最近読んだ本の中で心に響いたことば
2012.10.16
ブログ
やっと、読みかけていた本を読み終えた。
読みなれない本でふーふーいいながら。
題名は、『エセー』 16世紀フランスの思索家 モンテーニュの主著だ。
こういった、教訓的な本もいいですね。
途中からやっとその良さがわかってきました。
なんせ、子どものときお父さんの指示で
家庭教師の他所の家庭で
ラテン語で育てられた人だから
古典があたまにすべて記憶されているのでしょうね。
バンバンと引用がでてくるわけです。
プラトン、セネカ、キケロ
ホラティウス、ウェルギリウス、ルクレティウス、プロタルコス・・・
舌噛みそうやなあ(´?д?;`)
さて印象に残るところをいくつか、
「愚かしさ、頭のおかしさは、ちょっと注意してやったくらいでは癒りはしない。
・・・ キュロス(ペルシャの王様)が『人間というものは、立派な演説を耳にして、
戦場で勇気があふれ、戦闘的になったりはしない。
いい歌を聞いて、すぐに音楽家にならないのと同じだ」と答えた・・・
これは、ことにのぞむ前に、長い一貫した教育で教え込まなければならないことなのだ』
→まさにそうだなあ。社長が少々演説をぶったくらいで、
社員が変わるなんて、考えがおめでたすぎるものなあ。
「ソクラテスは、議論のためよりも、議論する人のために・・・
議論をしているように思われる。
彼はなんでもそこにある材料を使う。
それは、その問題を解明するよりももっと有用な目的
つまり、彼が訓練しようとしている人々の精神を
啓発するという目的を持っているからだ。・・・
揺りたて、狩りたてるのが本来のわれわれの目標だ・・・
真理を追究するようにわれわれは生まれついているのだから。
真理を手に入れることは、もっと大きな能力に属している。
それは、デモクリトスも言うように、
深遠の底に隠されているのではなく
むしろ、神の知識のなか、無限に高いところに置かれている。」
→コーチングや人を育てること、そして追求すべきものは
単なる知識ではなく、あり方や考え方により価値をおくべきなのだなあと思う。
「わたしは、自分の姿を取りだすために、
自分を何度も仕立て上げ、
つくりあげなければならなかったので、
もとの型のほうがそれで固まり、
なんとかかたちをととのえることになったのだ。
他人のために自分を描きながら、
わたしは自分の中で、はじめのころにわたしが使ったいろよりも
もっときわだった色で自分を描いた。
わたしの本がわたしをつくったのより以上に、
わたしはわたしの本をつくりはしなかった。」
→書くということが自分を形成するのだなあ。
そういうものだなあ。書いたり、しゃべったりして
書いた、しゃべった自分になっていく・・・
そういう力を利用すべきだ。
ちなみに、この文章も、すごくビジュアルなたとえで
とってもよい文章だなあ。
モンテーニュが美文家で、その後
シェークスピア、デカルト、パスカルなど
多くの人に影響を与えたらしいのです。
きりがないので最後にひとつ
「わたしが(他人について)不健康だという判断をくだすのは、
わたし自身が不健康だからではないか」(プラトン)
コンサルティングに強い経営エンジン研究所 税理士法人小笠原事務所
大阪 小笠原 でした。