御堂筋税理士法人創業者ブログ

高校に入ってから

映画への熱中はますます

ひどくなっていった。

 

そして、映画雑誌を

中学3年のころから買いだしていた。

 

当時、映画雑誌といえば

『スクリーン』と『映画の友』

という2つの月刊誌があった。

わたしはやや大判の

『スクリーン』を好んで読んだ。

『キネマ旬報』という専門誌もあるのだが

あいにく女優のカラー写真などないし

映画の評論ばかりで

評論家が選出する

ベストテンが発表される2月だけ買った。

 

いまなら多少、映画について

いいとか悪いとか語れるかもしれないが、

当時は、何の判断基準もなかった。

 

さて、その頃思い出に残る映画といえば

真っ先に思い出すのが、

『卒業』という映画である。

キャサリン・ロスとダスティン・ホフマン

がういういしく、

そこに熟練のアン・バンクロフトがからむ。

マイク・ニコルズ監督の

清新な演出が際立った。

それに、サイモンとガーファンクルの音楽が

鮮烈だった。

 

次に、『ロミオとジュリエット』!

フランコ・ゼフィレッリが

これもういういしい

オリヴィア・ハッセーをヒロインに

若々しいシェークスピア悲劇を創造した。

 

これらのみずみずしい映像は

青春の門に立ち、

その中に歩みつつあった

私たちにぴったりだった。

 

わたしの洋画への興味は

さまざま映画の本を通じて

限りなく広がっていった。

 

淀川長治さん、荻昌弘さん、

そして、佐藤忠男さんといった

方々の評論を読みふけった。

『世界映画史』『日本映画史』などだ。

 

また、当時もっとも権威があった

ジョルジュ・サドゥールの分厚い

『世界映画史』もむさぼり読んだ。

 

創世記からサイレント全盛期、

そしてトーキーの登場から

戦前の映画全盛期などの

事情もだんだんと知っていった。

 

そして、戦前の

すばらしい作品群を知るにいたった。

 

映画創成期の

サイレント映画までは

手が回らなかったが

トーキー以降の名作は

機会をみつけては

劇場に足を運び、

テレビにくぎづけになった。

 

ちょうど当時、

UHFチャネルができて

サンテレビ、京都放送

といったテレビ局が開局していた。

 

これらの局では、

放映するコンテンツが足りず、

そのために、昔の名作映画をよく放映していた。

わたしは、眠い目をこすりこすり

必死でアンテナの向きを調整しながら

画面を見たものだった。

 

 

古い映画は、それ以前から

午後のおそい目に放映されていたが

ズタズタにカットされたものだった。、

それだけにこのUHF放送は

とてもうれしかった。

 

学校では、何人かの映画ファンがいて

一冊の共有ノートを作り、

順番に意見や評論など

見よう見まねで書いてみたり、

作品や俳優のベストテンなどを

選んでみたりしては、

回し読みしていたものだ。

その一冊は今も家にある。

 

さて、映画の好みだが、

はじめは、本場ハリウッド

のものが中心だったが、

やがて、戦前のフランス映画、

ドイツ・オーストリア映画など

欧州の映画の魅力に惹かれていった。

 

戦前といっても、その頃からだと

ほんの30年前である。

今、1980年代を見るようなものだ。

 

たくさんある中で

一本を挙げるとすれば

ドイツ映画の『会議は踊る』

(Der Kongress tanzt)だ。

 

ウィーン会議のさなか

ロシア皇太子と恋におちる

お針子の恋を詠った。

 

リリアン・ハーベイがヒロインを好演した。

8分になんなんとする

ウィーン市内のシュナイデライのお店から

郊外の皇太子のお城まで

馬車に乗って召される、

恋する乙女の喜びを体現した

移動撮影のカットなしの名シーンは

 

馬上で彼女が歌う

わすれえない名曲、

『Das gibt nur einmal』は

https://www.youtube.com/watch?v=h5cWBv9gm6Q

(2分ごろから最後まで)

とどけるほど甘美なメロディで

わたしは魅了された。

さすが、音楽の国である。

 

(会議は踊るのワンシーン)

 

はじめてヨーロッパに行ったとき

セレクトした国、オーストリア、

(当時関空から直行便があった)

ウィーンのホイリゲ酒場で

楽師にお願いしたのがこの曲だった。

 

フランス映画では

なんといっても

巨匠、ルネ・クレールの

『巴里の屋根の下』、『巴里祭』

https://www.youtube.com/watch?v=mvPRRJ1QJgI

 

あくまでも甘い切なくつらい恋の物語

この上ないシャンソンのメロディに

載せて繰り広げられる。

今見ても、胸が切なくなる。

 

(巴里祭の名花、アナベラ)

 

イタリア映画は戦後だ。

デ・シーカ、ピエトロ・ジェルミなど

家族主義のその色合いは

日本人の感性にぴったりだった。

『自転車泥棒』や『鉄道員』などだ。

切ないくらいの庶民の家族愛!

