御堂筋税理士法人創業者ブログ

最近、興味深く読んだ本に

ヘーゲルの『歴史哲学講義』がある。

これは、ヘーゲルという

最後のなんでもこいの哲学者

ヘーゲルの歴史はこう見る!

という大学の講義録である。

まあおもろかった。

読んでみて思うことは、

その主張が妥当かどうかは別にして

フランケンシュタインみたいな

このおっちゃんの博学ぶりと

その解釈ぶりには舌を巻く

ということである。

このお話、かんたんにいうと

「東洋人は、

ひとりが自由だと知るだけであり、

ギリシャとローマの世界は、

特定の人びとが自由だと知り、

ゲルマン人は、

すべての人間が人間それ自体として

自由だと知っている」

ということである。


歴史は

東洋から生まれ

西洋に移り

ゲルマンにおいて完成する

ってなかんじ。

まあ、ずいぶんねえと

いいたくもなるが、

ドイツ人の自画自賛だから

笑ってすませましょう。

中国人は、

王様とそれ以外の不自由な人の集団

社会道徳だけで

人間の内面的掘り下げはない。

インド人は

空想と感情の国で

ほとんど個人の自覚なし

だから平気で集団自殺もするし

肉体を極限まで追いつめる。

ペルシャ人にいたってはじめて

歴史が動き出し

個人という概念が登場する。

そのあとがエジプト人だ。

エジプトにおいてはまだ

アフリカ性の残滓が残るが

精神性の萌芽がみられ

これがギリシャへつながるとか。

そしていよいよ西洋だ。

まずギリシャ。

ついに精神性が

うつくしく花開く。

しかし限界は

共同体の意識の低さだ。

ローマはそれを凌駕した。

それは逆に共同体への絶対服従だ。

もともとが略奪と征服の国だから

個人の自由は埋没する。

そしていよいよ

ゲルマン人の登場である。

ここにおいて

キリスト教精神を受入れ

個人の主体的自由が

確立していくとする。

わたしがお話したいのは

これ自体のことではない。

そういわれれば

われわれ日本人の場合

たしかに個人としての

内面的な、哲学的思索

そして自由の希求、

自我の確立など

あんまり思想的にもない。

その点、幼稚だといわれれば

そうだなあと思う。

これを個人に置き換えると

どうだろうか?

経営者・幹部・社員・・・

人格的な実現と深まりは

どうだろうかと考えてしまう。

とにかく幼稚はだめでしょう。

ビジネスマンとして

おとなな人柄を身につけるということだ。

おとなな人柄とはなにだろうか?

よくわかりません。(x_x;)

全体を見る目

どうふるまえば価値が生まれるか

をしっかり考えること

中庸さ、おだやかさ

他社への慈愛・・・

いっぱいありますが

二宮尊徳翁は

「死後、りっぱな人だったと

評価されるには、

生きている間

立派なふるまいで

なければならない。

死んでから鰹節になるためには

生きている間に鰹に

ならなければならない。」

とおっしゃっていますが、

(うまいこといいはるなあ)

ここは、ぐっとがまんして

<
p>どうふるまえば

人と自分のねうちがあがるか

ここが分かれ道なのですかねえ。

会計事務所の可能性を追求する

御堂筋税理士法人&

組織デザイン研究所

税理士コンサルタント 小笠原 でした。


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