御堂筋税理士法人創業者ブログ

「春は曙(あけぼの)。
  やうやう白くなりゆく、

  山際(やまぎわ)すこし明りて、

  紫だちたる雲の細くたなびきたる。…」

 

高校の古典で耳についた

枕草子の巻頭をかざる名文である。

 

もし、会議で、こんなダラダラと、

省略しまくりの発言をする奴がいたら

かなりの修行を積んだわたしでも

ひょっとすると切れるかも。

(よくとりとめのない発言を

 わたしは清少納言に例える)

 

まあ、それはそれとして、っと、

日本の随筆文学を代表する

この作品、

いつかは向き合いたいもの。

やっとこさ読んでみた。

 

印象。

才気と流麗な文才、

雅、栄華と哀愁に心惹かれました。

 

それにしても清少納言

なんとも気位の高い女性ですね。

それに鼻っ柱がはんぱでない。

わたしは嫌いではないが…。

身近にもそんな方がいらっしゃいます。

 

しかし、この作品

春は、夏は、秋は、冬は…

山は、川は、谷は、野は…

といった、和歌の題の好みよりも、

 

当時、栄華を極めた、

一条天皇の寵妃、定子中宮の

後宮の様子と、

藤原道隆一族の栄衰の

まなまなしい描写が

哀しいほどに心に響く。

 

彼女が生きた時代は十世紀後半。

(女房勤めしたのは

十一世紀にかかるまで)

平安時代、藤原家の絶頂期である。

 

清少納言は、

身分はそれほど高くない貴族だが

歌の道では名の知れた達人

清原元輔の娘である。

 

一度結婚したが、出戻って後

二十歳代の後半に

定子中宮の後宮に女房として上がった。

 

はじめは気後れしていたようだが、

その教養と才覚は

すぐに定子の目にとまり

重用されるようになった。

(その教養が、定子と互角で

話し相手として

欠かせなかったのである)

あとは、縦横無尽、丁々発止、

その辺の要人など

とてもじゃないが勝てない。

 

それにしても、定子中宮、

当時栄華の全盛であった

関白藤原道隆の子として

一流の貴家に生まれ、

この上ない美貌と知性に恵まれ、

一条天皇の寵愛を独り占めした。

典雅の極みのサロンを創られたその雅、

少納言ならずとも

限りない魅力を感じる。

 

私たちは、その後の

道隆の突然の死

そして、弟、道長の栄華を知るだけに

いっそう、

父、道綱、母、貴子、

兄伊周(これちか)、隆家、定子中宮など

道隆家一族の一瞬の閃光のような輝きが

痛切に心に響くのである。

 

「この世をば

  わが世とぞ思ふ  望月(もちづき)の

  欠けたることも  なしと思へば」

 

あまりにも有名な

道長のゴーマン極まりない歌である。

(そのあっけらかんさには

思わず笑ってしまうが…)

これが結末である。

 

それにしても

定子中宮の後宮の

ソフィスティケイトされた雰囲気は

いいなあ。

もっと味わってみたくなる。

 

さて、御大、道隆

道兼の惣領息子だが

長男にままあるタイプの

鷹揚な、四六冗談ばかりいっていて、

それはそれで好感をもてるのだが

その絶頂で亡くなってしまわれた。

 

当時は、若くてもすぐに亡くなっちゃう。

どうも、栄養摂取不足と不潔な生活で

脚気や皮膚病、それに伝染病も

おおかったらしい。

 

その上、ふろに入らず厚着だから

体臭がひどく、そのため香を焚きこませる。

おまけにトイレ事情が劣悪だったらしい。

なんとも興ざめな話ではある。

 

さて、道隆の長男、伊周、

才気煥発、

今ならたぶん、灘高から東大、

頭も良く、知性も文句なし、

加えて育ちの良さが、一等地を抜く。

 

だが、老練な処世術に欠ける。

おぼっちゃまなのですね。

それだけに、父亡き後のあわれさが

心に突きささる。

 

この草子は、

こうした貴重な内裏の記録にこそ

価値があるのではないだろうか。

 

彼女は、枕草子の巻末に

このエッセイを書くにいたった経緯を記す。

 

かんたんにいうと、

定子中宮が兄の伊周から

まっさらの日記帳をもらい

清少納言に何を書けばいい問うた。

 

彼女は、枕元において

気の付いたことをお書きになれば?

とお答えしたところ、

じゃああなたにぴったりだからあげる。

というわけで、里に下がったときに

あれこれ書いたものらしい。

 

なにしろ分厚いノートだから

けっこう気合を入れて書いたのだろう。

それがふとしたことで

世間に流布してしまったというわけだ。

だから、赤裸々なことが書いてあり

それゆえ興味が尽きないというわけだ。

 

