経営者の老後の生き方を考えてみたりする。
2015.06.02
経営者へのメッセージ
先日、わたし宛に
日本企業年金連合会から
年金の支払通知がきた。
金額は年に6万円ほどだ。
でも正直うれしい。
と同時に、そういう年になったか
という感じもある。
わたしも60歳を余裕で超えた。
友達も(みなサラリーマンだから)
定年をむかえている。
子会社で経営をしている人もいれば
完全にリタイアした人も増えてきた。
ひるがえってわたし、
一応、中小企業のおやじで
まだ代表者ということになっている。
(なかばオペレーションマネジメント
は放棄しているが)
だが時代は確実に次世代のもので
彼らが存分に活躍してくれるのが
とてもうれしい。
思うのだが、
60歳を超えた人間の
存在価値とはなにだろうか?
もはや、生殖の能力と意欲もなくなった
(それがまたいいのだが)
人間は生存する意味があるのか?
これが鮭や蝉だったら
すぐにこの世とおさらばである。
ひとり人間だけは
その後も長ければ数十年の
付録のような老後がある。
最高のスコラ神学者
トマス・アクィナスは
神を定義して
『存在が本質である存在』
といっている。
老後も同じことで
特にあくせくしなくても
食べては行けるし
子育てからも解放されているし
三昧なことにすべての時間を投じても
OKな生活である。
わたしなども
一日中、本のページを繰り
パソコンを開いている状態だ。
わたし自身は
考えることが本質だと思っているから
まさにそれはアクィナスのいう
神様の人間版の生き方か?
(決して俺は神様みたいに
えらいといっているのではない。
くれぐれも誤解なきように)
それでもって
家内からも特に文句もいわれない。
つまり好きなことをずっとしていられる
考えてみれば、ありがたい境地である。
人間の一生は
動物から生まれて
神様に近づいていく
道程だと考えることもできるが、
してみると、
老後というのは
だんだん神様に近づいていく
生きざまのステージのような気がする。
そこで考えるのだ。
年寄りのお役立ちとはなにか?
まあ、年を取らないと
見えてこないものもある。
企業、組織のメカニズム、あり方、
どうすればパフォーマンスがあがるか
いかに人は動機づけされるか・・・。
いずれにしても
とても一丁前とはいえないし
まだまだ未熟ものだが
それでも培ってきたものを
若き人たちに伝授していくことが
使命だと感じている。
会計事務所の可能性を追求する
御堂筋税理士法人&
組織デザイン研究所
税理士コンサルタント 小笠原 でした。