御堂筋税理士法人創業者ブログ

過去1000年での西洋の最高傑作の文芸作品に選ばれたという
ダンテの『神曲

中学校の歴史で名前は聞いたことはあるが
まったく縁遠い本であった。
なんの因果で読むことになったのか。(T_T)

さてはこれを読むのに、なんと5月
まるまる一ヶ月かかってしまった。
ちょっと歯ごたえのある書物になると
とたんに読書速度がおちる、
かなしいほどの粗雑な脳みそである。

さて本の内容だが
法王派、皇帝派に分かれて
政争に明け暮れていた13世紀後半のフィレンツェ
政治家でもあった憂愁の詩人ダンテは、
不遇のときを過ごしていた。

その時期に、創作した
若くして夭折した憧れの存在であったベアトリーチェと
敬愛するローマ時代の詩人、ウェルギリウスの魂に導かれて
地獄、煉獄、天国を生きているうちに
遍歴体験する壮大なスケールの叙事詩である。

ギュスターヴ・ドレという画家の
挿絵がまたわれわれの想像力を掻きたてる。

全篇は100章に分かれ、
地獄では、罪に応じた責めが
煉獄では、赦されるための償いが
そして、天国では生前清らかに生きた人たちの
神とともにいませし至福の様子が
14,233行の壮大な長編叙事詩として高らかに詩われる。

地獄篇(インフェルノ)では、
アリストテレスの『倫理学』でいう三つの邪悪、
「放縦」「悪意」「獣性」を基本として、
さらに細分化された罪に応じて
亡者が永遠の責め苦に苛まれている様子が
克明に描き出される。
その描写の写実的詳細さ、動物へのたとえの秀逸さは
圧倒されるやら、感嘆するやら、いやすごい。

ウェルギリウスとゲーテとの関係の描写は
まさに、よき父と子、師と弟子の心地よい関係を
余すところなく描き出し、とても影響を受けた。

ウェルギリウスの口を借りて、ダンテは自身をこう励ます。

羽根布団の上に坐り、錦の掛布団の下に寝て、
 名声の得られたためしはない。
 名もあげずに生涯を終える者が、
 地上に残す己の形見は、
 いわば空の煙、水の上の泡(あぶく)だ。
 さあ立て、もしおまえの魂が肉体の重みに耐えるなら、
 あらゆる戦闘に打ち克てるはずだ、

 その魂の力で呼吸困難に打ち克て。
 鬼から逃れたというだけでは事は足りぬ。
 もっと長い〔煉獄〕の坂を攀じ登らなければならぬ。
 私のいう事がわかったら、おまえのためだ、頑張れ」

そしてダンテは自らこう宣言する。
「先生、行きましょう。しっかりと元気を出します」

それに呼応して師、ウェルギリウスはこう言う。
もっともな願いは即座に聴いて、
 黙って実行に移さねばならぬ。
」(地獄篇24歌)

胸が熱くなった。こうありたい。

中世哲学の権威、エチエンヌ・ジルソンという人は
「石で造られた聖堂はフランスのものである。
 思想で造られた聖堂は、イタリアのものである。」
と、ダンテの『神曲』やトマス・アクィナスの『神学大全』を讃えあげたそうである。
(余談だが、なんとアクィナスのものは何十巻にもなるほど長大である)

さらに、地獄篇26歌では、
未知の世界に乗りだしていく者の
求知心の激しさを見事に謳いあげ
後世の人たちを奮い立たせた。

「『諸君』と私はいった、
 『百千の危険を冒し
 諸君は世界の西のさい果てに来た。
 もはや余命の長くはない諸君が
 その短い夕暮れの一刻を惜しむあまりに、
 日の当たらぬ人なき世界を探ろうとする
 この体験に参加を拒みはしまいと信ずる。
 諸君は諸君の生まれを考えよ。
 諸君は獣(けだもの)のごとき生を送るべく生を享けたのではない。
 諸君は知識を求め徳に従うべく生まれたのである

なんという高い使命感と倫理観に基づかれた、励ましの言葉であろうか。
魂の高ぶりを感じざるを得ない。

そして、ダンテは煉獄へと登って行くのである。

たまたまだが、これを書いているわたしの後ろで
テレビでは、N響がベートーベンの『第九』を奏でていた。
気分にぴったりのバックグラウンド曲であった。

コンサルティングに強い経営エンジン研究所/税理士法人小笠原事務所
大阪 小笠原 でした。


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