御堂筋税理士法人創業者ブログ

「大日本(おほやまと)は神国なり。

 天祖(あまつみおや)

 はじめて基をひらき、

 日神ながく統を伝ヘたまふ。

 我国のみ此事あり。

 異朝には其のたぐひなし。

 此の故に神国と云なり」

 

南北朝時代

北畠親房が著した

『神皇正統記』

(じんのうしょうとうき)

の巻頭をかざる言葉である。

 

(岩波文庫版)

 

たしかにそうである。

世界中で、

民族が国を形成して以来

一つの血統が統べてきた

国家は日本を措いて他にない。

まさにユニークである。

 

ごくすなおに

考えてみればそうだなあと思う。

もちろんそれ以上ではない。

自らの出自に誇りを持つのは

全世界のすべての人の

当然のレーゾンデートルだからだ。

 

戦前の軍国主義者

のバカどもの所業によって

神皇正統記も

わたしのような庶民には

日陰者のような感じを

与えてしまったのは不幸である。

 

この書物、

名前はまあ、高校生の時以来

知ってはいたし、

気にはなっていた。

この歳になって

やっとひもといたしだいだ。

 

時おりしも、南北朝の対立時代

南朝側の理論的支柱、北畠親房卿が

自らの博識と驚異的記憶力により

わが国の皇統の歴史を

一気呵成に書きつけた。

 

松岡正剛先生によると

この書物は、南朝支持への

宣伝文書らしい。

 

この争いは

結局、明治天皇により

南朝が正統との

お墨付きをもらったのだが

現実は北朝が皇統を継いだ。

 

正統性の根拠は

『三種の神器』をもったはった

という極めて明快なもの。

 

しかし、この本

卿の高潔極まりない

君主のあり方論、

倫理と社会のあり方論

神・仏・儒の思想融合

の思想により、

などなるほどなあと感じさせ

単純な小生など、

背筋がピンと伸びるのである。

 

たとえば神の道は当然だが

以下のようなお話で

仏が天皇の姿を借りて

わが国にお姿を現したという。

これが、『本地垂迹説』

というものである。

 

「昔天孫天降給し時、

 御供の神八百万ありき。

 大物主の神したがへて

 天へのぼりしも、

 八十万の神と云り。

 今までも幣帛を奉まつらるゝ神、

 三千余坐也。

 

 しかるに天照太神の宮にならびて、

 二所の宗廟(伊勢と男山)とて

 八幡をあふぎ申さるゝこと、

 いとたふとき御事也。

 

 八幡と申御名は御託宣に

 「得道来不動法性。

  示八正道(仏教の説である)

  垂権迹。

  皆得解脱苦衆生。故号八幡大菩薩。」

 とあり。

 

 八正とは、内典に、

 正見・正思惟・正語・正業・

 正命・正精進・正定・正恵、

 是を八正道と云ふ。

 

 凡心正なれば

 身口はおのづからきよまる。

 (毎日正さねばと思うのだが

  一向に改善しないのだ)

 

 三業に邪なくして、

 内外真正なるを

 諸仏出世の本懐とす。

 神明の垂迹も

 又これがためなるべし。

 又八方に八色の幡を立ることあり。」

 

ようわからんが、

天孫降臨のとき

八千もの神様が同行して

八色の旗を掲げていた。

それはちょうど仏教の

八正道とつろくするのではないかという

すばらしい意見である。

 

「大方天地の間ありとある人、

 陰陽の気をうけたり。

 不正にしてはたつべからず。

 こと更に此国は神国なれば、

 神道にたがひては

 一日も日月をいたゞくまじきいはれなり。

 

 倭姫の命人にをしへ給けるは

 「黒心なくして丹心をもて、清潔斎慎。

  左の物を右にうつさず、

  右の物を左にうつさずして、

  左を左とし右を右とし、

  左にかへり右にめぐることも

  万事たがふことなくして、

  太神につかうまつれ。

  元々本々故なり。」となむ。

 

 まことに、君につかへ、神につかへ、

 国ををさめ、人ををしへんことも、

 かゝるべしとぞおぼえ侍。

 すこしの事も心にゆるす所あれば、

 おほきにあやまる本となる。」

 

