御堂筋税理士法人創業者ブログ

10年ほど前、NLPというトレーニングを事務所でしたことがある。

三上先生というすてきな女性講師をお招きして、事務所の全員で受講した。

NLPは略語で、正式にはNeuro Linguistic Programing(神経言語プログラミング)という。意味がわからん???どうも名前自体がとっつきにくいんですけど。

説明せよといわれると困るのだが、日本協会のHPを見ると、『脳と心の取説』と謳ってある。

自分の人生や仕事のパフォーマンスを上げ、他者とのコミュニケーションをよくするために持っておくべき考え方と態度を身につけるためのツールである。

当時、多少その存在を知って、なんとなく気になっていたのだった。

まあ、受けてみて 「あなたはどう変わったのか?」といわれると、はたと困るが、それでも少しは考え方と技量のアップは見られたのではないかと思う。

プログラム自体は、丸々、10日間あって、けっこうヘビーなものだった。

NLPは、セラピーの分野での達人といわれる人達の、考え方やスキルを、だれでもできるように(?)プログラム化したものだ。

こういうことをさせると、欧米人種はやはりすごい能力を発揮する。

さて、そのNLPのトレーニングの冒頭、タイトルの言葉が出てきた。

『地図は領土ではない(The map is not the territory.)』 → なんや、それ!? つまり、われわれが頭の中で描いていることやその結果言葉に出すことは、外部の世界や心と脳で考えていることと同じでないということだ。

そういわれてみると、われわれは、あまりにも言葉に頼り、あまりにもイージーにものを考え、また表現し、それによって行動を起こしているのではないだろうか。

その後、10年を経て、日々、お客様の経営や自分の会社の経営、私生活のなかでこの言葉がしだいに痛感されるようになってきた。

ところで、こうしたテーマが、私の頭の中で持ち上がってきたのは、カントの『純粋理性批判』という、小生の粗雑な読書力と理解力をはるかに超えた本での「われわれは、決してもの自体は把握できない」という主張だった。そして、私はそのとおりだと思った。

その後、最近、グレゴリー・ベイトソン、コンラート・ローレンツ、シュレーディンガー、ユクスキュルなどの、精神の話や、生物学的進化論・認識論にふれて、

私は、結局、われわれ人間は、環境のなかで生き残っていくために発達した、われわれの五感の感覚器官を使った外界把握によってしか、自分の外の世界は把握、理解できないという“確信的な理解”に至っている。

なぜなら、これにより私たちは、わけのわからない形而上学(人生は一回きりか、とか宇宙には果てがあるのかとか、決して答えの出そうもないことを考えるガクモン(?))から解き放されるからである。

ある本を読んでいると、ダーウィンの進化論を境にして、ビフォーとアフターで世界認識のパラダイムが180度変わってしまったと書いてあった。それまではプラトンとユダヤの創世記→キリスト教思想、による、ものごとには理想形があって現実はその不完全形であるとか、世界は上から降ってきた、つまり神が6日間でこの世を作って、人間を作ったといったようなヨタ話(失礼、これはわたしの解釈)から、世界は、無機物から高分子が、高分子から生物ができ、人間ができたという根拠ある科学的説明に変わったからだ。だから、ダーウィンはやっぱり偉大である。

さて、そんな本を読みあさっている中で、アルフレッド・コージプスキーという人の名前に行き当たった。さきほどの「地図は領土ではない」「言葉は事象ではない」とのたまわった方である。一般意味論の元祖といわれている。

一般意味論とは、なにか特別の意味解釈の話ではなく、意味とは一般に何なのか?どう説明づけられるのか?どう形成されるのかを考えるガクモンであろう。

まちがっているかもしれないが、木田元(現象学の哲学者)、S・ハヤカワといった人の本を読んでいても、その名前に突き当たったのかもしれなかった。

それが気になるぅ!の臨界点に達して、やおらアマゾンでその著書を探した。ところがである。見当たらないのだ。ない!ええーっ!そんな馬鹿な!

そこで、どつぼにはまることになる。洋書を探しに行ったのだ。悪癖である。なぜなら実力を超えるからだ。さて、いくつも著書が出てきたが、どうも大部である上に(洋書で800ページはあかんやろ)、難解らしい。

私には、おとぎ話すら辞書なしでは英語の本は読めない。かくも貧困な英語力しか持ち合わせていない人間に、そんな専門書が読めるわけがない。

しかし気になる。ページを繰っていると、一つの入門書が出てきた。

“Selections from Science and Sanity” (「科学と正気」からの抜粋)という題名の本だ。思わずはずみで買うてしまった。また『科学と正気』とはえらい挑発的な題名をつけたものである。

本が来て、ページをパラパラとめくった。これが運の尽きである。いくらセレクションといっても、A4版で200ページある。気の遠くなるような読書作業になる。

お話ししたように、私の英語力は貧困なので、当たり前だが、どうしようもない時(つまり邦訳がない場合)以外、英語の本は読まない。今回は2年ぶりである。

タイトルから察せられるとおり、これは意味論と心理学の専門書である。やたら専門単語が出てくる。…脳幹、視床、神経症の名前などなど。Weblio(スマホの翻訳アプリ)片手に大苦戦した。

はじめは、何を書いているのか、さっぱりわからず、1時間に3~4ページしか進まなかった。しかし、なんかおもろいなあこれ!とは思った。

そして、ようやくしだいに読書エンジンがかかってきた。そして…やっと過日、読了することができた。山登りで山頂に立ったような、フルマラソンのゴールテープを切ったような爽快感!

