御堂筋税理士法人創業者ブログ

 お金というものは不思議なものである。お金は歴史上でも十本の指に入る発明であろう。本来は海彦と山彦がものとものとを交換するための手段だったと思うが、それが富のメジャーとなり、ものの購買力となった。お金がそれ自体価値をもち、それで自分で歩き出した。こうなると人間がお金に踊らされることにもなり、ために人生が左右される事態ともなる。お金は人間の根本性質たる欲望を充足する手段となる。そこで、私たちはお金に対して健全な意識と規範が必要になるのではないだろうか。

 お金についての金言は山とある。ググってみると出てくるのは旧約聖書のソロモンのことばの数々である。キリスト教では金儲けは卑しいこととされきびしく禁止されていた。金を貸して金利を取ることは許されなかった。だからユダヤ人たちがその卑しむべきとされた仕事を担当した。しかし、人間は欲望に生きてゐる。あれこれと理由をつけて、教会は金利を認めていった。教会自身が堕落していたからだ。シェークスピアも『ベニスの商人』で金貸しシャイロックを悪人として見事なまでにキャラクタライズしたものだ。

 カルヴァンの流れを汲む清教徒たちは転倒した論理で金もうけを聖職として認めた。神様が最後の審判で天国へ行けと命じてくださるのはすでに予定されている。だから質素倹約を旨として身命を惜しまず仕事に打ち込むべきであるというわけである。これはマックス・ヴェーバ―が『プロテスタンティズムと資本主義の精神』で見事に洞察したところである。

 日本でも、士農工商という身分制度の中で、商売人を卑しい身分と象徴的に位置づけた。支配階級がもっとも上位に来るという論理は、西洋でもインドでも同じであるが、次には食料を生産する農民たちがくる。さらにその次に物を製作する職人たちがきて、どんじりに商人たちが位置づけられる。新たな価値を創造することなく、濡れ手にあわとされる商人たちはかように怨嗟の的となる。現に小生が住んでいる淀屋橋かいわいでは、かつて豪商の淀屋辰五郎などあまりの贅沢ぶりがたたって幕府からお家お取り潰しの憂き目に遭ったほどである。

 汗水流してという言葉に見られるように勤労を尊ぶ気持ちは人びとの中に根強い。だから、経済学の考え方においても、ケネーの重農主義やアダムスミスの労働価値説などにそのような考え方は反映されている。マルクスも労働価値説であるが、肝心の価値を生む人たちが生産手段をもたない悲劇から自己疎外され搾取されていると喝破した。私が敬愛するシュンペーターはイノベーションこそが価値を創造しているとした。実は私の経済価値観も労働価値説と創造価値説なのである。

 消費税という法律がある。その法律ではお金と土地は非課税である。だから売買においても、お金を売買するというのは外国通貨のチェンジ以外ないと思うが土地の売買は非課税である。またその果実である金銭の消費貸借の利子も、土地の賃貸借の賃料も非課税となっている。これらは労働の対価ではないから、ロットがかさめばとてつもない儲けを生み出す。実際に金融業(今はあまり儲からないが)や不動産業の生産性は高い。

 ということで、前置きが長くなったが、経済人はお金というものをどう位置付ければよいのか?正しい金銭観とはどのようなものか?そのことが私の問題意識としてあがってくる。

 私は、お金すなわち儲けは経営者の成果の判定基準だ考えている。これはドラッカーのマネジメントにおける利益の位置づけに影響を受けている。彼は次のように書いている。

 「利益とは目的ではなく結果である。上記3つの機能(マーケティングとイノベーション、生産性への努力)の結果、手にするものである。それ自体、決定的に重要な経済的機能を果たす必要不可欠のものである。利益には4つの機能がある。それらは、 ① 成果の判定基準、② 不確実性リスクへの保険料、③ 経済発展に不可欠な、雇用を生み出す資本のみなもと、④ 社会サービスの支払(税金)源泉である。」

 「企業には最低限上げるべき利益というものがある。それは自らの将来のリスクをカバーし、事業を継続していくために必要とされる利益である。この最低の利益というものが、企業のあらゆる決定と行動の条件となっていなければならない。マネジメントたる者は、この最低限の利益以上の利益を目標および尺度として設定しなければならない。」

 だから、儲けとはお金ではあるが、それ自身が目的ではない。お金儲けが目的となると、それは醜く汚れている。お里が知れるというものである。世の中には金銭動機という経営者もいる。これはほぼ幼少期の金銭的苦労の反動形成である。事情は判るが私は共感できない。私もお金は好きである。商売人ならば多かれ少なかれそういう心情はあるのではないか?だが衣食足りて礼節を知るである。個人としての人間には必要以上のお金は要らない。

 となるとお金はシンボルとしての指標と化する。それは必要条件としての利益である。ドラッカーは。企業の目的は顧客の創造であり、その必要条件は必要利益の確保と永続性であると述べている。そして必要利益というものは、得てして経営者が願っている満足利益の水準を超えると。けだしそのとおりである。わたしは必要利益の尺度を、業界平均の倍の売上高利益率と1人当りの生産性においている。

 お金の入り方についての持つべき価値観は、返報性である。あるいは仏教哲学的にいうと自利利他の精神である。損して得取れとも、あるいは近江商人は三方よしともいう。よく母が「くれくれ坊主にやりともない。」と言っていた。はしたなさがときどき顔を出す小生としては、赤面のいたりである。

