御堂筋税理士法人創業者ブログ

ここのところ

小職の読書テーマは

弁論術である。

 

なにを酔狂な

と言われそうである。

まあ私なりに理由はあるのだが、

それはそれとして。

 

さて、ちょうど読み終わった本が

ディオニュシオスという人の

『文章構成法』などである。

 

これがけっこう参考になった。

その中で紹介されていたのが

あの哲学者プラトンの

最高と評される文章である。

 

ところで

あれこれと読みあさっていくと

どうも西洋史上最高の文章書きは

ギリシア語では

デモステネスやプラトン

ラテン語では

キケロとカエサル

のようである。

 

そうなら

やはりその人たちの文章に

触れてみるのが手っ取り早い。

 

ただ、私たちが読むのは

日本語に翻訳されたものだから

まあ意味や雰囲気以外は

あまり伝わってこないだろうが。

 

それはそれとして

ディオニュシオスによって

紹介されていたのは

プラトンの『葬礼演説』である。

 

これは戦争で斃れた兵士たちの

合同葬儀での演説である。

 

国家への献身

亡くなった兵士たちへの崇敬の念

遺児遺族たちへの鼓舞

が燦然一体となって昇華して

思想的にすばらしいと

胸が熱くなった。

 

なのでぜひご紹介したいと

思ったしだいだ。

では、少し長いが

味わっていただきたい。

 

「私は諸君に

 彼ら自身の口から聞いた

 ことを伝え、

 またその時の

 彼らの言葉を拠りどころに、

 もし彼らがいま

 ものを言う力を取り戻せば、

 喜んで君たちに語ったであろう

 ことを聞かせよう。

 さあ、諸君は

 私の伝える内容を、

 あの人たち自身の口から

 聞いていると思わなければならない。

 彼らはこう言ったのだ。

 

 わが子らよ、

 お前たちが勇士の子であることは、

 いままさに行われている葬儀が

 その証しである。

 われわれは不名誉ながら

 生きながらえることもできるのだが、

 おまえたちとその子孫を

 恥辱にさらし

 われらの父と祖先を辱めるよりは、

 むしろ栄誉ある死を選ぶものである。

 なぜならわれわれは

 こう考えるからだ。

 -自分の血族を辱める者にとっては、

 生は生にあらず、

 またそのような者には、

 地上にあるときも死後も、

 人間であれ神であれ

 味方となる者は一人もない。

 さればおまえたちは、

 この父の言葉を心に刻み、

 ほかの何事であれ

 徳をもって励むがよい。

 

 これなくしては

 すべての財も行ないも

 醜く卑しいものとなることを

 肝に銘じて。

 なんとなれば、

 怯懦の人間には富も美ももたらさず

 (このような人の得る富は、

 他人のためであって

 おのれのためではないのだから)、

 また肉体の美も力も、

 陋劣卑怯な男に宿っては

 似つかわしく見えず、

 かえって不似合いであるために

 臆病者の正体を鮮明にあらわし、

 もてる知識の一切も、

 正義と他の徳を伴わずしては

 奸智でこそあれ

 英知と見えることはないのである。

 

 それなればこそおまえたちは、

 始めにも終わりにも

 そして絶えることなく、

 かならずや父と祖先の栄誉を

 凌ぐよう、

 あらんかぎりの熱意を傾けよ。

 

 だがそれが適わぬならば、

 心すべきは、

 徳においてわれらの方が

 おまえたちにまさるとすれば、

 その勝利はわれら父なる者の恥となり、

 他方父の方が負けるとするならば、

 その敗北はわれら父たちの幸福と

 なるということである。

 そしておのれを

 一廉の男と自負する者が、

 自分のちからによらず

 祖先の名声によって敬われるならば、

 これこそ恥辱の極みと

 言わねばならない。

 

 もしおまえたちが

 そのことを心に留めて、

 祖先の名声をみだりに利用せず

 また損なわぬ覚悟でいるならば、

 そのときこそ

 われら父たちはむしろ敗者となり、

 おまえたちが勝者となるであろう。

 たしかに親たちの栄誉は、

 子供にとって美しく偉大な宝である。

 しかし自分自身は財も名も成しえず、

 窮して親の財貨や栄誉という宝を

 蕩尽しつくし

 後の子孫にこれを手渡さぬとすれば、

 それは恥ずべきことであり

 男子にあるまじきことである。

 そしておまえたちが

 この遺訓を守り務めるならば、

 定めのときが

 おまえたちをこの墓場に運ぶとき、

 愛しいものとして愛おしむわれらの手に

 おまえたちは迎えられるであろう。

 だがしかし

 これを等閑にして

 卑しい行ないに明け暮れるならば、

 快くおまえたちを迎える者は

 誰ひとりいないであろう。

 では子供たちにはこのように伝えてほしい。

 

