御堂筋税理士法人創業者ブログ

昨日、父の50回忌の法要を営ませていただきました。

02

ところで私自身、今人生の意義の集大成を
していかなければならない時期に
差し掛かっているようにと思うのです。

そして、それを考える上で
私を動機づけるもの、
私のものの考え方パターン
父と母から植えつけられた人生脚本、
善悪の価値観…
それらのものを明確化することは
不可欠の課題だと思うのです。

さて、その父、母の人生、その生きざま、人となり
を知る関係者もかなり少なくなってきています。
今、それらの人たちにしっかりと話を聞いておく
必要があると最近痛切に思っているわけです。

それについては幾人かの重要な方がおられますが
そのうちの一人が、
今をさる50数年前父母が経営をしていた
すし屋で見習いをしておられたS氏です。

今日は、S氏に密着して
いろいろな話を聴かせてもらいました。
そこで私がわかっていなかった話も
いくつか出てとてもよかったと思っています。
――――――――――――――――――――――

さて、私の父の人生ですが
大正9年に生まれ、 5人兄弟の2番目、
生真面目な兄弟たちの中で
唯一、快活な人柄だったということです。

学校を出て、満州に渡り数年いたところで応召
終戦を中国で迎えました。
戦後復員して、米軍のキャンプで働いていた折
隣同士だった母と結婚、
母の家業だったすし屋を開業

それなりに夢もあったと思うのですが
ある日法要の帰り、事故であっけなく他界したのです。
ときに42歳でした。

母はすし屋で成功した祖父の
6番目の子として生を受け
経済的には何不自由なく育ち
最初の結婚をし一子(兄)をもうけたあと、
理由は定かではないですが
婚家と折り合いが合わず離縁

そして父と戦後再婚、
父の死後は一人ですし屋を経営し私を育ててくれました。
82歳まで寿命をまっとうしました。
――――――――――――――――――――――――

私は戦後の父は、戦争の心理的傷もあって
人生のやりがいについては
ある種諦観をもっていたと推察していました。

したがってすし屋も母の手伝いで、
実質的な経営者は母だと思っておりました。
しかし、S氏の話を聴くと、
父なりに経営を考えていたようです。

お店も鶴橋市場で敏腕の板場をスカウトし
とにかく当時繁盛していたウエロクでは
ナンバーワンの料理を出して
それなりの地位を誇っていたようでした。

また父、母とも当時としては中学、女学校を出ており
NHKのプロデューサーの方にとてもごひいきをいただき
そのご縁でずいぶんと知的レベルの高い
お客様が多かったのでした。

和田勉プロデューサー、浜木綿子さんなど多くの宝塚スター、
山川静夫さんなどのアナウンサー方が顧客だったのでした。

父はまた静かだが陽気な人で、
一方母はいわゆるお嬢様でわがままであったよし

父は素人ながら、写真がうまく

スタジオにもフリーパスで
多くの森光子さんなど多くの女優さんのポートレートを取っており、
知り合いでもありましたから
女優さんがたがお店にいらっしゃって
父に親しげにすると、
母の表情がさっと変わったとのほほえましいエピソードも聞きました。

また母は基本的におおらかな性格であったこと
そう考えると、わたしもほぼ好きなように
させてもらえたことこれはよかったなと再認識したわけです。

父が早く他界したので
私はほとんど母の口を通じたことばによって
自分をめぐる世界を見ていることを教えられ、
たしかにそうだなとも感じました。
 
このようにお話を聞くことで
わたしの心の中には
さらにたくさんの知りたいことが出てきました。

・なぜ父は貿易学院を出て、中国に行ったのか?
・すし屋を開業するにいたった動機は何か?
・戦後の父の夢は何だったのか?
・私に対する接し方はどうだったのか?

ぜひこの回転しだしたエネルギーを利用して
他の方にもお聴きしたいと今考えています。

コンサルティングに強い税理士法人小笠原事務所 大阪 小笠原でした。


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