御堂筋税理士法人創業者ブログ

 

 

 今まで、西洋思想の流れをたどってみてきた。西洋思想や西洋人の考え方を理解する場合にはいくつかの要因を頭に入れておかねばならない。ひとつは多民族ということだ。しかしそれは第一にアルファベットという共通文字が紐帯となっている。ヘブライの思想(旧約とキリスト教)、ギリシャの思弁、ラテン語という語源、ローマによる統一国家体験などだ。

 西洋哲学は、ギリシャ時代に発し、長い思弁の伝統により、ルネッサンス以降の西洋科学の発達をもたらし、ために西洋人が世界を制覇した。これが西洋の世界制覇の原因である。そして、この制覇は確定した。

 しかし、だからといって西洋人の考え方が全能なのか?そこにはおおいなる疑問がある。なぜなら、それほど優秀であるなら、人類がこれほど、失敗を重ね続けることはなかっただろうからである。帝国主義、アーリア人優位思想、資源乱獲、環境破壊、大量殺人…それらのすべての責を彼らに帰することではないが、こうした馬鹿さ加減は枚挙にいとまがない。

 体力、感情の表現その他、日本人から見た彼らの特徴には、私たちとのちがいも多い。その違いはどこから来るのか?体質的な特性、テストステロンなどホルモンの多寡、アーリア語系のことばの並び方による思考方法のちがい、気象などからくる体格の差異、人種のるつぼ状態のちがいによる政治的感覚のちがいなど、とてもではないが精緻な分析と説明はできない。

 西洋人の思想は分析的であるがゆえに、外面的な傾向がある。そこを補完するのが東洋思想のよいところだと思う。かつて、と言っても20世紀中葉に至るまで、西洋人の傲慢さは鼻もちならないほどであった。だが、さすがに今日、そのような傲慢さは、見た目だけか真実かは別にして、表面だっては目立たない。実際に、昨今のシリコンバレーの経営者たちが記した書物を見ると、ヨガ、禅、孔子などの思想やエクササイズの話は普通に出てくる。亡くなったスティーブ・ジョブズがしばしば密かに日本を訪れ、禅の修行をしていたことは知られている。

 まあ、簡単に言えば、西洋人は左脳が強く、東洋人は右脳が強いということだ。これらは相まって全き思考、人格を作る。分析と統合、論語と算盤、経済と道徳…など、さまざまに言える。ここに現代社会における東洋思想、東洋の叡智の存在価値がある。

 一般に、東洋では、分析的なものの見方よりも、統合的見方が優位を占める。西洋医学が手術を得意とする一方、東洋医学は、鍼灸や漢方が得意であるがごとくである。また西洋庭園の幾何学的模様と日本庭園のそれとは似ても似つかない様相を帯びている。仏陀の『自利利他』の精神を併せると、東洋の思想には、自分が変われば相手がか相手が変わるという、自己修養の思想があるのではないだろうか。

 そこで目を東洋に向けてみよう。東洋と西洋の思想史上の巨人たち、孔子(前552~全479)、仏陀(?)、ソクラテスは、ざくっというとほぼ同時代の人であって、その時点で、西洋と東洋の文明に差はなかった。GDPなどはむしろ東洋が永らく西洋を陵駕していたくらいである。

 中国では、春秋時代、儒教思想が現われた。中国人は極めて現世的な考え方である。儒教思想の根本は徳を持って治める、つまり『徳治主義』である。そしてその根本には『孝』の思想がある。『孝』の考え方は、『孝経』に記されている。その第一章は「身体髮膚、之を父母に受く、敢て毀傷せざるは孝の始めなり。 身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以て父母を顕わすは孝の終わりなり。」となっている。その思想は、謝恩と報恩ということに集約される。徳を持って治めるということは、必然的に、自らが手本を示すということが必要になる。したがって、自己の修養が求められる。礼記の大學が、『修己治人』(己を修れば、人が治まる)を説くゆえんである。

 孔子は、書経・易経・春秋・礼記・詩経の五経を表わした。孔子の思想はその後、孟子や荀子を経て中国の政治の実際の理論的基礎となった。孟子は性善説を取り、荀子は性悪説を取った。荀子の思想は、その後韓非子などに引き継がれ法家思想となった。中国を統一した秦の始皇帝はこの考え方を取った。

