御堂筋税理士法人創業者ブログ

連休中に、家内が古い器を見ようというので
東山三条の「てっさい堂」というお店に伺った。
このお店、大変狭いお店だが、
置いてある器の数ははんぱではない。
びっくりするくらい、しかも種類別に山積みである。
ご興味のある方は一度行かれることをお勧めする。

さて、気に入ったものを一つ、二つ買い求めたら、
ご主人とおぼしきマダムが来られた。
実はこの方、貴道裕子さんとおっしゃって
その筋では著名な方のようである。

このお店のことや、おもてなしのことは
また機会があればぜひご紹介したい。

話の筋は、お通しいただいたギャラリーで見た
書の掛け軸についてである。

それが、江戸時代の仏教家
慈雲尊者の筆だというのである。
私はよく知らないが、慈雲尊者のことは
森先生の修身教授録に詳しい。

しかも私の住んでいる中之島が生誕地である。
ロイヤルホテルのそばに石碑が立っている。

というような話をしていると
「息子が尊者の大ファンなので連れて来させましょう」
とのことである。

さて、これらたご子息は
本業の書画の扱いを継いでおられるとのこと
熱く、尊者の話をされた。

掛け軸が
天照大神宮など三筆である。
これはいかにとお聞きしたら
神道・仏教・儒教のことですよね
とのことであった。

なぜそういう話を持ち出すかといえば
二宮尊徳先生のお話の中にも
ご自分の思想は、三つの融合体であることが
出てくるからである。

やはりそうだなと合点がいった。
というのも、そのうちご紹介したい
石田梅岩の思想も、
まさにそうだからだ。

日本の思想というのは、
元来の大和民族の
自然観、創世神話があって
そこに大陸から、仏教、儒教、仏教、儒教と
思想が伝来して、精神性が形成されているのだ。

さて二宮尊徳先生の次のお話は
その中でも、仏教的な色合いが強いものだ。

言われてみればごくすんなりと入る。
自然の移り変わりをよく観察して
わが身に推し量れば
おのずと生死の問題に答えがでるのではないだろうか。
こうした超巨視的な見方はすてきだ。
キリスト教のような無理な思想を綿密に形作らなくても。

という点で、
すんなり心にしみとおる言葉だと思うのだが
いかがだろうか。

―――――――――――――――――――――――――――――

地の巻 報徳の法則


第三篇 因果輪回の法則


・世の中に見られるすべてのものは、みんな、常にないものだ。
 それを、あると見るのは迷いだ。
  ・・・本来は長短もない、遅速もない、遠近もない、生死もない。
  ・・・こんなふうに迷いからして、
 三界城(自分の心の中に作るとらわれの心)
 という堅固なものができて、
 人を恨み、人をねたみ、人をそねみ、人に憤りして、
 種々の悪果を結ぶのだ。

 これを諸行無常と悟るというと、
 十方空になって、恨むのも、ねたむのも、
 憎むのも憤るのも、ばかばかしくなるものだ。
 これを悟るといい、悟ることを成仏というのだ。


・善因には善果があり、悪因には悪果を結ぶことは、
 だれでも知っていることだ。
 しかし、この因果が、目前にきざして目前に現われるものならば、
 人々も恐れをなし、用心もして、
 善種を植えて悪種を除くはずなのだが
 具合の悪いことに、今日まく種の結果は、
 目前にきざさず、目前に現われないで、
 十年、二十年から四十年、五十年ののちに現われるものだから、
 人々は迷ってしまって、恐ろしさを感じない。

 ・・・けれども世の中万般の事物は、
 原因がないものはなく結果のないものはない。
 一国の治乱、一家の興廃、一身の禍福、みんなそのとおりなのだ。
 恐れもし、用心もして、決して迷ってはならない。


第四篇 吉凶禍福善悪の法則


・世界のうちで法則とすべきものは、
 天地の道と、親子の道と、夫婦の道と、農業の道との四つだ。
 これらの道はまことに両全のもの、完全なものであって、
 すべてのことは、この四つを手本とすればまちがいない。

 ・・・およそ事は、なりゆくべき先を見越して、
前もって決めておくことが肝心だ。

 人は生まれれば必ず死ぬものだ。
 死ぬべきものだということを前に思い定めておけば、
 生きているだけ日々もうけものだ。
 これがわが道の悟りなのだ。
 生まれ出たからには、死のあることを忘れるでない。
 夜が明けたら、暮れるということを忘れるでない。


・吉凶・禍福・苦楽・憂歓などは、相対のものである。
 なぜかといえば、
 ねこがねずみをとったときは楽しみの極みだが、
 捕えられたねずみは苦しみの極だ。・・・


・禍福は二つ別々にあるものではない。
 元来一つのものだ。
  包丁でなすを切ったり大根を切ったりしていれば福(さいわい)だが、
  もし指を切れば災いだ。


・善悪の論ははなはだむずかしい。
  本来を論ずれば、善もなく、悪もない。
  善といって区別するから悪ができるのだ。
  もともと人間の身の勝手な都合からできたもので、
  私のいう人道の上のものなのだ。
  それゆえ、人間がなければ善悪はない。
  人間があって、それからのちに善悪があるのだ。

コンサルティングに強い御堂筋税理士法人&経営エンジン研究所
大阪 税理士 小笠原 でした。

 


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