神の道からのおのずから

きびしき上に立つ人の精神である。

いかにも明快である。

 

「凡男夫は稼穡をつとめておのれも食し、

 人にもあたへて、飢ざらしめ、

 女子は紡績をこととしてみづからもき、

 人をしてあたゝかにならしむ。

 賎に似たれども人倫の大本也。

 -男と女の分業-

 

 天の時にしたがひ、地の利によれり。

 此外商沽の利を通ずるもあり、

 工巧のわざを好もあり、

 仕官に心ざすもあり、

 是を四民と云ふ。

 -農の大切さと工商の分業

  そして士-

 

 仕官するにとりて文武の二の道あり。

 坐て以道を論ずるは文士の道也。

 此道に明ならば相とするにたへたり。

 征て功を立は武人のわざなり。

 此わざに誉れあらば将とするにたれり。

 されば文武の二は

 しばらくもすて給べからず。

 

 「世みだれたる時は

  武を右にし文を左にす。

  国をさまれる時は

  文を右にし武を左にす。」といへり。

 -士は、文官と武官があり

  平和時は文官、戦乱時は武官-

 

 かくのごとくさまざまなる道をもちゐて、

 民のうれへをやすめ、

 おのおのあらそひ

 なからしめん事を本とすべし。

 -こうした秩序や分業で

  よく治まる世をつくるのが元だー

 

 民の賦斂をあつくして

 みづからの心をほしきまゝに

 することは乱世乱国のもとゐ也。」

 -自分のことを優先する

  経営はかならず破綻する-

 

そのとおり!

 

「およそ政道と云ことは

 所々にしるしはべれど、

 正直慈悲を本として

 決断の力あるべき也。

 

 これ天照太神の

 あきらかなる御をしへなり。

 決断と云にとりてあまたの道あり。

 

 一には其人をえらびて官に任ず。

 官に其人ある時は

 君は垂拱してまします。

 されば本朝にも異朝にも

 これを治世の本とす。

 

 二には国郡をわたくしにせず、

 わかつ所かならず其理のまゝにす。

 

 三には功あるをば必賞し、

 罪あるをば必ず罰す。

 これ善をすゝめ悪をこらす道なり。

 是に一もたがふを乱政とはいへり。」

 

正直と慈悲を基本原則として

決断力のある経営を行なう。

 

人材を登用して活かす

報酬を公平に、賞罰を公正・厳正に

そうすればよい経営ができる。

「人は昔をわするゝものなれど、

 天は道をうしなはざるなるべし。

 さらばなど天は正理のまゝに

 おこなはれぬと云こと、

 うたがはしけれど、

 人の善悪はみづからの果報也。

 -結局、結果は自らが

  まいた種によっている-

 

 世のやすからざるは時の災難なり。

 天道も神明も

 いかにともせぬことなれど

 邪なるものは久しからずしてほろび、

 乱たる世も正にかへる、古今の理なり。

 -しんどいときもあるが

  正しくしていれば必ずよくなる-

 

 これをよくわきまへしるを稽古と云ふ。

 昔人をえらびもちゐられし日は

 先徳行をつくす。

 徳行おなじければ、

 才用あるをもちゐる。

 才用ひとしければ労効あるをとる。」

 -旧きをたずねるわけである、

  まず徳行を行なうのである、

  徳が同じであれば、

  才能のある者を用いる。

  才能が同じであれば

  汗をかく者を用いるのである。
 

いろいろと教えられた。

はっきりいってすばらしい本である。

 

とにかくこの人

再度いうが該博な知識と

なによりシャープな論旨が目立つ。

 

一介の庶民が生意気なことを

いう必要はさらさらなく

この書物の日本思想に

与えた影響の大きさから

当然のことだと感じ入った。

 

まあ、ご縁で

日本の国に生まれたわけである。

一度は、この国のかたち

天皇や天皇制について

きちんと考えてみるのは

意義深いことではないだろうか。

 

経営コンサルティングと

会計事務所の融合

 

組織デザイン研究所&

御堂筋税理士法人」

 

小笠原 でした。


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