 

その後、フェリーニ、ヴィスコンティ、

パゾリーニなどが出る。

彼らの魅力を知るのは

はるか後のこととなる。

 

もちろんハリウッド映画も大好きだった。

中でも、ウイリアム・ワイラーの

映画は重厚な演出ですばらしかった。

 

西部劇のジョン・フォード

人権派のフレッド・ジンネマン

ビリー・ワイルダー、フランク・キャプラ…

影響を受けた映画作家は数知れない。

特別にすごい映画もあった。

オーソン・ウェルズの

『市民ケーン』などがそうだ。

 

男優なら、

ゲーリー・クーパー、

ヘンリー・フォンダ、

グレゴリー・ペック、

ポール・ニューマンなど

 

女優なら

『風と共に去りぬ』のメラニー役

オリヴィア・デ・ハヴィランド!

その妹である

『レベッカ』『ジェーン・エア』の

ジョーン・フォンティーン

『王様と私』の

デボラ―・カー

https://www.youtube.com/watch?time_continue=8&v=QgVPnWmUqd4

ノーブルで完璧な知性美を誇り

きれいな英語だった。

スクリーンの向こう側に

慕情のような憧れを抱いていた。

 

そうした昔の名画は

ミナミであれば、『弥生座』など

安い名画劇場に見に行った。

 

また、音楽にも魅了された。

『避暑地の出来事』

『さらばベルリンの灯よ』

『野生のエルザ』

『ムーン・リバー』

『ドクトル・ジバゴ』などなど

今もどこかでBGMとして流されると

当時を思い出す。

 

そうそう、

イギリス映画も忘れてはならない。

たとえば、

キャロル・リードの『第三の男』

ツィターの哀切の音色に載せられた

ウィーンの戦後。

 

そして

大好きなデイヴィッド・リーン、

『逢引き』、『戦場にかける橋』、

『旅情』、『ドクトルジバゴ』…

上質である。

 

なんといっても

『アラビアのロレンス』は最高だ!

清潔とさえいえる砂漠に

魂を燃焼させたロレンスを

ピーター・オトゥールが好演した。

わたしも、このように

自分のパッションに

人生をささげて行きたい。

わたしのもっとも好きな作品のひとつだ。

 

ロシアでは、無声映画、

別格の『戦艦ポチョムキン』だろう。

あの驚異のカット割りは

高校生でも開いた口が塞がらなかった。

 

しかし、ミーハーのわたしは

なんといっても

『アンナ・カレーニナ』で出会った

アナスタシア・ヴェルチンスカヤ。

 

NHKの『夢で逢いましょう』で

来日したときの

今は亡き坂本九さんとのインタビューが

You Tubeで見れるのはうれしい限りだ。

 

(アナスタシア・ヴェルチンスカヤ)

 

そうそう忘れていた。

別格の巨匠がいた。

チャールズ・チャップリンだ

『町の灯』『モダンタイムズ』

『独裁者』『殺人狂時代』

そして『ライムライト』…

 

社会を糾弾しつづけ、

人間を洞察しつづけた孤高の作家だ。

自らつくったテーマ曲も秀逸であった。

 

思い出はつきない。

だが、映画にのめりこんだ時期の

最後を飾るのは、

初公開から5年後のリバイバル上映でみた

『サウンド・オブ・ミュージック』である。

ザルツブルグの風景と

珠玉の音楽の数々に

家族の愛と勇気が込められた

玉手箱だった。

 

トラップ一家の長女リーズル役を演じた

シャーミアン・カー!

それにしても可憐だった。

なんと数年前

亡くなられたことが報じられた。

時代の移ろいを感じた。

 

この映画は40回以上見た。

上映館『千日前セントラル』で、

朝から夜まで一日4回見るのである。

DVDなどない時代、

こっそりとカメラと8mmカメラを持ち込んで

全シーンを撮影したものだ。

こんなことをしているのだから

勉強はまったくほったらかしであった。

だから、もちろんのこと

全場面のカット割りやせりふは

頭の中にあった。

 

ミュージカル映画も大好きだった。

『南太平洋』、『オズの魔法使い』、

『雨に唄えば』、『シェルブールの雨傘』、

『マイフェアレディ』、『フィニアンの虹』、

『ローマで起こった奇妙な出来事』、

『5つの銅貨』…

意味も分からない歌を

必死で覚えては口ずさんだ。

 

わたしが今日、これほどまでに

オーストリアが好きで、足しげく通うのは、

これらの映画

『サウンド・オブ・ミュージック』、

『会議は踊る』、『第三の男』

が原因である。

 

そして、さらに

音楽やオペラを好むのも、

映画にそうしたものが

あったからであろう。

映画の力はおそろしい。

 

これはすなおに

告白しておかなければならないが

女の子との会話もできず
まして彼女ができるなど
現実には考えられなかった
もてない男の代表のような

わたしにとって、まさに
映画は、代償恋愛だったのだ。
 

だから、圧倒的に
ロマンスが好きであった。

ある意味、この映画のお話は

わたしのヰタ・セクスアリス

なのかもしれない。

 

すきな映画、監督、俳優、音楽を

語りだしたらきりがない。

まだまだ紹介できていない

名画は数多くあるが

これくらいにしておこう。

 

ところで、良い映画を求めて

本や自主映画観賞会を

探しつづけているうち、

わたしは、しだいに

日本映画の魅力とその偉大さに

開眼していくこととなった。。。

1969年、高校2年生のことであった…

 

経営コンサルティングと

会計事務所の融合

 

組織デザイン研究所&

御堂筋税理士法人

 

小笠原 でした。


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