御堂筋税理士法人創業者ブログ

 さて、世界を制したキリスト教は、一変して社会の抑圧要素となり、ギリシャの文化を破壊し、文明的には暗黒時代を迎える。いわゆる中世である。この時代、思想は神が中心である。神のことを考え、天国のことを考えるのみであった。人間は現世に関心はなく、死後のことばかり考えた。思えば不思議な時代である。

 そしてギリシャ諸思想は、その後ルネッサンスにより西欧に再発見されるまで、アラビア社会に沈潜し、イスラム文明がこれを継承し次世代に引き渡すまでそれを擁護することとなる。

 この間の西欧はキリスト教の神学のみを追究した。その追究はキリスト教の僧たちが担った。神学ということの性質上、その議論は形而上学たらざるを得なくなる。そのもっとも重要な論争は、普遍論争と呼ばれた。それは実在論(Realism)と唯名論(Nominalism)との間のものだった。これは普遍的なものは存在するかについての立場のちがいから招来し、形而上学にとってはたいへんに重大な論争である。

 このような時代であったから、文明の進歩は望めなかった。そんな中で哲学は研究されていく。中世最高の哲学者はトマス・アクィナス(1225頃~1274)である。彼は主著『神学大全』で「哲学は神学のはした女」と位置づけ、哲学を消極的にもせよ保護した。

 そうした折から、中東アラブ世界との交易を通じてベネチアにルネッサンスが起こった。上述したようにアラブ世界が承継していたギリシャの諸思想が西洋に再発見されたのはルネッサンスのきっかけである。

 そして、フランシス・ベーコン(1561~1626)が『知識について』で科学的方法論を説いた。これがヨーロッパ人の科学的思考法に火をつけ、その後の爆発的な西洋の発展をもたらした。このころの思想的結実には、ガリレオ(1564~1642)、ニュートン(1642~1727)など科学のほか、マキャベリ(1469~1527)やホッブス(1588~1679)などの政治論、エラスムス(1466~1536)、トーマス・モア(1478~1535)など人文主義などがある。

 中世の思考は、キリスト教による現世否定であったが、近世に入りデカルト(1596~1651)が、哲学のテーマを神から人間(自我)に大転換させた。彼は自我の主体を確立させた。また『方法序説』で方法的懐疑を打ち出した。しかし一方でデカルトの思想は心身二元論を世にもたらし、その機械論(Mechanism)は、その後の人間の思想生活に深刻な悪影響をもたらした。

 彼は明晰に考えるということはどういうことかを深く考えた人であった。彼は『方法序説』や『省察』でこうした思考を展開した。なぜなら、確実な知識を基に、思想や科学は打ち立てられなければならないからだ。それは、建物が基礎がないとしっかり建てられないのと同じである。われわれは、もの考えていても、ひょっとするとこれは夢かもしれない、悪魔が自分をだましているかもしれないということがある。たまねぎの皮をどんどん剥いて行った最後にあるものは何なのか?彼はそのように思考しながら、最後に、考えている私が居ることは確実であるとして、有名な『われ思う、ゆえにわれあり』(コギト・エルゴ・スム)という言葉を吐いた。

 デカルトは、自己の意識の明証性を解き明かした後、意識にあがる事物の存在の考察に移る。有神論者としての彼にすれば、それは当然だったのかもしれない。そのはじめが神の存在証明である。彼は、始原性、第一性、無限性、完全性といった観点からそれを進めている。

 しかし、デカルトは自我を確立させたがゆえに、精神と肉体の2元論を提起してしまった。これが以後、西欧哲学に大問題を惹き起こすこととなった。この見方は、機械論(Mechanism)と言われる。機械論からの世界観によれば、世界は、例えば車が部品の集まりでできているように、ものはパーツからできあがっていることになる。これを要素還元主義という。ものパーツの集まりなのだから、あるパーツが壊れれば、それは交換すればよいという考え方になる。物理的なものの見方である。無機物を見る場合にはそれでよいのかもしれないが、生物などの有機体を見る場合には、その見方は大きな問題を起させる。生物、人間、組織、社会などの有機体の世界は、そのようになっていないからである。その悪しき(?)適用例が、内臓移植である。鈍感な臓器では、それも成り立つが、複雑な臓器では、それはできない。有機体というのは、相互依存の関係でできている。こうした世界観を有機体論(Organism)と言う。