以下、原文

「この草子、目に見え心に思ふことを、

人やは見むとすると思ひて、

つれづれなる里居のほどに

書き集めたるを、

あいなう、人のために

便なき言ひ過ぐしも

しつべきところどころもあれば、

よう隠し置きたりと思ひしを、

心よりほかにこそ漏り出でにけれ。 

宮の御前に、内大臣の奉り給へりけるを、 
『これに何を書かまし。

上の御前(天皇)には、

史記といふ書をなむ書かせ給へる。』 
などのたまはせしを、 
『枕にこそははべらめ。』 と申ししかば、 
『さは、得てよ。』とて給はせたりしを、

あやしきを、こよやなにやと、

尽きせず多かる紙を、

書き尽くさむとせしに、

いと物覚えぬことぞ多かるや。 

おほかたこれは、

世の中にをかしきこと、

人のめでたしなど思ふべき、

なほ選り出でて、

歌などをも、木・草・鳥・虫をも、

言ひ出したらばこそ、 
『思ふほどよりはわろし。心見えなり。』
とそしられめ、

ただ心一つに、おのづから思ふことを、

たはぶれに書きつけたれば、

ものに立ちまじり、

人並み並みなるべき耳をも

聞くべきものかはと思ひしに、 
『恥づかしき。』
なんどもぞ、見る人はし給ふなれば、

いとあやしうぞあるや。

げに、そもことわり、

人の憎むをよしと言ひ、

ほむるをもあしと言ふ人は、

心のほどこそ推し量らるれ。

ただ、人に見えけむぞ、ねたき。 

左中将、まだ伊勢守と聞こえしとき、


におはしたりしに、

端の方なりし畳をさし出でしものは、

この草子載りて出でにけり。

惑ひ取り入れしかど、

やがて持ておはして、

いと久しくありてぞ返りたりし。

それよりありきそめたるなめり、

とぞ本に。 」

 

定子は、

実家一族の没落をとことんは見ずに

何人目かの出産のときに亡くなった。

せめてもの慰めではある。

時に二十五歳、早すぎる死ではあった。

 

枕草子の中で、

とりわけ興味をそそられるのは

こうした定子のサロンでの

定子と清少納言、女房達、

要人たちの語らいや

やんごとないイベントの様子である。

 

たとえば、第一〇〇段、

妹の淑景舎(しげいさ)

(なんと雅なお名前か!)が、

東宮に嫁がれるときの

一族の面談のシーンである。

 

例の道隆関白の

ジョーク連発を書いたあとに

 

「淑景舎のいとうつくしげに、

絵に描いたるやうにて居させたまへるに、

宮はいと安らかに、

今すこし大人びさせたまへる御けしきの、

紅の御衣に光りあはせ給へる、

なほ類(たぐい)はいかでか、

と見えさせ給ふ。」

 

とこの上なく麗しき姉妹の

様子を流麗に書きつけている。

 

そして、

わたし、お妹御を拝見したい

とねだっていた清少納言に

中宮から、御簾の間から

覗きやればいいよと

サジェスチョンというか、

許可をもらっていたところの描写

 

「御膳(おもの)のをりになりて、

御髮(みぐし)上(あげ)まゐりて、

蔵人ども、御まかなひの髮上げて、

まゐらする程は、

隔てたりつる御屏風も押しあけつれば、

垣間見の人、

隠れ蓑取られたる心地して、

あかずわびしければ、

 

御簾(みす)と几帳との中にて、

柱のとよりぞ見奉る。

 

衣の裾、裳などは、

御簾の外(と)に皆押し出だされたれば、

殿、端の方より御覧じいだして、

(道隆)「あれは誰そや。

かの御簾の間より見ゆるは」と、

咎めさせたまふに、

 

「少納言が、物ゆかしがりて侍るならむ」

と申させ給へば、

 

「あなはづかし。

かれは古き得意を。

いとにくさげなる娘ども

持たりともこそ見侍れ」

などのたまふ御けしき、

いとしたり顔なり。」

 

なんぼ隠れても、

着物の裾などが出て

見えてしまっている。

関白が誰?と問うたので

わたしですとお答えしたところ、

あなたのような

昵懇のお知り合いに見られたら

わたしの娘たちが

不出来なのがわかるなあ、

とまた冗談。もちろん実は、

まったくまんざらでもない、

道隆の鼻高々ぶり、

そして、少納言の得意ぶり、

ええ感じやないですか。

 

さて、ウィットにとんだご意見を

一つだけご紹介

 

近くて遠いもの、親戚(第一六一段)

遠くて近いもの、男女の仲(第一六二段)

 

その他、紹介したい名文は数々あるが、

超有名な香炉峰の段

(高校の教科書にあった)を紹介して

置くことにしよう。

 

「雪のいと高う降りたるを

例ならず御格子まゐりて、

炭櫃に火おこして、

物語などして集まりさぶらうに、 

『少納言よ。香炉峰の雪いかならむ。』
と仰せらるれば、

御格子上げさせて、

御簾を高く上げたれば、

笑はせたまふ。

人々も 
「さることは知り、歌などにさへ歌へど、

思ひこそよらざりつれ。

なほ、この官の人にはさべきなめり。」

(第二九九段)

 

(香炉峰のシーンである)

 

雪がたくさん降った日に

中宮が、清少納言に、

「香炉峰の雪はどうだろうか?」

と問いかけたことに対して、

少納言が、すぐさまに簾を上げて

宮に雪景色をお見せした。

さすがのレベル高い、阿吽の息である。

 

同僚たちが、

白楽天(白氏文集)の有名な

香炉峰の詩は私たちも知っているけど、

そこまでの機転は利かないわ。

さすがよねえと感心したというのである。
少納言の鼻高々ぶりが伝わってくる。

 

(角川ソフィア文庫版

原文、補注、現代語訳が

分離していてよみづらい)

 

余談だが、中宮定子に対抗して

道長が送り込んだ

ダイナマイト級の秘密兵器が

彰子である。

 

そして、彰子の女房が

かの紫式部というわけである。

清少納言を

日記でこきおろしたという紫式部、

いつの日かそれを読みたいものだ。

 

経営コンサルティングと

会計事務所の融合

 

組織デザイン研究所&

御堂筋税理士法人

 

 小笠原 でした。

 


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