御堂筋税理士法人創業者ブログ

さて、昨日に続いて

吉田松陰の事績を

回顧したいと思います。

いよいよ教育者としての

あり方についてです。

松陰の率いた松下村塾は

「その外面的形態においては

ひとつの漢学塾にすぎなかったが、

その内面的精神においては

日本的自覚に立って

難局打開の力を陶冶する

教育所であった。」

「当時としては

教育の根本的革新を要求する

こととなったのである」

と玖村氏の松陰伝にあります。

(松下村塾、秋になったら

また行ってみたいと

思うようになりました)

「塾では厳正なる規則を立てて

生徒を率いることはしないで、

相互に親和扶助し尊敬信頼し

互いに魂の扉を開いて

交わるようにした。

米をときながら

ときには養蚕もしつつ勉学し、

あるいは登山演習

撃剣水泳等をともにしたことも

かかる機会をつくるためであった。」

やっぱり体験の共有が

だいじですね。

「松陰はこの増築後

(塾を増築したこと)

幽室を出て塾に常居し、

文字どおり塾生と

一切の生活を共にする

こととなったのである。」

松下村塾と松陰の論策は

やがて世の流れを

作って行こうとした

人たちに影響を及ぼすように

なったようです。

こうして必然的に

松陰の活動は

思索から実践へと

向かわざるをえなかったように

思います。

松陰は二回にわたり

幽閉されていますが、

「思うに前回の在獄には

いわば翼を収めて内に養い、

あるいは同囚の教育に

専念する趣きがあったのに、

今度は時勢が切迫した関係もあり、

自らの精神を実現し、

また松下村塾の教育を

完成するためにも

むしろ外部との連絡を図りながら、

国家の実事に

はたらきかけようとする。…

ここに、教育者的生活から

志士的実践運動への

転向の意思が鮮明である。」

と玖村氏は述べているのです。

その松陰の精神を

「水が灌漑の利まで

はたらくためには

地を掘り泉を得て、

これを蓄える池が

築かれなくてはならぬ。

先覚者先憂者は

この地下水に

最初の出口を与える人である。

最初のつるはしを打ち込む人は

その頑石の破片に

傷つくかもしれない。

ただそれだけのために

一死を分とするのが先駆者である。

而してただ忠義の心の

純なるもののみこれに堪える」

と書かれています。

けだし、そのとおりでしょう。

しかし、時代の先覚者として

自ら命を惜しまず

心の赴くところ実行していくのには

とても大きな障壁があります。

それは忠孝の一致という試練です。

君に忠たらんと欲すれば

親に不忠たらざるを得ないという

精神の超克です。

それは、やがて

天下国家への

命をささげた貢献が

即ち親に忠たることであるという

止揚によって統合されます。

そこにはあくまでも

松陰を信頼するという

家族、一族の愛も

大きく松陰を後押ししたと

思います。

『第一、丈夫の死所については、

〔李氏焚書〕を読んで啓発を受けたが

要をいえば、

死は好むべきにもあらず

にくむべきにもあらず、

心死して肉体だけ生きても

無益である、

魂存すれば身亡ぶも

失うところはない。

死して不朽の見込みあらば

いつでも死ぬべし、

生きて大業の見込みあらば

いつでも行くべし』

(松陰の文)

こうした松陰先生の死生観は

遺書である

『留魂録』に記されています。

その心情の吐露は

とても落涙なくしては読めませんが、

要約すると次のようになります。

大自然に四季の循環があり

人には生命の顛末がある。

それは使命の完結であり、

松陰先生の場合、

継承の人を育て、得て

自己は信念を実践し

時代の先駆者となって死し

後継者を奮い立たせ

行動へ導くことでした。

「人間の最内部にある

至誠が才能や文化に睛を

点じなければ、

未だそれは人間教育というに

値せぬのである。

しかも至誠はただ

至誠のみが生じうるので、

もし才能や文化が

真に生きた力とならぬようであったら

その教育は未完成であり、

未完成の責任は教育者にある

といわねばならない」

(玖村氏の解説)

「『自ら死ぬことのできぬ

男が決して人を死なすことは

できぬぞ』

といった人が今や自ら死んで、

誰をも咎めかつ怨まぬという

無私の立場において

『吾の祈念を籠る所は

同志の士甲斐甲斐しく

我が志を継紹して

尊攘(尊王攘夷のこと)の

大功を建てよかしなり』

と読む者の至誠に

呼びかけるのである。

これによって

もし至誠が通ってくれば、

その人は松陰から

死なされる人となるによって

実に松陰と共に

永遠に生きる人となるのである。

そうなれば

かつて松下村塾で

描かれた群竜(門人たちのこと)は

次々に点睛されつつ

風を起し雲に乗って

九天の上に

動きはじめねばならぬのである。」

「大器は大成し

小器は小成する外はないと

松陰は教えた、

各その器に従って

国家の隆盛に貢献するように

務めしめたの…

幕末維新の際に

どれだけ多くの人々が

その思想と精神に導かれ

感奮興起したことであろう。

現代およに将来においても

その烈々たる愛国的精神、

その至純なる教育的精神は、

なお未だことごとくは

実現していないところの

その雄大なる国策とともに

これを仰ぐ者の心に

永く生きてはたらきつづけ、

天壌の窮りなき皇運を

万古に扶翼し奉るだろう。」

というこの伝の巻末のことばは

松陰の事蹟の意義を

総べるに適切だなあと

感じ入りました。

つまり松陰は

至誠をもって人の長所を養い

自らは無私の愛国精神で

未来への先駆として

身をもって後輩を導いたわけです。

松陰のその生き方が

教育者としてのこころざしをp>

体現しているところに、

森信三先生が

松陰を大いに

称揚しているゆえんがある

のではないでしょうか。

御堂筋コンサルティンググループ

経営コンサルティングと会計事務所の融合

組織デザイン研究所&御堂筋税理士法人

税理士コンサルタント 小笠原 でした。


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