 物質の世界においては、エネルギー保存の法則により、1+1は2にしかならないし、またエントロピーの法則により、放っておくとだんだん朽ちていく。それに比して、精神の世界では、統合による新たな価値創造が生まれるし、また二宮尊徳翁がいわれるように、自然は放っておくと原始化する、それを秩序化するのは人の道だというわけである。ドラッカーが「1+1が2を超えるものを創り出すのは精神の世界においてだけである。」といっているとおりである。

 デカルトや、それに続くスピノザ、ライプニッツなどの形而上学における思弁的で演繹的な思想の態度は、『大陸合理論』(Rationalism)といわれる。たとえば、スピノザ(1632~77)は、主著『エチカ(Ethics)』で、世界の実体は神であり、精神と物質はその現われ(属性)にすぎないとし、世界は神の永遠の相の元に調和的であると崇高に主張し、デカルトの心身分離論ではなく、心身平行論を説いた。スピノザは、人種的にはユダヤ人であるが、ユダヤ人社会から破門され、また思想的には無神論として排斥され、孤独であった。ライプニッツ(1646~1716)は、世界は無数のモナド(単子)からできており、それが神の予定調和によって、世界がなりたっていると考えた。予定調和の論は、森信三先生(1896~1992)もこれを援用しておられる。

 一方、英国ではその民族的性質に由来するのか、帰納的な思想の態度が主流であり、それは『英国経験論』(Empiricism)といわれた。その嚆矢はジョン・ロック(1632~1704)である。ロックは『人間悟性論』で、人間の精神は、元来が白紙(タブララサ)であって、観念は経験により習得されるとした。ロックは、政治・法学分野でも著名で、王権神授説を否定し、社会契約論を展開して、近代の政体や法体系を導いた。これが、後にモンテスキューの三権分立思想に発展していく。

 英国経験論は、その後バークリー(1685~1753)、D・ヒューム(1711~76)に引き継がれる。バークリーは、宗教家でもあるが、物の実在を否定し、それは観念の束であるとして、「机は今見た瞬間にたまたまあるが、私が目をそらすとないかもしれない」などと唯心論的な主張をした。ヒュームは『人間本性論』の中で独自の認識論を展開し、われわれは印象と観念をもつとした上で、物事の因果関係を否定し、それはくり返し性、時間の前後関係からそう見えるだけだとした。

 ところで、ものを考える方法には、アリストテレスの時代から、演繹法(Deduction)、帰納法(Induction)があった。演繹法は、大前提、小前提から結論を導き出す方法であり、その正しさは絶対である。それゆえ、数学の証明は演繹法によってなされる。数学は純粋な数的論理学であり、それゆえ3歳になったら子供には数を教えよといわれる。これは数が思考力を鍛えるもっともよいものだからである。

 論理学にはもうひとつ言葉(記号)によるものがあるが、これは、フレーゲ(1848~1925)、ド・モルガン(1806~71)や、英国のホワイトヘッド(1861~1947)とラッセル(1872~1970)による労作『プリンピキア・マテマティカ』によって進められた。演繹法のよいところはそこで得られる知識が絶対であることだが、欠点は前提の範囲でしか思考できないことである。一方の帰納法は、例えば私が見た白鳥はどれも白い、だから白鳥は白いと主張するがごとく、演繹法に比べて多少の思考の拡大余地があるが、オーストラリアで黒い白鳥が発見されたように、たった一つの例外が出た瞬間にその正しさは崩れ去る点にある。

 19世紀後半、アメリカのチャールズ・サンダース・パース(1839~1914)は、第三の思考法として仮説思考(Abduction)を称揚した。この仮説法こそが、人間に創造力を発揮させる。仮説法そのものは、科学的思考法として、古くからあるものだが、カール・ポパー(1902~94)により取り上げられた。彼の『科学的発見の論理』によれば、科学的思考法とは、①仮説の提示、②実験による証明、③数学的記述による再現可能性、④新たな仮説提示の自由性、の4つの条件を挙げている。

 余談だが、ポパーは『開かれた社会とその敵』で、人間の思考形式を、理想主義と現実主義の2タイプに分け、理想主義者による予言が世界を悪しき道に導くとして、プラトン、ヘーゲル(1770~1831)とマルクス(1818~83)の罪悪を暴いている。昨今の民主主義の危機を思うにあたって考えさせるところが多い。この仮説思考が、組織の進化発展、私のいう『学び続ける組織』(Learning Organization)の条件だからである。