 われわが父たち、そして母たちに対して

 ―その存命中の者は、

 よしや不幸に見舞われようとも、

 適うかぎり心安らかに

 これに耐えるよう励まし、

 ともに悲嘆にくれることのないよう

 諸君は努めるべきである。

 なぜならこれ以上に

 親たちを苦しめる者は必要ないからである。

 

 すでに起こった不幸だけで、

 苦しみを与えるには十分であろうから。

 いやむしろ癒しと宥めを与えて、

 親たちの祈りの最大のものを

 神々が聞き届け給うたことを

 思い起させるがよい。

 

 なぜなら彼らの願いは

 わが子に永遠の命が

 与えられることではなく、

 勇敢で誉れ高い勇士と

 なることであったのだが、

 まさにこの最高の善を

 子らは為し遂げたのであった。

 死すべき人間にとって、

 自分の人生で思う通りに

 すべてが運ぶことは容易ではない。

 そして不幸に雄々しく耐えるならば、

 さすがに雄々しい子らの父たちと、

 またみずからも益荒男と称えられようが、

 

 不幸に挫けるならば、

 彼らはわれらの父であることを疑われ、

 またわれらは

 追悼演説者の

 称えるような男子ではないとの 

 疑惑を呼ぶであろう。

 このいずれもあるまじきことであり、

 真に雄々しい男たちの

 雄々しい父親であることを

 まぎれもなく示すことにより、

 親たちはそのじっさいの姿をもって

 われらの最大の賞賛者で

 あらねばならない。

 

 そのかみよりの箴言

 「何事も程を過ぎるなかれ」は、

 名言とされている。

 まことにいみじくも言われた言葉である。

 というのも幸福をもたらすすべての、

 ないしはほとんどのものを

 自分自身のうちにもち、

 他人に左右されず

 その幸不幸に振り回されない人間こそ、

 最もよく生きるすべを

 身につけた者だからである。

 そのような人こそ節度を知る人物であり、

 そのような人こそ勇敢で賢明な人物であり、

 そのような人こそ子供と財産に恵まれても、

 あるいはそれを奪われても、

 最もよくこの諺に従う人である。

 というのはその人は

 おのれを恃むことによって、

 喜びにも悲しみにもほどを過ぎぬ

 人間であるということが

 明らかになるであろうから。

 

 われわれは親たちに

 このようにあることを求め、そう願い、

 そして現にそうであると断言するものである。

 

 そしてわれわれも

 いま死を余儀なくされるとしても、

 程を過ぎて怒りも恐れもせずに、

 いまみずからをこのような者として

 捧げるのである。

 そして父母たちに残りの生涯の間、

 このように考えて過ごしてほしいと願い、

 われわれのことを

 嘆かず悲しまずにいてこそ、

 われわれをこよなく喜ばせるのだと

 知ってほしいと願う。

 

 それゆえもし

 死者にも生者と同じ感覚があるならば、

 親たちはみずからを惨めにし

 不幸に打ちひしがれることによって

 われわれから喜びを奪うであろうが、

 心軽く程を過ぎることなく耐えるならば、

 われわれをこよなく喜ばすであろう。

 われわれははや

 人に身にありうるかぎりの

 いとも気高き最後を迎えるであろう。

 それには悲嘆より賞賛こそが

 似つかわしいのである。

 そして親たちが

 われわれの妻や子を心にかけ、養い、

 そうしたことに目を転じるならば、

 彼らはこの悲運を忘れて

 よりよくより正しく、

 われらにとってより喜ばしい

 生き方をするであろう、

 われわれが家族に伝えるべきことは

 これで充分である。

 

 だが国家に対しては、

 われわれの父と子の

 面倒をみてくれるように要請しよう。

 一方には規律ある教育を与え、

 他方には老年にふさわしい

 効用を尽くすようにと。

 だがたとえわれわれが要請せずとも、

 国家が十分配慮するであろうことは

 よく承知している。

 よろしいか、

 死者の両親ならびに子供たちよ、

 以上のように諸君に伝えるように

 彼らは指示した。

 私はできる限りこころをこめて、

 こうしてそれを伝えるのだ。」

 

古代の人たちは偉かったなあ。

 

会計事務所と

経営コンサルティングの融合

 

御堂筋税理士法人&

組織デザイン研究所

 

小笠原 でした。


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