御堂筋税理士法人創業者ブログ

わたしが同好の士といっしょに

学んでいるのが『価値観講座』です。

もうすぐ、吉田松陰の本を学ぶので

その準備として

松陰の生涯を本でなぞりました。

参考にさせてもらったのは

玖村敏雄という方の

『吉田松陰』です。

(文春学芸ライブラリー)

この本は、森信三先生が

『修身教授録』の中で

言及されておられたものです。

玖村敏雄という人は

山口県出身の教育学者で

明治29年生まれ、

昭和43年になくなっておられます。

ペスタロッチや松陰の研究者で

吉田松陰全集の編集委員を務めた

ご経歴をお持ちです。

玖村先生の松陰伝は

松陰の教育者的あり方に

焦点をあてたものらしく

その点の資質が

よく描かれているように思います。

松陰の生涯を

超かんたんにお話すると

慈愛にみちた家庭に生まれ育ち

叔父の兵学家を継ぎ、

年少より藩主にも、

その学才を認められつつ成長した。

当時は、欧米列強が

日本に開国を求めて姿を見せ

世論がかまびすしい時代です。

松陰は、九州、江戸、東北へと

見聞を広めるため遊歴し

その途中で脱藩までした。

その咎で萩に帰還させられたが

また江戸に遊学し

ちょうどその折ペリーの船に

乗り込もうとして逮捕されました。

そして萩で獄につながれましたが

その獄の風を一変させるほどの

教育者的指導力を発揮するのです。

やがて獄から自宅蟄居となり

有名な松下村塾で

郷士の指導にあたるのです。

そこで学んだ秀英の才

その後の維新への道筋において

重要な役を担い斃れた者

維新後の指導者となった者

数多く輩出しました。

しかし、勝れて実践の人であった

松陰は時代騒然の中で

さまざまな画策も行います。

時あたかも安政の井伊時代

松陰も取り調べに遭い

江戸において死罪となったのです。

齢29歳でした。

その後、明治に入り

その先人として

幾多の人材を育てた功は

広く認められ

今日に至っているわけです。

―――――――――――――――

さて、われわれは松陰先生の

この生き方から

何を学ぶべきなのでしょうか?

森信三先生が

道徳の手本として

二宮尊徳翁とならび

松陰先生を挙げる

そのよって立つところは

なになのでしょうか?

わたしの問題意識は

そこにあります。

かんたんに考えると

何もわざわざ死刑にならなくても

よかったと思ってしまうのですが

でも松陰伝を読むと

それは松陰先生の

時代における役割として

必然のことであったんだなと

思い至りました。

松陰先生というと

生徒の性格を的確にとらえた

春風駘蕩のごとき

あたたかい人柄による指導が

つとに言われています。

それは、

父母、親戚、兄弟の

仲睦まじさに原点があります。

「家庭における幼児教育は

最も多く母の感化によって為されるが、

それは、

『只正しきを以てかんずるの外

あるべからず。…

およそ人は

天地の正しき気を得て形をこしらえ、

天地の正しき理を得て

心をこしらえたるものなれば、

正しきは習わず教えずして

自ら持ちうる道具なり。

ゆえに母の行い正しければ

おのずから感ずること

さらに疑うべきにあらず。

これを正をもって

正しきを感ずると申すなり』

されば、母の行い

もっとも慎まざるべからず。

今その主要なる点をあげて見れば、

先祖を尊び、

神明を崇め、

親族をむつまじくする

の三事に約せられる。」

その次の来るのが

読書と思索です。

松陰先生の読書量と質は

はんぱではありません。

年間500冊になんなんとし

それも、まとめをしたりしながらです。

だから自在に引用でき

さらに深い思考ができ

それゆえ聴く者をして

深い思いに導けたのでしょう。

なにしろ

牢獄の風を刷新し、

あまたの才を輩出した

教育指導力は

とてもまねできないとはいえ

教育者の鏡でしょう。

(経営者は教育者です)

「方法的にこれをみれば、

松陰が『論語』『孟子』等を講じて

なしたところの自敬自省の教育と

俳諧書道等の創作練習による

人間的審美的情操の陶冶とを

並行せしめたということにすぎない。

この簡易なる方法をもって

よくかの成功をもたらし得たのは、

松陰その人の

偉大なる教化力によるのである。

そうしてかかる教化力は

もっとも多く天分より

ほとばしり出るものであり、

言説を超えるところがあるけれども、

『講孟余話』などを精読するならば、

人により感ずるところに

ことなる程度と方面があるであろうが、

必ずや大いに

啓発せしめられるところは

あるものと信ずるのである。」

とあるのは、さすが教育者の

筆致だと思います。

価値観講座でとりあげる

『講孟余話』についてですが、

「『孟子』を語りながら、

常に日本を語り、時代に論及し、

自己一人に沈潜し行く

求道的青年の姿が

あざやかに浮き彫りに

せられてくる。

この意味において

松陰を知ろうとする者には

必須第一の文献である。」

「およそ学をなす者は

何のためにするのかを

その『初一念』において

確立すべきである。

この初一念のいかにあるかが

学問の真偽をわかれしむる

ところとなるのである。」

「学問は人間が自らを

真の人間にせんために、

換言すれば

禽獣道(けだもののあり方)に

陥っている自らを恥ずる心において

求められるべきである。

禽獣道を離れるには

人が禽獣と異なるゆえんを

知らなくてはならぬ。

それを知ることが

学問の第一義である。

而して、それは

五倫五常を得ると失うとより

外はないのであって…」

※五倫…君臣の義、父子の親

 夫婦の別、兄弟の序、朋友の信

 の5つに代表される

 人間の社会関係

※五常…仁義礼智信

「松陰はその短かった生涯を

まったく国家にささげ続けて終わった。

その間になしたことの中には

欠点もあり未熟な点も

なかったわけではないが、

この熾烈なる憂国報公の

精神は純一そのものであった。

この書もかかる精神の

躍動途上の産物であるから、

随所にその態度が見えるのである。」

私は、この伝を読みながら

結局、時節はまだ

維新の萌芽を内に含みつつ

到来しておらず、

松陰先生は、そうした中で

自身はそれを

生きてみることはなく

自分の役割は

来るべき時にそなえて

有為の才を育て

その先駆となって

手本を見せ

身をもってリードすることだと

おのれの運命を観じたのだと

ひどく納得がいったのである。

この続きは、またお話したい

と思います。

御堂筋コンサルティンググループ

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組織デザイン研究所&御堂筋税理士法人

税理士コンサルタント 小笠原 でした。


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