御堂筋税理士法人創業者ブログ

ピエール・テイヤール・ド・シャルダンという人の書いた
『現象としての人間』という本を読んだ。

この本を読むことになったのは
誰かの本のなかで書名が紹介されていたからだが、
なんでこの本に行き着いたかは、さて定かでなくなった。

この本は、宇宙の生成発展の流れの中で人間存在の位置づけについて語られている。
そして、それを恒久の未来に投射し最後には宗教にまで思考を広げる。
そういう点で、目が洗われるほど視座を広げられる書物であった。

テイヤール・ド・シャルダンは
北京原人の発掘などで名を遂げた地質学者・古生物学者であり、
またイエズス会の会士・司祭でもある。

ダーウィンの進化論革命以降の時代に、科学者としてその仮説を受け止め
学者として、またその一方で、キリスト者の宗教家としても
誠実に思考し、生きた人だと思う。

進化論を認めない立場のカトリック教会から、
フランスでなく、海外で学究生活を余儀なくされ1955年に米国で客死した。

第一次大戦での塹壕生活、アフリカでの布教活動
天津を中心とした研究生活、自ら属するイエズス会からの制約など
心身にふりかかる幾多の試練に耐えて、自らの思想を深めていったらしい。

本の冒頭、この本は決して形而上学的思索ではなく、
あくまでも科学的思索であると述べる。

過去とは分析により解明され、
未来は推察によって考えるしかないとは誰かの言葉であったが、
この本においては、人間の誕生と存在を分析的に解明し、位置づけている。

それは、宇宙の誕生とその後の物質の集合
高分子の生成と、あるときの生命の誕生
その後の進化と意識体=人間の登場
、そして文明の発展という巨視的な流れの視点である。

宇宙は、人間という知性によって始めてその存在と歴史が自覚される。
なんだか禅問答のような話だが、なるほどと思わせる。

そして、それを悠久の時の流れの中で知性の行き着くところに思いをはせたとき
そこには完成ということが、それゆえ、そこに至る全歴史を考えたとき
そこには神ということが想起される。

実に壮大な思考空間である。
こうして、進化論の登場で防戦一方に追いやられたキリスト教は
実に見事な筆法で大逆転の至当性を得る。

なんで、この本を発禁にしたのか?カトリックの見識が問われるところであった。
だが、これはのちローマ法王により謝罪と復権がなされた。

Webでの記事によれば、
進化論と神の関係を統合した理論としては
ベストのものだとされているらしい。

わたしも、このような壮大で、想像力に富み、
創造的で誠実な議論に接することができてとても幸せに感じた。
そのために、久しぶりに食い入るように読み込んでしまった。

そして、自分の専門分野である経営やコンサルティング、
組織開発に関して多くの気高い示唆をいただけた。

・巨視的視点と微視的視点の重要性
・神経物質の分化が進化に方向性を与え 進化には方向性があること
・形の変化が形質を与える一方、形質があることが、形を変化させること
・手の解放が、あごを解放させ、道具とことばができたこと
・習慣とノウハウが世代を超えて伝わり、それが人間を道徳的にも進化させること
・見方を変えると見えるものが変わること
・的確に事象を理解するには
 質問のバリエーションを研ぎ澄まし、そして要約力を身につけること
 さらに体験が不可欠であること
・精神の活動と進化はさまざまな面での現象となって現れる、
  政治、学問、文化、制度、芸術、技術、言語…
・進化とは、確率と創意によること
・エネルギーとは愛と希望に基づくこと、相互作用のエネルギーは愛である
・人間は個々の人格を超えることによってのみ真に普遍的なものになる
・宇宙の進化は最高点へ向かうこと、そこには個と全体の統合がある
などなどである。

さて、この本を読んで、マーカーを引いたところを少し紹介しておきたい。
(超長ったらしいから、割愛してくださってけっこうです)

「見ること、生のすべてはここにある…これが本書の概要であり、結論である。
 …生命の世界の歴史とは、宇宙のなかをいっそう深く見とおす力が
 しだいに研ぎ澄まされて完成されていく眼の形成史といえるだろう…」
(冒頭、こう宣言される)

「人が人間そのものを極限まで発見するには、
 まったく新しいさまざまの〈感覚〉が必要であった。
 それらは、空間の無限さ、無限の時間、数、比率、質、運動、有機的なもの
 に対するものである。」
(カテゴリー論やなあ)

