御堂筋税理士法人創業者ブログ

突然、映画にのめりこんだのは

中学三年生の秋だった。

 

なぜそうなったのかは、

今となっては記憶にない。

 

小さなころの映画とのふれあいといえば、

たとえば、日曜日の朝

家の前の近鉄劇場で

子ども映画会が毎週やっていた。

確か料金は20円だったかなあ。

『百獣の王ライオン』といった

ディズニーの映画などが上演されていた。

近鉄の社会貢献だったのかな?

 

そのほか、小学校での映画会、

野外での映画会などが

ときどき催されていた。

 

もっとも古い記憶としては

ディズニーの『わんわん物語』

すばらしく美しかった(ウットリ)。

 

そして、木下恵介監督の

『喜びも悲しみも幾年月』

これは母親に連れて

行ってもらったが怖かった。

 

どちらもたしか1956年、

わたしが4つの時である。

 

その後、小学校の中学年

くらいになってから、

東宝映画ファンとなった。

 

ゴジラシリーズに、

若大将シリーズ、

駅前シリーズに、

クレージーキャッツものであった。

もっぱら、千日前の

すばる座が常設館であった。

 

とにかく東宝映画は

子供には面白かった。

特に、若大将シリーズのヒロイン

澄子ちゃんこと、星由里子さんは

わたしのあこがれだった。

(今もベストです)

 

他の映画会社には興味がなかった。

裕次郎の日活、

(ガラの悪いのはきらいだった)

大船調の松竹、

(大人の世界で退屈)

大映や東映も関係ないなあ。

(時代劇などまったく関心なし)

 

洋画では、ジェリー・ルイスという

信じられないようなコメディアンがいて、

底抜けシリーズと銘打った

彼の映画も必ず見に行った。

とにかくばかばかしく、理屈抜きだ。

 

父が突然死んだその日

大人だった従兄が

なぜかわたしを映画に連れて行った。

いてはじゃまだったのか、

なぐさめるつもりだったのか、

定かではないが、

見たのが、なんと

『世界残酷物語』という題名だった。

ふしぎな思い出である。

 

また、小学校5年のときに

これはなぜ行ったのか記憶にないが、

ひょっとすると

わたしが連れて行ってほしいと

せがんだのかもしれない。

母と、ヒチコック監督の、

『鳥』という映画を見に行った。

 

鳥が人間を襲いだすという

恐ろしい映画で怖かった。

だが、明らかに名作であった。

 

そういえば、だんだんと思い出してきたが、

小学校低学年のころ

父がNHKに出入りしていて

その関係でドラマのロケに

和歌の浦に泊りがけで

連れて行ってもらったっけ。

 

たしか、里見浩太朗さんや、

山城新伍さんが出ていて、

遊んでもらった記憶がある。

 

それに難波球場(南海ホークスの本拠地)で

芸能人野球大会があるというので

それにも連れて行ってもらった。

 

さて、衝撃だったのは

ディズニーの

『罠にかかったパパとママ』である。

名子役、ヘイリー・ミルズの熱演!

大好きになって、6回も劇場に通った。

すっかり夢中になった。

 

彼女はイギリスの名俳優

サー・ジョン・ミルズの娘で

したがって毛並みもよかった。

 

『ポリアンナ』での

名演技に着目したディズニーは

その後、毎年

『クレタの風車』『夏の魔術』など

彼女の主役映画をリリースし続けた。

 

(なつかしいH・ミルズの双子役、

 Webのおかげで動画も見れる!いいなあ)

 

また同じディズニーのアニメ

『101匹わんちゃん大行進』

にもはまった。

これは小学校6年のときで、4回は見た。

とにかく、色彩がすてきで

けだるくなるようだった。

 

中学校に入っても

東宝の特撮物は大好きで

『マタンゴ』という怪奇な映画は

なぜか記憶に残り、大学ノートに

漫画本として再現したくらいだ。

 

そして、前作からおよそ6年後

『シャム猫FBI/ニャンタッチャブル』

(なんとダサいタイトルだ!

原作はThat darn cat(いまいましい猫))

で大人になった

ヘイリー・ミルズに再会する。

 

(少し大人になったH・ミルズ)

 

この映画にもハマった。

それが中学3年生の夏だった。

何度も映画館にかよって、

セリフは全部覚えてしまったくらいだ。

 

そして、秋になる。

ヘイリー・ミルズの新作が来た。

『二人だけの窓』、

地味な白黒のイギリス映画だった。

監督は、ジョン・ボールディングという。

ミルズはディズニーキャラを脱出すべく

大人の汚れ役に挑戦、これをきっかけに

その監督とくっついてしまった。

 

これでわたしの憧れは

見事に霧消してしまったが、

あとに、映画への熱情を残した。

 

この映画は、その年の

キネマ旬報のベストテンで

確か6位くらいにランクインした。

 

そして、やたら

映画を見に行きたくなってわたしは

当時、事業から引退していて

悠々自適だった本家の伯父

(母の長兄でとにかくやさしい人だった)

にねだって、

いろいろと映画に連れて行ってもらった。

 

たとえば、

名匠、ビリー・ワイルダー監督の

『恋人よ帰れわが胸に』

という名優ジャック・レモンの作品などだ。

 

そして、映画にのめりこみにのめりこむ

高校1年生を迎える…

時代は、1968年である。

つづきは明日に。

 

経営コンサルティングと

会計事務所の融合

 

組織デザイン研究所&

御堂筋税理士法人

 

小笠原 でした。


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