 話は元に戻ってと。さて、ヒュームのこの論に独断のまどろみからたたき起こされたのが、プロシアのカント(1724~1804)であった。彼は認識の正しさを守るべく、合理論と経験論の統合をめざした。カントは東プロシアのケーニッヒスベルク(今のロシア領カリーニングラード)で生まれ、生涯その地で過ごした。生活ぶりは謹厳実直、毎日散歩する時刻も正確無比一定で人々は彼が通ることで時間を知ったとも言われる。

 カントは、代表著書『純粋理性批判』で、感性、悟性分野において、物自体の世界は人間には決してわからないとし、私たちが判るのはそれを五感で感じて、頭の中で再構成する表象だけだとする。彼は人間の思考形式をアリストテレスの『カテゴリー論』を参照にしたア・プリオリ(先験的)な形式と、ア・ポステリオリ(後天的)な複合概念に分けた。この分野は、認識論と言われるが、アリストテレスのカテゴリー論は彼以降2000年以上も批判を許さない分野であった。

 こうしたことを前提に、彼はいよいよアポリア(難題)についての思考可能性に挑む。アポリアとは形而上学的な問いで、時間に始まりはあるか、空間に果はあるのかとか神は存在するのかといった命題である。結論は、肯定的証明もできれば否定的証明もできるということで、これらの問題の解決は不能であるとして葬り去った。彼はこれを「コペルニクス的転回」と自賛した。

 カントはその後『実践理性批判』、『判断力批判』を通じて、理性の問題を追求し、倫理、美的センスを論じていった。その道徳法則は「なんじの意志の格律がつねに同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」という定言命法として定式化される。彼は今の国際連合の枠組みを提示して、世界の平和を希求した。

 わたしは、私たち会計事務所コンサルタントは、この物自体は決してわからないというテーゼから導き出される、「事実というものはない、あるのは見解である」ということを規範としてもっていなければならないと強く考えている。それはコージプスキー(1879~1950)のいう「地図は現地ではない」という謙虚さ、ドラッカー(1909~2005)がいう「すなおに聴く」ということに通じるものである。

 その後、ドイツでは、ロマン主義が吹き荒れ、またドイツ観念論として、自我の探求を進め、フィヒテ(1762~1814)、シェリング(1775~1854)を通じて、ヘーゲルに至る。ヘーゲルは哲学の全分野を網羅した最後の偉大な哲学者である。彼は『精神現象学』により、テーゼ(A)、アンチテーゼ(非A)、アウフヘーベン(止揚)による弁証法を考案し、人間の進歩は絶対精神に至る過程だとして、歴史的見方を提示した。これはよき仕事であり、私たちも、顧客を見る場合には、必ず歴史的な見方をすべきだという教訓を与えてくれる。しかしわたしは実のところ、彼の哲学は張り子の虎の感を否めないように感じている。ヘーゲルのこうした考え方を借用したのがマルクスであり、これはその後の世界に甚大な悪影響を齎した。しかしわたしは文豪ゲーテ(1749~1832)が好きである。彼は、豊かな感性と洞察力により、単なる機械論を超えている。

 イギリスでは、倫理学を経由して、経験的な学問、政治学、経済学などが発達した。英国経験論は、その後道徳哲学、政治哲学、経済学などの分野を重視するようになる。ヒュームの後、ハチソン(1694~1746)やアダム・スミス(1723~90)が『道徳感情論』の中で市民社会における道徳を論じた。またベンサム((1748~1832)、J・S・ミル(1806~73)は、『最大多数の最大幸福』という功利主義を展開し、政治の分野での理論的基礎ともなった。アダム・スミスは重農主義や重商主義を排し、当時英国がその時代に入りつつあった産業革命を見据えた『国富論』により、分業と労働価値説を説いた。経済学はその後J・S・ミルなどを経て、ケインズ(1883~1946)革命に至る。

 フランスでは、ルソー(1712~78)が自然に帰れと主張した。彼は、教育の分野でも高く評価されているが、わたしは好まない。その後、フランスではモンテスキュー(1689~1755)の『法の精神』ののち、フランス革命を経て、百科全書派、などが生み出されていった。

 アメリカでは、チャールズ・サンダース・パース、ウィリアム・ジェームズ(1842~1910)、ジョン・デューイ(1859~1952)らが出て、プラグマティズムと言われた。ジェームズの『宗教的経験の諸相』やデューイの『学校と社会』などは名著である。