 いずれにせよ、中国では、以後、官僚の登用試験である“科挙”では、これら五経の経書から問題が出されることとなった。この制度は、清朝の崩壊まで続いた。

 この儒教の思想を形而上学にまで昇華していったのが、南宋の朱熹(朱子)(1130~1200)であった。彼は理気一元論を説き、また礼記中の『大学』と『中庸』を称揚、特にこれらを抜き出し、『論語』、『中庸』と併せて四書とした。爾後、これらを元にした学びと修養は思弁重視の“朱子学”と言われ、江戸時代の徳川幕府において官学に指定された。

 これに対して、その後に出た王陽明(1472~1529)は、心即理・知行合一・致良知の説を主として、行動重視の陽明学を開いた。ために陽明学はともすれば過激に流れるとして時の権力側からは警戒された。

 一方、インドでは仏陀により仏教が創始された。仏教の思想は、宗教というよりも思弁哲学と言えるものである。仏陀は、人間を取り巻く世界は、不条理であり、人間が生きることは苦に満ちているとし、その苦は欲により起こると喝破した。そして、その苦を克服して主体的に生きるために、四諦と8つの正しい行いと思弁(八正道)を提唱した。これらは原始仏教と阿含宗と言われる。

 仏陀の入滅後、その弟子たちは結集により、会議を開きその遺蹟を引き継ごうと努力した。しかしその教えは、自己の救済を主眼とする小乗の教えと、大衆とともに救済に向う大乗の教えとに分かれていった。

 大乗の教えは、われわれ庶民もいっしょに救われようという思想であり、般若経、華厳経、妙法蓮華経、阿弥陀経などが編纂され説かれた。そしてナーガールジュナ(竜樹)が現われ大乗の思想を理論整備したそれは縁起説、空の理論である。これは大乗の基礎教理である。

 さらに、凡夫の中に成仏の種が宿っているとする如来蔵の考え方や、涅槃経に見るさらに広い悉有仏性の考え方が育っていった。これも大乗の根底にある通奏低音である。

 一方、弥勒や無着、世親などによって唯識説がまとめられていった。これはカントの世界に通じるものである。唯識は禅に通じるものではないだろうか。さらに別に大日如来の説法を用いる密教が現われ、真言の教えとなった。これはいわゆる神秘主義である。マンダラによってイメージされるその境地はヨーガの取組みによって通達される。

 また、大乗仏教の一派として、達磨大師を祖として起こったのが禅宗である。禅では、座禅・修養によって仏性の悟りをめざし、それは文字によるのではなく、直覚的頓悟によるとする。

 仏教は、幾人もの努力により中国にもたらされた。中国人は現世思想であり、死後の世界を軽視したから、仏教と儒教は、出家と孝の思想などで相容れず論争が続いた。その後仏教は道教の思想と融合していき、中国独特の色合いが生み出されていった。さらに禅の思想が入ってきた。また、天台思想、浄土教などが順次起こっていった。

 そして、仏教は、聖徳太子の受け入れ、南都六宗、平安時代の最澄による天台と空海による真言、日本史上最大の哲学者、道元による禅宗、法然・親鸞による浄土教などで、順次日本に移入されていった。

 さて、こうした学びを基に、いよいよ、私たち日本人の考え方の特徴、その形成の歴史を見ていきたいと思う。なぜならこのグローバルな時代において、西洋の価値観や、主として中国の権威主義、そしてその双方をも巻き込んだ金銭中心主義と総取り経済に対して、個人としてまた国家として、日本人の主体性を保ち、その価値観により自信をもって臨み、みずからの思想をきちんと主張できることは極めて重要なことだからだ。一人の人間として、自らの考え方や生き方、価値観を語れることが、他者から尊重されるための条件であり、真のインターナショナリストたるためには、自らの国の来し方、あり方、考え方に立脚できるナショナリストであらねばならないからである。

