夫婦での四国八十八ヶ所おへんろは無事に結願。
2015.09.29
ブログ
家内といっしょにお参りをしてきた
四国八十八ヶ所巡り
おへんろが先日、無事に結願した。
わたしにとっては
はじめは、何の気なしに
家内のお伴で行き出した
そんなおへんろではあったが…
思い起こせば、昨年の初夏
第一番の札所、
徳島県は霊山寺の
門前に立ったときは
何の前知識もなく、
言われるままに、
お寺の売店で
お参りに必要なグッズをそろえた
のであった。
(一番札所 徳島県霊山寺である)
しかし、そこまではなあ
という気持ちが働いて
みなさんおなじみの
装束などはご勘弁ねがった。
結局、
納経で唱えるために必要な
お経の載っている小冊子と
数珠、そして
供えるロウソクとお線香を携えての
シンプルで素人くさい
へんろ旅をスタートしたのだった。
最初の旅は
一泊二日を予定していたが
日ごろの不摂生がたたり
痛風が勃発してしまう。
ほうほうの態で
なんとか八ヶ寺にお参りしたが
二日目はリタイア
二日の予定を、一日で切り上げて
退散という、情けない開幕となった。
納経とて
お経の読み方の
流儀さえ分からず
まったくもってたどたどしく
ただ、書いてあることを
読み上げただけ。
回りにいらっしゃる
熟達のほんものの?
巡礼者の方々が
まぶしい感じがしたものだった。
さて、お参りの流儀だが
まず山門に一礼して
境内に入る。
そして手を洗い、口をすすぐ。
次に、本堂にお参りをする。
お燈明を灯し、お線香を立てる。
用意したお札を納め、
ご本尊にお参りをし
お祈りをし、納経をするのである。
さらに、おなじことを
弘法大師さまをお祭りした
太子堂で繰り返す。
それらがすべて済めば
納経所というところがあるから
納経をしたという証しとして
お寺のご朱印を
いただいていくというわけだ。
たどたどしいお参りは
一ヶ所で、45分ばかり要した。
これは大変だなと思った。
痛い足を引きずりながら
一日かけて
一番から八番まで。
やれやれ、先は遠いなあ。
日差しが肌に暑かった。
さて、捲土重来
そのあと秋に
今度は二泊三日で
徳島県の霊場のすべて
さらに足を延ばして
高知県は
室戸岬から高知まで
三十番の札所まで
二十二ヶ寺を回ることができた。
三回目は、今年の初春
二泊三日で回るつもりが
家の都合もあって
一泊二日に短縮。
どこまで行けるかと思ったが
意外にも
高知から、足摺岬を経て
愛媛県は宇和島の
四十三番札所、明石寺まで
十三ヶ所を回ることができた。
そのかわり、愛車の
スピードメーターは
快調に躍った。
しかし、よく考えてみると
もっぱら効率を追求するという感じ
果たして、これでいいのだろうか。
目的はなんだったのかなあ?
われわれ夫婦が
調子にのると
えてしてこういう事態になる。
もう半分近くである。
早いなあと思う。
いくぶん先が見え
その分、すこしさみしい。
そして四度目が、
今年の六月であった。
これは二泊三日で参った。
朝、暁明けぬ時間から
大阪を発って、松山まで急ぐ。
久万高原からのスタートなのである。
わたしの父方の祖母の故郷
である松山を経て、
今治、新居浜を経て
川之江まで
六十五番札所三角寺で
愛媛県の霊場めぐりは完了した。
このころから
やっとお参りや読経に
慣れてきたといってよい。
つまり自覚的に
お参りをし出せたわけである。
それとともに
お経の意味がわかり出し、
自然と祈りに気持ちが
入りだした。
しかし、家内はともかく
わたしのような人間が
善人になるのは
ほんの祈りの
その瞬間だけである。
それ以外は、相も変わらず、
自分勝手な人間が
そこにいるというわけだ。
その性は本当に根深い。
そして、過日、
残っていた香川県の霊場
六十六番の雲辺寺から
結願の八十八番、大窪寺まで
お参りをした。
はじめたどたどしかった
お経を唱えるのも
夫婦で相和して
だいぶ滑らかになった。
そのハーモニーが
なんともすがすがしい。
ついにたどりついた
八十八番札所の大窪寺
こんなイージーなおへんろでも
さすがに感慨無量であった。
(結願の寺 大窪寺である)
結願した爽やかさは
恵も言われず
ささやかに門前の茶店で
私はノンアルビールとおでんと
家内はトコロテンで
心とからだを慰した。
都合、十二日間
走行距離 3133キロ
総費用 625,354円
さて、さらにその足で
さらにひと踏ん張り
もう一度、
一番札所の霊山寺に
お礼参りに向かうのだ。
車から降りた
霊山寺は懐かしく
心を込めて
納経をさせていただいた。
(納経帳は、すべてうまった)
そこかしこに
今からおへんろを始められる
方々が見え、
とてもなつかしく思った。
さて、この旅
夫婦で役割分担をし
相協力しての道行となったが
やはり我々の流儀で
なにごとにつけ
役割分担をし
テキパキとできるのが
無言ではあるが
二人ともうれしく満足であった。
行く先々で
今晩はなにを食べようかとか
お昼はどのうどんにしようとか
これもお楽しみのひとつだ。
八十八ヶ所もあると
いろいろなお寺、
いろいろなロケーションがあるものだ。
ロープウェイでいかなければならない
とんでもないような山の中や
岬の眺望優れた場所
経営のすばらしいお寺
そうでないお寺
すぐれた古刹、名刹
そして
歩きおへんろの皆さんの
すばらしいお姿
老若男女、外国の方々
なんとも多種多様だ。
とはいえ、子供のころ
毎朝、母が父の霊前で唱えていた
般若心経を
おおむね暗唱できる
ようになったのもうれしい。
それにしても
般若心経はよくできた
コンパクトなお経である。
さて、せっかく
少しは上手になった
われわれの納経
これで終わるのは
ちょっとさびしい。
そこで
西国三十三ヶ所を
巡ったらどうかと
家内をそそのかしたら
真面目な家内は
どうやら、その気で
次は、西国の巡礼の旅と
なりそうである。
次はなにをたべようかな?
どこまでも不信心の
人間であるが、
子どものころ
母について回った
三十三ヶ所を
また訪れることができれば
なつかしく、たのしいだろう。
縁あるお寺をめぐり
仏さまに手をあわせ
生んでいただいた奇跡に
仏さま(つまり神と自然)と
ご先祖さまと両親に
お礼をささげ
そうあればこそ
自分のなすべきこと
与えられた役割に
精進することをお誓いし
縁者・家族の幸せを祈り、
またお守りいただくことを
お願いするのも
また気持ちよく
心が洗われるものである。
その上に
麗しき日本の風景と
人情とおいしい食べ物に
めぐりあえれば
さらに趣きが
そえられるというものだ。
さて、いつから
スタートしようかなあ。
経営コンサルティングと会計事務所の融合
組織デザイン研究所&御堂筋税理士法人
小笠原 でした。