「いかなる領域においても、一定の大きさを超えると
 その様相や状態や性質が突然変化する。
 表面は一点に凝縮し、固体は崩れ、液体は沸騰し、卵は割れる。
 直観は積み重ねられた諸事実から突然に生まれる。
 臨界点、状態の変化、傾斜の各段階
 -発展しつつあるあらゆる種類のものの急変、
 これこそ科学が〈最初の一瞬〉を理解し、つかむための唯一の方法、
 真実な方法である。」
(変化の不連続性ということか、確かにそういうことはあるなあ)

「怠惰への自然な傾向や硬化した習慣から個人を救うには
 -個人を閉じ込めている集団の枠を周期的に打破するには、
 外部からの圧力とか衝撃がどうしても必要である。」
(その通り!声を大にしていいたい。ここに外部者の価値がある)

「思考力とは意識によって得られる。
 自己を自らの内に向けて曲げながら[=内省しながら]、
 独特の堅固さと価値を有する一個の対象としての自己を把握する能力である。
 ただ知るだけではなく、自己を知ることであり、
 またたんに知識を有しているというだけではなく、
 自分自身が知識を有しているということを知る力である。
 自己の根底におけるこのような固体化によって、
 そのときまで知覚と活動という漠然とした二つの領域に広がり、
 分割されていた生活個体は、初めて針のような中心点に集中してくる。
 そこではすべての表現や経験が結合され、強化されて、
 自己の体制を意識した統一体になる。」
(メタ認識こそが意識=思考である)

「思考する存在は自己に沈潜することによって、
 突然新しい領域に進出できるようになる。
 実際に別世界が生まれるのである。
 抽象、論理、推理にもとづいた選択と発明、
 数学、芸術、空間と時間を測定する知覚、
 愛の不安と夢-内面生活のこれらすべての活動は、
 おのれ自身にむかって爆発する新たに形づくられた中心の沸騰にほかならない。」

「思考する精神機能の中枢はひとたび自己にむかって集中すると、
 結局は一つのものにほかならない二様の運動によってのみ
 存続するようになるだろう。
 すなわち新しい空間に浸透しながら、より深く自己に集中する。
 また同様に、まわりの現実のなかでたえず合理化と組織化が
 深められていく世界観を確立することによって、
 周囲の世界を自己に集中させる。
 …それは自己以外のものを自己のものにしていくのに応じて、
 つねにいっそう自己になることによってのみ存在しつづける〈われ〉である。
 このようにして人間は人格化の過程のなかで、
 また人格化を通じて人格になるのである。」

「人間は地球全体の試行錯誤のうちから現われてきたということである。
 人間は生命全体の努力から直系の子孫として生まれた。
 それはわれわれ人類の種の卓絶した品位と中軸をなす価値である。」
(そういうことかあ)

「進化とは、…すべての理論、すべての仮説、すべての体系を考察することを可能にし、
 そして真実ならしめるためには、
 それらが従い、満足を与えなければならない一般的条件である。
 すべての事実を照らし出す光、すべての線が従うはずの曲線
 -それが進化なのである。」

「われわれの精神の先端が絶対なるものにまで入りこむ行為
 そのものは創発現象ではないだろうか。」

「実際に四次元的時空の有機的な流れの過程において、
 思考力に首位の位置を認めざるをえなくなることなしに、
 どのようにして思考力をその流れの中に組み入れうるのか?」

「われわれの精神は無限な視野を前方に発見しうるという事実によって、
 最高の完成に自己の何ものかを通じて到達するという希望があるときにしか
 もはや動かないだろう。」
(これはあらたな理想主義である。プラトンやキリスト教のようなプル思考ではなく、
 無限の視野と希望によるプッシュ思考である。)

「なんと言われても〈絶望のエネルギ-〉というものはない。
 …意識のあるエネルギーはすべて、愛のように、希望にもとづいているのである。」

「理論的行詰まりから脱け出す唯一の方法は、 
 われわれの知識の図式のなかに超個人的なものを現わす別のカテゴリーを
 思い切って入れることではないか?
 -幾何学は最初には合理的な大きさの上に組み立てられたが、
 有理数のような仕上がった理解しやすいものとして、e、πや、
 その他の無理数も受け入れなかったら、足踏み状態のまま進展しなかっただろう。
 微積分学は新しい函数概念にたえずのぼっていかなかったなら、
 近代物理学によって提出される問題を決して解決できなかっただろう。
 同じような理由から、生物学も今日取り扱わねばならない大きさの単位のなかに、
 普通の経験ではそのときまで知り得なかった若干の存在段階
 -特に集団の段階-を挿入しなければ、
 生物の全領域に一般化されることはなかっただろう。」
(発想の飛躍がいるのだ)