さてこの本は何を書いてあるのか? 定かには説明できず、なんかもやもやしていて、とても気になる。このままでは何のために読んだのか? なんとか自分の言葉で説明できるようにしなければ。

ところで、私が、コンサルタント、経営者のはしくれとして、もっとも重要だと感じているのは、コミュニケーションである。その中でも “エピステモロジー”といわれる分野にもっとも関心がある。epistemologyとは認識論のことである。なぜか?

私たちが、まともに思考し行動するためには、まず世界と自分のなかで何が起こっているのかをどう認識するかが出発点である。そこがええかげんであれば、結果はろくでもない。だからビジネスや人生をうまくドライブしていくためには、世界を正しく認識すること=認識論が大事だと思っているのである。

コージプスキーの一般意味論は、それに対しての考え方と処方箋を提示してくれているように思ったのだ。

では、その内容とは何か?

まず「地図は領土ではない」「言葉は事象ではない」…という認識である。

ところが、われわれは、普段の生活や会話では、よほど考え深くない限り、イージーな思考と言葉をあやつる。それは「〇〇は△△である」という言い方である。たとえば「そんなんは常識やんけ」「だれでもそうやろ」などなど。これをコージプスキーは“ “Is “of Identity ”という。こうしたイージーな断定、同定、丸め込みを「アリストテレス的思考法」と彼は言っている。彼の論理学における、三段論法、定義づけが諸悪の根源だというのである。なにしろ西洋人は、アリストテレスの哲学を引きずっているのであるから。それが、YesかNoかの二価値思想やデカルトの自分と事物の分離思想などを生んだ。あるいは同様に、ユークリット的思考法、ニュートン的思考法もまずいと言っている。

こうした思考は、抽象化のレベルが低く、動物的、子供的思考方法だというのである。

それに対して、成熟した人間としての思考法は「非アリストテレス的思考法」であるという。それは、世界を個物ではなく、全体性と関係性からみて考える思考法である。

それは例えば、アインシュタイン的な思考法、つまり時間と空間は連続しているといった考え方、また量子論的な思考法、つまり物質は、波でもあり、ものでもあるといった考え方、さらに非ユークリット的数学の考え方、つまり公理を変えれば、平行な二直線はいつか交わるという数学もできる、といった考え方である。

そして、彼は、世界の構造を理解するには、数学的見方・考え方をするのが正しいとしている。世界を構造、関係性という観点から動態的、相関的、連続的、因果的、代替的、複雑的に見るのである。断定的、分離的、二択的、他罰的、自画自賛的、単細胞的ではダメなのだ。

そう!だから、ガリレオは「宇宙は数字の言葉で書かれている」という名言を残したのだ。

コージプスキーは、数学的見方考え方とはなにか?彼は、特に関数、微分といった考え方を挙げて、これらが世界を説明するのにとても効果的である、つまりよく説明できるとしている。

こうした説明を受けて、だんだんと彼の言いたいことが判ってきた(と思っている)。

『科学と正気』が刊行されたのは、1933年である。まさにその後世界は、ヒトラーや日本の軍国主義や原爆の投下などで正気さを失うことになる。精神病の多くの原因がこうした世界の意味の取違いにあるとする(これについては私は正否は判定できないが)。

では、具体的には、われわれはどのように世界を見て、理解しなければならないのか?

再度お話しすると、それは、世界をバラバラなものとしてみないこと、特に、自分と他のものを切り離したものとしてみないことに帰結するのではないだろうか?そんなことは実は、「機械論」=自他分離、と「有機体論」=自他統合、の考え方で判っていることなのだが、それをさらに精緻にしたということだと思う。

それは、世界を全体性と関係性で見るということではないか?彼は、そうした見方を特に子供たちに教えなければならないといっている。まさにそうだと思う。だが、世界はとんとそんなことにはなっていないように感じるのは私だけだろうか?

今朝、お客様向けに、会議の数字の資料はどうあるべきかのテキストを作っていた。思い立って、そこにさっそく学んだことを盛り込んでみた。

このパワポは、私の説明が必要だ。でもとても大事に思うので入れさせてもらった。

さて、このような大事な考え方を、せっかく大いに苦労をして学んだのだから、心してこれからの活動に活かしていきたいと思う。

月に1冊くらい、こうしたインパクトのある本を読んでいきたいものだと思っている。

お付き合いくださってありがとうございます。

会計事務所と経営コンサルティングの融合

御堂筋税理士法人&組織デザイン研究所

小笠原 でした。

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