御堂筋税理士法人創業者ブログ

永らくお付き合いをいただきました
二宮尊徳先生の思想をご紹介する回は
今日で終わりとなります。

第九篇 治国の要道

・金を投ずるのに道があって、
 受ける者がその恩を感じなければ益がないのだ。

・「むかしより人の捨てざる無き物を
 拾い集めて民に与えん」

 この「人の捨てざる無き物」を拾い集めるのは、
 私が幼年のころから努めてきた道で、
 それがために今日までやってこられたわけです。
 すなわちこれが、わが仕法金の根源なのです。

 ⇒尊徳翁は、子供のころ
  放置されていた猫の額ほどの荒れ地を借り受けて
  なたねを捲いて、油を取ってお金を貯め始めた。
  やはり、思想や指導は、成功体験がないとダメだ。

・世の中の荒撫は、
 その元は心田の荒撫から発するものだから、
 わが道はまず心田の荒撫を開くのを
 先務としなければならぬ。

 ⇒心のたんぼとはうまいことを言われる。

・皇国開びゃくの昔、
 外国から資本を借りて開いたのではない。

 ・・・そもそも開びゃくの昔、
 葦原に一人で天降ったものと覚悟すれば、
 川の流れでみそぎをしたようにさっぱりする。

 ・・・この覚悟が、事をする場合の大本であって、
 わが悟道の極意なのだ。

 ⇒新しいたんぼの開発を言う。
  農業経済だからこうなる。
  皆さんの会社に置き換えるとどうなるのだろう。
  考えてもらいたい。

・どのような良法仁術でも、
 村中一戸も貧乏人がないようにするのはむずかしい。

 なぜなら、人には勤惰があり強弱があり賢愚があるし、
 家には積善と不積善とあるし、
 なお前世の宿因というものがあって、
 これは何ともしかたがない。

 このような貧者は、
 ただその時その時の不足を補って、
 すっかり転落しないようにするしかない。

 ⇒どのような社会、組織にも
  落ちこぼれはいるものだ。
  このように達観して、包んでしまえれば
  すばらしい包容力をもった
  リーダーシップといえる。

・村里の復興をはかる者は、
 米や金を倉に積むことは尊ばない。
 この米や金を村里のために使い払うことを
 専務とするのだ。

 この使いかたのじょうず・へたによって
 復興に速い遅いが生ずるのであって、こ
 れが最も大切なことだ。

 ⇒利益の蓄積としての資金を
   どう使うかに経営の効果性が問われる。

少し、永くなるが最終章も一気に行きたい。

第十篇 一円融合の報徳修練

・家というものは、まさに船と心得るのがよい。
 世の中は大海だ。
 
 してみれば、この屋船に事があっても、
 また世の大海に事があっても、
 みんなのがれられないことで、
 船頭はもちろん、この船に乗り合った者は、
 一心協力してこの屋船を維持せねばならぬ。

・若輩の者は、よく家道を研究せねばならぬ。
 家道とは分限に応じてわが家を保つ方法のことだ。
 家の持ち方は、やさしいようだが至ってむずかしい。
 まず早起きから始めて、勤倹に身を慣らさねばならぬ。

⇒早起きは成功者の共通した性癖である。
  心されたい。

・人の子というものは、ひどい親不孝者でも、
 もしも他人がその親の悪口をいえば、きっと怒るものだ。
 これは「父子の道は天性」(孝経)だから怒るのだ。

 詩経(大雅、文王篇。孝経引用)に
 「爾(なんじ)の祖を念(おも)うことなからんや。」とあるが、
 まさにそのとおりだ。

⇒このことのたとえで、この詩を持ち出すところが
 尊徳翁の面目躍如だ。
 独自の解釈に面白みがあると思う。

・「かりの身を元のあるじに貸し渡し、
 民安かれと願うこの身ぞ」

 この世は、われひと共に
 わずかの間の仮の世なのだから、
 この身はかりの身であることは明らかだ。

 元のあるじとは天のことをいう。
 生涯一途に世のため人の為ばかり思う。

 国のため天下のために有益なことばかりを勤める。
 そうして一人でも一家でも一村でも、
 困窮を免れて富有になるように、
 土地も開け道・橋も整って安穏に渡世できるようにと、
 それだけを日々の勤めとし、朝夕願い祈っておこたらぬ。
 わが好みであるという心で読んだものだ。
 これが私の畢生の覚悟だ。

