御堂筋税理士法人創業者ブログ

私は、大阪のウエロクという街で

生まれ育った。

 

知らない方が多いと思うので

少し紹介しておくと、

ウエロクは

近鉄電車のターミナルで

駅前は飲み屋街であった。

 

私の生家は、

10人ほどの

人を使っていたすし屋である。

 

また、私が通っていた小学校は

五条小学校という。

 

生徒の半分以上が

越境入学者。

 

教育委員会や教師の間では

特別な学校、つまりエリート校

という位置づけなのだそうだ。

 

ウエロクがある

大阪市天王寺区は

上町台地の高台を占め、

邸宅が多くあり、

また当時は市長公邸もある

文教地区だったからだ。

 

私の生家は

その校区のいちばん端にあった。

 

学校に通うのも遠く

住んでいる友達も少ない上に

同級生には

医者(組に10人くらいいた)、

会社経営、高級サラリーマン、

高級公務員などの子が多く、

水商売の家の子少なかったので、

小さいながら

多少の引け目や疎外感を

持つにいたった。

 

仕事がスマート

お家がゴージャス、

日曜日が休みで

家族でお出かけができ

毎日、

家族でご飯を食べている。

 

入学したら1年1組

そこには、大阪市長の孫、

だれでも知っている

大企業のオーナー社長の子

などがいて、びっくりした。

 

さて、そんな中

どのように自分の性格が

形成されたのか?

いっときひどく興味をもち

考えたことがあるテーマであった。

 

その当時は、

親や環境の影響で

そうなったというように

考えたものだった。

 

しかしそれは

あまりにも依存的で

第一、父や母に失礼な話だと

思いいたった。

 

今はそのような考えでなく

自分の責任と選択で

そうなったのだと考えている。

 

ある本によると

人間に形成された根底の信念には

5つばかりの種類があるそうだ。

 

私の場合は、

「公正であれ」だろうか?

口幅ったいようだが

これは母親ゆずりだと思う。

そういう点では、

私の母は、正義漢であったと思う。

 

一方、私の奥底に潜む悪は

根深く、やっかいで、ときに

その根絶は絶望的だとすら感じる。

 

簡単にいうと

「過度のプライドと

その反射としての劣等感」

「過度の負けず嫌いと

そのくせ、対人的な体当たり力が弱い」

というものだ。

 

そんなことで

持前の気質、

環境の影響で

多少複雑なところがあり、

くせのある人間でもある。

 

昔は、私のような

小さなお店の子供にとって

生活の場は、

仕事場と家庭がぐちゃぐちゃであった。

 

まあ、商売を間近で体感できた

という宝物ができたが、

一方では、

家族以外の人間が

遠慮なく人間関係に入り込み

小さな子供はその中で

もみくちゃにされた。

 

したがって

あまりよい思い出は

残っていないし、

トラウマもたくさんある。

 

すし屋は母親の実家の家業である。

父親は復員したのち

進駐軍に努めていたようで

お店では影が薄かったうえに、

私が小学校4年生で

事故により他界した。

 

そのため私の中の思いでは

大方、母親のものだ。

 

母は、女で調理の技術はなく、

ただすし屋の娘であったため

すし屋を経営していた

いわゆる、女将さんだった。

 

(父と母と私)

 

商売屋の娘で

気が強く、わがままなため

従業員とのいさかいもたえず

小さな私は、

それでかなり心が傷ついた。

 

けんかを見るのはいやなものだ。

まして、身内が傷つけられるのは

小さな魂には耐えがたい。

そんなことがしょっちゅうあるのだ。

 

子供は無力である。

助太刀できることがなにもない。

怒りのエネルギーは

蓄積され続けていった。

 

それに、小さな子供は

親ががんばってくれなければ

自らの存在自体が危うくなる。

いわゆる存在不安というやつである。

 

自分がもっと大きければ

母親を手伝ってあげられるのだが…

 

従業員との狭間の中で

苦しんでいる親の姿を見るのはつらい。

 

「おかあちゃんは何をしているのだ!

 自分だったら

 もっとうまく商売ができるはず!」

 

これこそが私の根源にある思いだ。

母を助け、自分も成功する。

 

それが大きくなって

自分の進路を決めるに至る

エネルギーのみなもととなる。

 

「そうだ、税理士になって

 企業を助けたい!」

 

そして

「私こそが、

木村(母の旧姓)や小笠原の家で

両祖父の精神を再興して

商売人として母を超えて、

母を安心させ、周囲を見返したい」

あさはかだが、本当のところなので

恥を承知で真情を吐露する。

 

だから、私が若いころは

お客様に母親を投影していた。

それは力のみなもとでもあったが

多少、エキセントリックな一面もあった。

 

この年になって

多少のえぐさは取れたかもしれないが

しかし根源にあるものは

思いと探求心だと自負している。

 

もちろん、まだまだ

祖父にはかなわない。

あとは後輩たちに託すことになるが。

 

まあ、そんなやつで

お気に召さぬ方も多々いらっしゃると思うが

いたし方がない。

しんぼうがまんしてくださる方の

お気持ちにお応えできれば本望である。

 

会計事務所と

経営コンサルティングの融合

 

御堂筋税理士法人&

組織デザイン研究所

 

小笠原 でした。

 


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