到着した
ヴェヌス一行は、正面のテラスに
はしごをかけてよじ登り劇場に侵入する。
ついでにテラスから
『意思の自由、行動の自由、愉楽の自由』
てな垂れ幕を張る。
侍女役の出演者の一人を
トイレで襲い、コスチュームをはぎ取り
出演者になりすましたヴェヌスが
舞台の上に現れる!
そして、舞台の進行ぶりに
不調和な反応を示すヴェヌス。
そのリアルなアクションが、
上の舞台袖からの映像の彼女と
ぴたりシンクロする
ハラハラさせるその演技の
おもしろさ! 感心しきり、最高である。
案の定、第二幕閉幕後、
やんやの喝采、拍手・拍足
鳴り響きやまずである。
そのあとの幕間
外に出て、ベンチに腰を掛け、
ふと正面玄関の方を見やると、
なんと、舞台で見た非常はしごが
実際に掛かっているではないか!
ひょっとして垂れ幕もあるのでは?
と思って見に行くと
やはり縦幕も掛かっていた。
このへんの西洋人のウィットぶりは
日本人とはちがう。
センスとこれでもかという
ひつこさと完璧さがある。
祝祭オペラの幕間時間は
なんとそれぞれ1時間
幕間は、庭や
庭にあるレストランなどで
銘々食事、飲み物を楽しみ
ベンチで過ごす。
そして、第三幕も無事に終わる。
演奏が鳴り終わった刹那、
ほんの一息をおいて
会場全体が割れんとするばかりの
大喝采!!
こんなすごい反応は見たことがない。
メガトン級の喝采であった。
(ヴェヌス、タンホイザー、エリザベートの
順で登場、われんばかりの喝采を受ける)
これで、わたしの聖地詣では終わった。
田舎出のお上りさんは
はじめてみる聖地、祝祭劇場の
雰囲気、風俗、体験に酔いしれた。
帰って、遅めの夕食を
宿舎、ラインゴールドホテルの
レストラン『リヒャルト』で取った。
それにしてもなんとも
ヴァーグナー・ヴァーグナーした
ネーミングである。
数日前にお会いした
オペラ評論家の石戸谷さんと
朝日新聞出版のYさんが
いみじくもおっしゃったとおり
バイロイトはやはり
世界一の歌劇場であった。
&
nbsp;
経営コンサルティングと
会計事務所の融合
組織デザイン研究所&
御堂筋税理士法人
小笠原 でした。