「結局、人類は精神として定義されるほかない。
 …このような見地からすれば、目下の状態では、
 二つの方法で、二つの段階において、
 明日には人類がどんな姿になるかを想像してみることができる。
 その一つは、認識し働きかける共通の力ないし作用のように考えることである。
 もう一つははるかに深く、人びとの魂の有機的な超集合体のように考えることである。
 すなわち科学か―すべての魂の一体化か。」
「科学は誕生して以来、特に解決すべき生命の問題に刺激される
 ことによって成長してきた。また科学のもっとも卓越した理論も、
 すぐに世界を制御する手段に変わり、その手段に合体しなかったなら、
 根づかないままの人間の思考の上をつねに
 漂流していたことだろう。」
「完全に自己になりきるには、他のすべての分子とともに
 一点にむかって集中するという方向に、
 すなわち〈他者〉にむかって進まなければならない。
 …われわれが結合して一体になる場合にのみ、
 われわれの人格を見出すことができる。
 統合作用を伴わない精神はあり得ない。
 …真の〈自我〉は〈エゴイズム〉に反比例して成長するものである。」

「人間という分子は個々の人格を超えることによってのみ真に普遍的なものになる。
 宗教や政治に対するまことの熱狂といつわりの熱狂との間には、
 根本的な相違(と誤解)がある。
 最大多数の人のために自己をすてされることによって、
 一方は人間を破壊し、他方は人間を完成させる。」
(統合思想である)

「愛だけが存在をその本質において捉え、結びつける。
 この意味において愛だけが存在を存在として結合させながら完成させることができる。
 …二人の恋人はお互いに自己を相手に与え尽くしたと思う瞬間にこそ、
 自己をもっとも完全に所有するにいたるのではないか。
 たしかに、愛は魔法の身振りを、つまり一つに統合することによって
 〈人格を与える〉と考えられる不思議な身振りを、
 夫婦の間で、仕事仲間の間で、われわれのまわりで、
 たえず見せてくれてはいないか?
 またこのように愛が毎日縮尺で行なっていることを、
 いつの日か地球大の大きさでやり直すことがどうしてできないといえようか」
(その通りだが、僕のような利己主義者にはとてつもなくむずかしい)

「キリスト教の特質とは人格主義と普遍救済説である。」
(すばらしい要約解説)

「宇宙は恒星の世界のものとしては空間において膨張しつつあるもの
 (極微から無限大へ)と見えるけれども、
 同時にまたもっと明確に、宇宙は物理=化学的には
 自己の内にむかって有機的に求心的旋回運動をしているもの
 (もっとも単純なものから極度に複雑なものへ)とみえるのである。
 -〈複雑化〉というこの独特の求心的旋回運動は、
 それに伴う内面化作用の増大、つまり精神作用もしくは
 意識の増大に結びついている、と経験にもとづいていえるのである。」

「〈現象としての人間〉における私の立場の第一の独創性は、
 生命から宇宙的な規模の普遍的機能を引き出すことにあったが、
 第二の独創性は、それとは逆に人類系統における思考力の出現を
 〈臨界〉あるいは状態変化とみなすことである。」

「宇宙の生成発展が進行するとすれば、
 有利な機会(確率論における大数法則によって現われてくる)を
 模索しながら利用すること、
 第二の段階で思考力から生まれる創意を通じてのみであることを忘れてはならない。」
(大賛成である!)

「社会的統合の方向へ、また機械とオートメーションの発展
 (それは精神の解放になる)の方向へ、徹底的に〈なんでもやってみる〉
 〈なんでも考えてみる〉という方向へむかう人間の歩みを止めるものは何もない。」
(よいのかわるいのか?)

「その効果においては、下方では好運、上方では事由という
 二重の働きに結ばれた二つの不確定性に本質的に影響されるといえよう。
 しかしきわめて大きな集合体(人類はその一つの例であるが)の場合、
 その過程は〈絶対に確実なものになる〉傾向があり、
 成功の可能性は偶然の側からいえば、増し、
 また拒絶や失敗の可能性は、加えられる構成分子の数の増加によって、
 自由の側からいえば、少なくなっていくことに注目したい。」
(なるほどなあ)

いかがでしょうか?
示唆に富み、人格的にも優れた文章である。

会計事務所と経営コンサルティングの融合
御堂筋税理士法人&組織デザイン研究所

小笠原でした。

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