御堂筋税理士法人創業者ブログ

これからときどき このブログをお借りして
昔の想い出を書きたいと思う。
それは皆さんにはご興味のないことかもしれない。
ただ、私は自分のために書こうと思う。
それは、何かを思い出し、確認し、位置づけ、
これからの、私の肥やし、気づき、起爆剤にするためかもしれない。

もちろん、そんなにドラマチックな話はない。
大阪の下町の住民として育った、私のささやかな体験だ。

それは、少し、同級生よりも背が高く、
それゆえ、少しませガキで、ちょっと計算高く、小ずるく
(だから、自分でもあまり自分を好きになれない)、
きちんとしたしつけは受けていないが
さりとて、粗野でもない家族環境の小商売人で
たっぷりの負けん気と、ゆえに
たくさんのコンプレックスをもった私の体験である。

タイトルの”滋”伯父は、母方の伯父である。
わたしは親しみを込めて
『本店のおっちゃん』と呼んでいた。

話のはじめに、父でもない、母でもない、
伯父が想起されるところに、私の精神の特異性があるかもしれない。

伯父は、母とは10歳ほども年の差があり、
母は大変伯父を慕っていた。
起業家で、それなりに経済的には成功した祖父だが
それゆえ、さまざま家庭上の問題を抱えていたらしい「祖父には
母は、複雑な感情をもっていたと推察する。
だから、母にとっては、兄である伯父は、
いわば、ファーザー・コンプレックスの対象だったろう。

母どころか、おそらく親戚中の人間は「おっちゃん」を慕っていたと思う。
もちろん私も「おっちゃん」が大好きであった。
やさしく、鷹揚で、人当たりがよく、温和で、楽しい人だった。
どんぐり眼で、丸鼻の顔立ちも、親しみを感じさせた。
私の父が、不慮の事故で早世したあとは
多少、性格のねじれていた私を
不憫に思ってくれたのか、とりわけやさしく接してくれた。

伯父は、祖父が創業した『生駒寿司』の主人であった。
当時50代を少し超えただけの伯父であったが
ところが、はやくも、隠居といった風情を醸し出していた。
それはなぜだろうか?
よく儲かっていた、従兄がすでに若くして跡を継いでいた・・・。

いくつかの理由があったのだろう。
小さな私には知る由もないが。

宵の口、仕事を終えた風情の伯父は、
週に何回かは、私の母の店『いこま南店』に寄っては
日本酒を一、二本、小鉢を一つ、二つ頼んでは
取りとめもない話を、母や板場とするのが日課だった。

妹の店のことが気になるのでもあろうし、
仕事を終えてほっとした時間がほしいようにも思えた。

すばらしく魅力的な人柄だったにも関わらず、
最初の奥さんが亡くなって、後添えに来たその妹である伯母は
伯父に似つかわしいとはお世辞にも思えない人だった。

実際、伯父には心を癒してくれる女性がいたとは
その後、何十年も経って、親戚が寄り集まる場で
ときどき耳にする話だ。
そういう人がいたということが、
なぜか私には、ほのぼのとさせるエピソードに感じられる。

そのように、私が慕い、
さほどお利口さんでもなかったこましゃくれた私を
可愛がってくれた伯父との関係に
すばらしい想い出を添えてくれたのは
伯父との二度あった二人旅の珍道中であった。

伯父とはそのように
思い出に残る二人旅に二度連れて行ってもらった。
いとこ連中の間で、そのようなことにあずかった者はいなかった。
やはり、私のことを、ほんとうにあわれに思ってくれていたのだろう。

・・・その二度の旅の想い出を綴ってみたい。
続く・・・。

コンサルティングに強い経営エンジン研究所/税理士法人小笠原事務所
大阪 小笠原 でした。


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