⇒まさに、『書経』以来の
 儒教思想の原点のリーダーの考え方

・女大学は女子の教訓であって、
 貞操心を鍛錬するための本なのだ。

 鉄もよくよく鍛錬しなければ
 折れず曲がらぬ刀にならないようなもので、
 すべて教訓とはそういうものだ。

 だからこれは、男子の読むものではない。
 誤解してはならぬ。
 ・・・教というものが、対象によって、それぞれ異なる・・・

⇒これは、ヒントになった。
 対象によって、教えは異なり、
 対象でない場合、かえって邪魔になることすらありうる。

・世の中の人を見るがよい。
 一文の柿を買うにも、二文のなしを買うにも、
 しんとうのまっすぐな、きずのないのを選んで取るだろうが

 ・・・世間の人はみんなそうする。
 ・・・人に選ばれて婿となり嫁となる者や、
 仕官して立身を願う者が、
 おのれの身に傷があっては
 人が取らぬのはもちろんのことで、
 そのきずの多い身のくせに、
 用いられないというと、
 上に目がないなどといったりする。

 大きな間違いだ。
 そのとき自ら反省してみるとよい。
 きっと自分の身にきずがあるためにきまっている。

 ・・・どれほど草深い中でも、
 山の芋があれば、
 人はすぐ見つけて捨てては置かず、
 また泥深い水中に潜伏する
 うなぎ、どじょうも、必ず
 人が見つけて捕える世の中だ。

 だから内に誠があって
 外にあらわれぬ道理はありえない。
 この道理をよく心得て、
 自分の身にきずがないように心掛けるがよい。

⇒すばらしい!至言だと思った。

・およそ権勢の盛んな官職について、
 富も自由自在のときこそ、
 礼譲・謙遜を尽くす。

 ・・・官位に進んでは勤苦し、
 退いてから遊楽するのは、
 昼働いて夜休息するようなものだが、

 反対に、官位に進んでは
 富有にまかせて遊楽・驕奢にふけり、
 退いてから節倹に勤めるのでは、
 昼間休息して夜勤苦するようなものだ。

 昇進した上遊楽していれば、
 だれがうらやまずにいようか。
 だれがねたまずにおこうか。

 雲助が重荷を負うのは、
 思う存分酒食をとりたいためだ。
 遊楽・驕奢をしたいために
 国の重職にいるとすれば、
 雲助などの行き方と隔たりはない。

⇒ずきんと来ました。

・礼法は、人間世界の筋道だ。
 人間世界に筋道があるのは、
 たとえば碁盤・将棋盤に筋目があるようなものだ。

・交際の道は、碁将棋の道にのっとるのがよい。

 ・・・自分が富んで、才芸があり、学問がある場合に、
 先方が貧しければ、富をはずすがよい。
 先方が才能がないならば、才をはずすがよい。
 無芸ならば芸をはずすがよい。
 無学ならば学をはずすがよい。

 これが将棋をさすときの法であって、
 このようにしなければ交際はできないのだ。

 また自分が貧しくて、才能がなくて、無芸無学ならば、
 碁を打つときのように心得るがよい。
 先方が富んだ人で、
 才能もあり学もあり芸もあったら、
 何目も置いて交際するのがよい。
 これが碁の道だ。

⇒次々に、ずきんとくる名言の連続だ。
 ほんとうに噛んで含めるように教えていただける。

とても、とても学びになった時間でした。

コンサルティングに強い御堂筋税理士法人&経営エンジン研究所
大阪 税理士 小笠原 でした。


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