ギリシャ神話に記されたリーダーの使命に納得
2011.10.18
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古代ギリシャ、トロイ戦争の
血湧き肉躍る 叙事詩 『イーリアス』
・・・その中での、トロイエ勢の勇士、サルぺドンの言葉
「グラコウスよ、なぜわれら二人が特にリュキエにおいて重んぜられ、
上席に坐り 肉も酒も他の者より多く飲みかつ食らい、
皆が神の如く仰ぎ見てくれるのであろう、
それのみではない、われらがクサントスの河辺に広大な王領
-見事な果樹園や小麦の稔る田畑を持っているのは何故であろう。
これを思えば今われらは、リュキエ勢の第一線にあって踏み留まり、
燃えさかる火の如き激戦に立ち向かって行かねばなるまい。
さすれば武装堅固なリュキエ人のだれかれが、
こういってくれるかも知れぬ。
『なるほど、リュキエを治めておられる殿方は並のお人ではない、
肥えた羊、極上の美酒を飲み食いされても文句はいえぬ。
リュキエの先陣にあって戦っておられるところを見れば、
その御力も大したものだからな』とでもな。友よ・・・
・・・されば勝利の栄誉は、われらが敵に与えるか、
敵がわれらに譲るかは判らぬが、今は進んでゆこうではないか。」
つまり
リーダーは、ふだんええ目もしているが、やるときにはやらねばならない
ということだ!
政治学者、ジョン・ロールズはこう言っている、
「才能に恵まれた者は、いわば偶然そのような才能を
他の者より多く分配されたにすぎないのだから、
自らの能力をおのれの私的利益追求のためにだけに用いるべきでなく、
不利な立場にある者の悲惨な状況の改善のために
積極的に用いるべきである」
よき意味でのノーブレス・オブリージュ(指導者の責務)ではないだろうか。
中小企業の後継者として生まれた諸氏、
起業家として軌道に乗られた諸氏
そして幹部・リーダーと呼ばれている諸氏にも
ぜひとも意識し、身につけていただきたい
態度だと思っている。
さて、なぜギリシャ神話なのか?
それは、西洋文明の子孫である、われわれ現代人としては
何につけ、これらの教養がないと理解できない話題が多々あるからだ。
著名な知の編集家、松岡正剛氏はこう言っている。
「そもそもギリシア・ローマ神話が広すぎるし、
そこには幾重にもわたる知の複雑骨折が
何層多岐にもおよぶ意表をつくっていて、
しかも、これが一番厄介なのだが、神名やその事跡に出会うたび、
そこから猛烈な勢いでギリシア語やラテン語や
その後の英仏独語が放射状に発散し、
その言葉のひとつずつが全欧文化史の
ありとあらゆる場面に突き刺さって、
そこに独自の「概念の森」の変更が
何段にもギアチェンジされていることが多すぎるのだ。」
うまい!まさしく 「そのとおり!」って感じ。
つまり欧米の考え、概念、知識、芸術(本、音楽、映画・・・・)などに接すると
この元についての共通の理解がないと
「はあ?」という感じだからだ。
さて、すでに人生も、
マラソンでいうと30キロ地点に差し掛かっているわが身だが
今さら、基礎トレーニングの不足に気づき
あらためて、ストレッチ体操からやり直しの感がある
まあ、一言でいうと、完全なアホだが・・・
前向きにぶっ倒れるまで走ろうと思っている。