本のご紹介:『印象派の歴史(上・下)』
2025.07.08
読書と修養
おびただしい手紙類など資料からの抜粋とすばらしい筆致で逆風の時代と環境を耐え抜いた画家たちの生きざまを語ってくれます。心が洗われるすばらしい本です。
La vie est douloureuse et belle.(人生は苦しく美しい)
本を読むと、いかに彼らが成功を夢見、日常の糧を得るのに薪炭を嘗め、世俗と戦い、世俗におもねったかがわが事のようにわかり、限りない共感のこころが湧いてきて、胸が熱くなってしまいます。
以下、個人的な戯れ言です。
ちょっと古いですが『赤い風車』のロートレックや、『炎の人ゴッホ』などの名作映画、オペラ『ラ・ボエーム』で描かれたボヘミアンたちの青春が脳裏に浮かびました。
さらに、載っている作品の写真(モノクロですが)やWebで検索して見る傑作に、かってオルセーで出会ったおびただしい画家たちの作品に衝撃を受けた日を思い出しました。
オルセーでは、入館すると印象派たちの前に、アングルなどのマニェリズムを見せられます。確かに筆あとさえ残さない完ぺきな技法には一瞬引きつけられますが、なにも心に残さない。
「まったく無意味だが極めて快いカバネルの作品・・・」と記されているのを見て快哉を叫びました。確かにそのヴィーナスの誕生は、男性の劣情を上品に限りなく刺激しますが、それだけです。(添付写真参照)
奥に進み、階を上がるに連れ、めくるめく感動の世界が展開されます。
オランピアや笛吹きの少年に見るマネの対象を冷徹に見つめる眼。ドガが見出したバレーの世界にある人生の真実と少女たちの努力やうたかたの美。すてきすぎるルノワールの光と影の揺らめきに踊る舞踏会の人たち。睡蓮やルアーブルの夜明けや駅の煙にあるモネの光と色。余りにデンシティのしっかりしたセザンヌのリンゴ・・・どれもこれもが印象的で魅惑的でした。
そういえば中学生のころ、少年サンデーよりも少女フレンドに魅せられ、暇さえあれば、里中満智子さんや西谷祥子さんの絵を模写していた私としては、線と色の適度な共演やっぱりドガやルノワールが好きなのです。
オペラや歌舞伎、音楽や映画、建築も良いのですが、やっぱり絵画がいいなあ。❤
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昨日それについて書かせていただいた本書を読了。
あらためて深い思いに心が満たされている。
1850年代に芽吹いた新たな画家たちの活動から始まり、1880年代にその思想的終局を迎え、さらにまた新たな思潮が生まれ展開していく。
マネ、モネ、ルノワール、セザンヌ、ドガ、ピサロ、モリゾ、シスレー・・・さらにゴーギャン、スーラ、ロートレックたちが続く。
そして時代は、ゴッホ、ピカソの登場となる。時代は永遠に続く。
時代を縦糸に、画家とそれを支えた人たち、行く手を遮ろうとした人たちを綿密に、冷静に、共感をもって描いた珠玉の筆は、最後の15章でその終焉とその後を、哀惜をもって綴る。
それは、直観を信じ、従前を打破しようとして、全霊で挑戦して行った画家たちの人生を総括して見せる。長い長い不遇の時を経て、刀折れ矢尽きた者もいれば、功なり名を遂げた者もいる。しかし時代をInterweaveし、印象派という織物を織った彼らの栄光は変わらない。
ルノワールは最初に成功した一人だが、それでも「小さな成功に値するだけ一生懸命働いてきた」との述懐には、限りない共感を感じるし、
初めてロンドンのナショナルギャラリーに彼の作品が展示されたとき、イギリスの芸術家やコレクターたちが投げかけた「古い巨匠たちの有名な作品の間にあなたの作品がかけられたときから、私たちは、私たちの同時代人の一人が、ヨーロッパの伝統の偉大な巨匠たちとともに展示されたことを、喜ばしく思いました。」との言葉は、この上ない最高の誉め言葉だったろう。
自然の模写(ミメーシス)に叛旗をひるがえし、太陽と光がもたらす自然の色彩を研究した彼ら。それでもゴーギャンは、そこには自由がない、再現の足かせがあるからだと断罪し、時代は対象物を見つめる画家の内面の表現へと移って行った。
「眼の前にあるものの核心をつかみ、可能な限り、論理的に自信を表現するように努力しなさい」と若き画家たちに語ったセザンヌの言葉は、そのまま貸借対照表の表現に向かう私の姿勢にダイレクトに響いた。
対象とする分野はちがうが、私も一人の職人として彼らのようでありたいと希った。