 哲学は、チャールズ・サンダース・パースにより、規範哲学と応用哲学に分けられるが、すべての学問は、元々は哲学に含まれていたのが、しだいに分化していったものである。規範哲学は、論理学、倫理学、美学に分けられ、それぞれ真善美という価値の異なる側面をめざすものであるとする。それとは別に形而上学がある。形而上学は古来人間の探求心を掻き立ててきたし、思考能力を錬磨してきた。ものごとの本質的意味を問う。もの、形式、時間、空間、神などの意味である。

 20世紀の哲学は、実存主義の時代となる。ニーチェ(1844~1900)、フッサール(1859~1938)から、ハイデガー(1889~1976)、サルトル(1905~80)に続く事実存思想は、人間の有期性を論じて率直である。

 こうした思想に、またその後の学問思想に決定的に重要な影響を与えたのは、チャールズ・ダーウィン(1809~82)の『進化論』である。これは西欧社会に多大な精神的影響を与えていた旧約の創世記の考え方、世界は神が七日間で創り給うたという考えに致命的な打撃を与えた。進化論の主張は、生物はもっとも環境に適応したものが生き残るというものである。そしてその仕事は突然変異によって進められる。この仮説はすばらしいものであり、人類史上の最高の仮説の一つであると思う。

 ちなみに、この進化論仮説はコンサルティングにおいて極めて重要な規範でもある。すなわち成長発展が半ば強制されている企業において、環境への突然変異による適応という考え方は、仮説と検証による経営環境への馴化という考え方で置き換えられる。そのために、『学び続ける組織』が希求され、それはリーダーの自由な発言を歓迎する精神、そのための飽くなき修養の重要性が明らかになるのである。

 さて、このダーウィン革命以後、物理学から化学、生物学、動物学、生命科学、脳神経科学の発展ぶりにはめざましいものがある。デカルトが主張した心身二元論、それを打破しようとしたさまざまな思想家の努力は、自然科学者の徹底した観察によって、動物の延長線上としての人間、その言動をもたらす脳内現象の解明がしだいに進んできている。それが人工知能(AI)の研究に寄与している。

 物理学は、ケプラー(1571~1630)、ガリレオを経て、ニュートンが世に出た。彼の『プリンピキア』は数学の素養なしには読めないが、星の運行と地上のりんごの落下を同じ数学法則で仮説立てしたニュートン力学は、これまた人類史上に冠たる思考の結実である。ニュートン力学も永年批判を許さない思考の牙城であったが、20世紀初頭、アインシュタイン(1879~1955)が時空連続体として相対性理論を打ち出し、またシュレーディンガー(1887~1961)やハイゼンベルク(1901~76)などによる量子力学が生まれた。量子力学の誕生により、物質はものでもあり波でもあるとし、その不確定性が示される。

 この量子力学的見方は、人間の集団の力学にも示された。クルト・レヴィン(1890~1947)により始まったとされる組織開発の分野がそれである。そこでは人間の集団は、機械論的ではなく有機体論的な見方がなされ、組織開発とそれをファシリテートするチェンジ・エージェントの介入の考え方が結実していった。この考え方もコンサルタントには不可欠の規範である。

 さて、数学は、他の学問分野とは一線を画する特異性をもつ。それは純粋な演繹理論に基づくということである。また数学は、すべての科学分野で必要なツールである。それゆえ、数学に親しむことは、子どもの教育上重要である。3つになったら数に親しめさえよという教えである。数学は、数論、幾何学、代数学などに分かれるが、むずかしいことはともかく、ビジネスマンやコンサルタントには、数学的センスが必須である。数を使って現象を測定し、分析するということはぜひマスターしておく必要がある。

 一方で、19世紀には心理学が勃興した。無意識を発見したフロイト(1856~1939)、集合的無意識やタイプを論じたユング、兄弟関係と劣等感から性格形成を論じたアドラー(1870~1937)に始まり、まさに百花繚乱の分野であるが、コンサルタントとしては、タイプ・インベントリー、エゴグラムほかいくつかのタイプ論はコンサルティングのプロセス論として必ず習得しておかなければならない重要概念である。

続く

会計事務所と経営コンサルティングの融合

御堂筋税理士法人&組織デザイン研究所

小笠原 でした。

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