続・二宮尊徳先生のお話~尊徳思想①
2013.09.19
ブログ
おはようございます。
ここしばらく、ブログを書けずに申し訳ありません。
ばたばたと仕事で朝にレスポンスをすることが多く
ブログを書くまとまった時間がとれませんでした。
それと、二宮尊徳先生に関する本を
読んで、多少頭の整理をしていたものですから。
読んだのは、『二宮翁夜話』という本です。
これは、尊徳先生のお弟子さんが
明治に入って、カバン持ち時代に
先生から聞かされたことをまとめられたものです。
先生の思想を垣間見るのに興味深いので
抜粋してご紹介したいと思います。
全体を10章に分けてある編集なので
その順を追ってご紹介しましょう。
皆さんの経営や生き方のヒントになればと思います。
それになにより自分自身のあり方に
ぐさりとつきささるものばかりです。
天の巻 報徳の根元
第一篇 まことの大道
・まことの道というものは、学ばないでも自然に知るものだ。
・「水鳥のゆくもかえるも跡たえて、されども道は忘れざりけり」(道元)
・「音もなくかもなく常に天地(あまつち)は書かざる経をくりかえしつつ」
・人の書いた道を説くものはすべて完全ではなくくせがある。
それゆえ天地の経文に引き当ててみて、間違いのないものを私は採る。
・神道、儒教、仏教も、同じ大道に入るべき入口の名前である。
⇒つまり、教えは自然のあり方=循環にあるということです。
人間の道は、それから比べるとどうしても不完全であり、
また人の道は、自然のままでは不都合で、常にメンテナンス努力が必要だということ
・わが教は徳をもって特に報いる道だ。天地の徳から、
君の徳、親の徳、祖先の徳など、
人々はみんな広大な恩徳をこうむっている。
この恩徳に報いるのに、君の恩には忠、
親の恩には孝というように、自分の徳行をもってする、
これを報徳というのだ。
(ちなみに報徳学園などの「報徳」と名のついたところは
二宮先生の教えを引き継ぐ系統です)
・神道は、開びゃくの大道で、皇国本源の道だ。
・・・開びゃくの大道がまず行なわれて、
衣食住が十分事たりるようになってからのち、
世の中にもむずかしいことも起きてくる。そのときこそ、
儒教の入用、仏教も入用なのだ。
・若い者は、毎日よく勤めはげむがよい。
それは我が身に徳を積むことなのだ。
・・・過ちはわが身のきずになるのだ。
・・・ひとは、過ちをすれば身のきずになることを知らないで、
けがさえしなければよいと思っているが、それは間違いだ。
過ちは身のきずになるばかりでなくて、
父母兄弟の顔まで汚すものなのだ。
・中庸の所在・・・聖人は「中」ということを尊ぶ。
ところでその中というものは、物によって一々ありかが違っている。
・・・忠孝は、片よらなければ至孝至忠とはいいがたい。
君(上司のことです)の方に一ぱいに片よって、はじめて至忠なのだし、
親の方にぎりぎりに片よって、はじめて至孝なのだ。
・着物は寒さをしのぎ、食事は飢えをしのぐだけで十分なものだ。
そのほかはみんな無用のことだ。
・・・私は若年のときから、ただこの覚悟一つで今日までやってきた。
わが道を修行し、施行しようと思う者は、まずこの道理をよく悟らねばならぬ。
・わが道はもっぱら至誠と実行にある。
それでわが道では才知・弁舌を尊ばない。
それでは鳥獣・草木を説くことができないからだ。
中庸に「至誠は神のごとし」といっているが、
「至誠はすなわち神」といっても悪くはないだろう。
およそ世の中は、知恵があっても学があっても、
至誠と実行とでなければ事はならぬものと知るべきだ。
⇒耳が痛いです。
・庭訓(ていきん)往来(江戸時代の寺子屋の実践テキスト)に、
「注文に載せられずといえども、進じ申すところなり」と書いてあるが、
よく人情を尽くした文だ。
「影膳に蠅追う妻のみさおかな」
・聖人は無欲だと思っているが、そうではない。
その実は大欲なのであって、その大というのは正大の大なのだ。
・・・およそ学問とは、この小欲を正大な欲に導く術のことをいう。
・聖人も、聖人になろうとして聖人になったのではない。
日々夜々、天理にしたがい人道を尽くして実行しているのを、
わきから見て、ほめて聖人といったものだ。
・至道は卑近であって高遠なところはなく、
実徳は卑近にあって高遠なところにはなく、
卑近にみえるものが決して卑近でないという道理を悟らねばならぬ。
・神道は開国の道である。儒学は治国の道である。仏教は治心の道である。
・・・私は、この三道の正味ばかりを取った。これが報徳教なのだ。
戯れに名づけて神儒仏正味一粒丸という。
その分量は、神道一さじ、儒仏半さじずつだ。
⇒先生の思想的背景を言い得て妙である。
・仏教の本旨は、「諸悪莫作、衆善奉行」、
(悪いことをしない、よいことを行ないましょう)
この二句ならば、万巻の一切経を覆うことができるでしょう。
第1章は、二宮尊徳先生の思想の中核を述べたものです。
それは、先生の人生の初期から思想形成の順を追って
形作られたものです。
まとめておきますと
・人間は天からの被造物だ。
・天(自然)のあり方に、人としてのあり方の手本がある。
・人間の思想は、それに比べると不完全である。
・しかし人としての道は、自然がなすがままであるとすれば
善悪の概念が入る人間の道は多少異なるところがある。
・二宮流の報徳思想の、思想背景は
神道2:儒教1:仏教1である。
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大阪 税理士 小笠原 でした。