御堂筋税理士法人創業者ブログ
講孟余話 ほか (中公クラシックス)
吉田 松陰
中央公論新社
2002-02



吉田松陰が獄中で
孟子を講義をした記録が
『講孟余話』である。

事務所で開いている
経営思想読書会の必要があって
あらためて開いてみた。

今回は、参加者の方々への
便宜をおはかりするために
自分なりにレジュメを作ってみた。

この書の内容は、
松陰先生が孟子で
重要だと思われたところを抜粋され
それについて解説をし
意見を述べられる形式で進められる。

私なりに
孟子の元の部分を書き出し
日本語訳をつけ
松陰先生が述べる
そのエッセンスを書きつづった。

いままでのさらりと読んだのでは
ほとんど記憶に残らない
孟子の内容の意味合いやその重要性を
あらためて学ぶことができ
老学としてはとてもありがたかった。

ひとつだけ、参考になるところを
ご紹介しておきたいと思う。

松陰先生がびびっときたところ
『孟子曰[いわ]く、
其の心を盡[つ]くす者は
其の性を知るなり。
其[そ]の性を知れば
則[すなわ]ち天を知る。』

(尽心章句上篇首章)本のP106

エッセンス
  心を尽くすとは、
心いっぱいのことを行ない尽くすことだ。
その際いっぱいとはどれくらいなのか
知らなければならないわけだから、
そこで性すなわち人間性を
知ることが必要になってくる。
それがわかったとき
人性の中に天の性(善)が
備わっていることがわかるだろう。
だから精一杯のことができる。
そしてそうだとすれば
天のこともわが領分外のことではない。
なんとも壮大で痛快ではないか。

原文読み下し文
「孟子曰く、
  其の心を盡くす者は其の性を知るなり。
  其の性を知れば則ち天を知る。
  其の心を存し、其の性を養うは、
  天に事る所以なり。

  殀壽貳[うたが]わず、
  身を脩めて以て之を俟つは、
  命を立つる所以なり、と。」

和訳
孟子は言う。
「自らの心を伸ばし尽くす者は、
自らの本性を知る者だ。
自らの本性を知る者は、
天から降された意味を知る者だ。
よき心を保ち、本性を養うことこそ、
天に仕える道である。

寿命の長い短いなど気にするな。
ひたすら自分自身を修めて
命尽きるのを待て。
それが、天命を損なわずに
まっとうするということなのだ。」

松陰先生がびびっときたところ
『殀壽[ようじゅ]貳[うたが]わず、
身を脩めて以て之を俟[ま]つは、
命[めい]を立つる所以[ゆえん]なり』

(尽心章句上篇首章)本のP109

エッセンス
自分の心力の及ぶ限りを尽くし、
その先のことは天命に任せる。
それは若いと年老いたと関係がない。

世の中という宿屋に泊ったら、
恩を返して宿代を払うのが当然である。

どうしても惜しいので
もうひとつご紹介

松陰先生がびびっときたところ
『君の臣を視ること
手足の如くなるときは、
則ち臣君を視ること
腹心の如し。

君の臣を視ること
犬馬の如くなるときは、
則ち臣君を視ること
國人の如し。

君の臣を視ること
土芥の如くなるときは、
則ち臣君を視ること
寇讎[こうしゅう]の如し、と。』

(離婁章句下篇第三章)本のP53

エッセンス
上が臣下をそう見なすように、
臣下はそうなる。
君たる者の守るべき道を説く。

和訳
孟子が斉の宣王に言った。
「そもそも君主が家臣を
己の手足のように大事に扱えば、
家臣は君主を己の腹や心のように最重視します。

一方君主が家臣を
まるで犬か馬を飼っている程度に扱えば、
家臣は君主をその辺の国民と
同じ程度にしか考えません。

さらに君主が家臣を
土くれやゴミのようにひどい扱いをすれば、
家臣は君主を仇か敵のようにみなすのです。」

孟子の魅力は
なんといっても性善説に基づくネアカさだ。
年が行くと、
きびしい教えもいいが
こちらの方が心情的になつく。

吉田松陰先生の
春風暖草のお人柄と
至誠と義理、愛国意識に基づいた
裂ぱくの気迫の根源に触れた気がした。

背筋がまた伸びた気がした。

コンサルティングに強い
御堂筋税理士法人&経営エンジン研究所
大阪 税理士 小笠原 でした。


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