 お金の増やし方についてのそれは、質素倹約であろう。荘子は「よい箸を買うたら、よい箸置きが欲しくなる。そうすると今度はよいお茶碗が欲しくなる。そうすると…」と贅沢の悪連鎖を見抜き戒めた。質素倹約とは爪に灯を灯すとも解せられるが、しかし商売人は使うべきときにはどかんと使う、気前よく使う、またそうあるべきだ。金を貯め込むのが目的ではないからだ。使うべきときとは晴れの日である。お客様によろこんでもらう、仕入先様によろこんでもらう、社員の皆さんによろこんでもらう、国家によろこんでもらうときなどである。近江商人の精神もそうであったという。

 お金の使い方についての持つべき価値観だが、わたしはある本で「お金の使い方を見れば、その人の価値観が判る」と書いてあるのを読んでドキッとしたことがある。大学にいう「それ十目の見るところ、十指の指す所、それ厳なるかな」である。ときどきろくでもない買い物をしたり、ムダ金を使ったりする私にはこたえる。

 それゆえ経営者は、経営の受託責任を果たすためには、会計の監査に耐えるようなお金の使い方に徹しなければならない。会社の金は当たり前だが私物ではない。株主と仕入先と金融機関が会社を信用して貸してくれているお金であり、一銭たりともあだ疎かに使うところではなく、すべては資本コストを上回る収益を上げる義務が求められ、課せられている。

 わたしのお客様にも、お金の使い方についての倫理観が高い方がいらっしゃるが尊敬に値する。理想は、人に寛大で自分に厳しいという心根だが、わたしには遠い。

 マネジメントのむずかしいところは、ドラッカーさんがいみじくも強調しているように、短期の目線と長期の目線の両方をバランスよくもつことである。支出面から見ると、短期とは足下の錢を稼ぐための費用であり、長期とは未来の構築準備の費用である。ところが損益計算書を見てもそのようなことは見えてこない。そこで料理ではないがひと手間かける必要が出てくる。それは費用を現在費用と未来費用とに分けて表示させることだ。

 端的な未来費用とは、➀人材採用と育成費、②試験研究費などのR&D費、③マーケティング費用である。これらは財政状態が厳しくても維持しなければならない。そこへのお金の使い方が経営者の識見が問われるところである。上場非上場を問わず凡庸な経営者は、調子が悪くなるとすぐにこうした費用を削る。いわゆる3Kと言われる費用である。

 わたしはよく家計に喩えてそれに警鐘を鳴らす。おとうちゃんの会社が不振で、賞与がなくなり給料がカットされたら、あなたは子どもに学校に行くなというか?と。ちがうやろ、反対やろ、どんなに苦しくても、借金してでも学校に行かすやろ。なぜなら、それが子どもたちへの最大の未来投資であり、お家の安泰の礎となるからであると。

 わたしのいいたいことは、健全なお金の使い方で忘れてはならない視点は、先行投資とだということなのである。これがお金の使い方の2つ目のポイントだ。だから、経営者には、売上高に対する未来費用の%目標というものさしが要る。わたしのクライアントさんで、薬を作っている会社があるが、こうした会社など特に未来費用が大きく、こうした視点は経営の健全性のために不可欠である。ドラッカーさんも言っている、「利益とは未来費用である」と。

 3つ目のポイントは、集中ということである。集中こそ成果を挙げる最大のポイントであるとドラッカーさんも言っている。このことはお金の使い方についても言える。わたしの知人にも使うお店は限定して覚えめでたくなるまで足しげく通うという人がいる。わたしもそういう主義である。おなじみさんの威力のすごさは世の東西を問わず自分なりに確証しているところである。

 お金がもつ危険についてはよく肝に銘じておかなければならない。朱子は『小学』の中で「世の中には3つの罠がある。その第一は、若くして分不相応な身入りがあったり贅沢をすることだ」と語っている。けだしそのとおりである。だからまだ世の中の法則がわからない小僧が不相応な収入をもつことは人間をだめにする。収入とは人の世に揉まれ、きびしい試練の中で自分を鍛えたものだけに与えられるごほうびであるべきだ。なぜならそのような人格ならばお金をたいせつにできるからである。

 ドラッカーは、経営者と新入社員の給料格差は10倍までと言った。きょうびのIT系社員の給料の暴騰、ゴーンに代表される欧米系サラリーマン経営者の我田引水的な特別待遇(すごい役員食堂、自家用ジェット、老後の年金契約などの過度なフリンジベネフィット契約)など、わたしは行き過ぎた企業社会の悪現象だと思っている。かといって、N電産のN氏のように、自分の給料を3,000万円に抑え込み、経営幹部の給料を大企業の課長程度に抑え込むのもどうかと思うが(これは体験した小生の友人から聞いた話でありあくまでも私見の伝聞である)。

 そこで、お金は子どもに残してはならない。「子孫に美田を残さず」である。お金を使ってやるとしたらそれは教育にである。実際小生ももっともありがたかったのは母に学校に行かせてもらったことであった。あとは生きているうちにお金は使い、残ったら寄付することである。家内がよく言っているが、お金を世間で回すことだ。

 子供たちが勘違いしないようにするには、お金に関する教育をしておく必要がある。それには、➀お小遣いを決め小遣い帳をつけさせること、②大きな買い物の目標を立てさせそのためにお金を貯めさせること、③そしてまとまったお金を運用させお金を増やさせること(シミュレーションゲームでよい)、④学生時代には客商売のバイトをさせ汗水たらしてお金を稼ぐ苦労を味わせることだろう。

 お金のありがたみを知った子供なら美田を残してもよい。なぜなら彼らなら美田をさらにもっと美しく充実させるであろうからである。

会計事務所と経営コンサルティングの融合
御堂筋税理士法人&組織デザイン研究所
小笠原 でした。

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