 私たち日本人の民族のルーツには諸説がある。まあ南方系民族、北方系民族の混合と考えて差し支えないだろう。彼らが、この四季の季節性に富んだ、また自然の災害の多い、日本列島に移り住んで民族が形成されていった。私たち日本人は、知的開発的には後進民族である。中国に隣置していることから、必然的に、文字文化として漢字を受け入れた。しかし言語としてはウラル・アルタイ語の系統が受け継がれたので、主語―修飾語―動詞という語順=思考順序となっている

 日本に統一政権が誕生したのは、いわゆる大和朝廷によってである。私見では、朝鮮からの移住による支配王朝である。そして、どの民族とも同様に、彼らは自らの出自の神話を創作していった。それが古事記である。古事記では、日本は神代七代から天孫降臨を経て現人神となってこの豊蘆原国を統治したとする。そして現在に至るまでその統治は万世一系に天皇家によって連綿と続いている。これは世界に唯一の現象であり、そこには天皇を中心とし、国民は皆その家族であるという思想がある。そして、神ながらの道と、八百万の神を尊崇する。極めて素朴な宗教観である。

 有史時代になってすぐに、朝鮮半島を経由して仏教および儒教の思想が入ってきた。儒教思想により、国の統治の形や倫理が整備されたし、また仏教思想により国家の鎮撫と個人の救済が図られた。神仏はしだいに習合され、本地垂迹説として、八百万の神は、仏陀が姿を変えてこの地にやってきたと説明された。このような大らかさは、ギリシャやローマの多神教の世界に通じのどかな世界観である。ヘブライのあの排他的な一神教の世界とは趣きをまったく異にする。ヘブライ思想が勝利するのは必然であろう。

 その後、国家は、天皇の親政から貴族政へ、そして平安末期から武家の政治に権力中枢は移っていく。もののふたちの精神風土は、死への準備である。そこにフィットしたのは、奈良時代の南都六宗でもなく、平安時代の天密二宗でもない、禅の思想であった。こうしてしだいに武士道の精神が形造られていった。武士道が確立した時には、残念なことに徳川政権による支配がなり、もはや武士たちが本来の面目を果たす、戦場がなくなり、その精神は自ずと、夢想の世界へと幽化していった。この悪しき先進の疾病は、あのおぞましい第二次世界大戦へのミスリードにつながったと私は考えている。そして、徳川初期にいたる新たな儒教哲学、朱子学と陽明学が日本にもたらされた。

 こうした政権の変遷の中でも、各覇者は名目上は天皇家を主家として統治のトップに位置づけた。これが日本特異の現象であろう。平家→源氏→足利政権→織田政権→徳川政権という変遷においては、基本的に彼らは、平家と源氏の末流を自称し、その交代劇として自己の正当性を位置づけた。こうした国体の研究は、江戸中期盛んになり、それは国学というかたちで結晶化していった。

 このように私たち日本人の思考形式、情緒性は、豊かで災い多い風土を背景として、神ながらの道、仏教、儒教、禅をベースにして武士道、国学へと昇華していった。そしてそこに洋学の知識が流入していったのである。このように日本人は、自らの文明をクリエイトすることにはさしたる成果をもたず、移入する文化文明を驚くほどの柔軟性で受入れ消化発展させていった。

 礼儀正しさ、物静かさ、器用さ、親切さといった日本人の美点、集団意識、排他性、創造力の欠如、ダイナミックなエネルギーの欠如などの欠点も、これら自然と受け入れてきた思想の結果である。こうした思想と長短所の認識を前提に、これからの世界で私たちは、グローバルな価値の事実上の強制と、それに対する主張をしながら、主体的に生きていかなければならない。しかしこうした日本人の特筆すべきユニークさから、世界にたいして貢献できることがあると確認している。

 さて、最後に、私たちのビジネスにおいて、こうした学びは何のために役立つのかということである。私たちの仕事は、中小企業や個人に対して税務財務会計的なかかわりをベースに、さまざまなビジネスソリューションを提供することである。その役割の根底にはアドバイスの機能がある。効果的なアドバイス、説得力の源にはさまざまなスキルが必要である。その主要な一つが、深い、なるほどという考えをもっていて、それをシーンに合わせて披歴できることである。そこには思想の力が必要である。

 これらの学習から私たちが身に持っておくべきとても重要な考え方、原則がある。以下に私が学んだことを列記しておきたい。

1 経営者、リーダーが持っておくべき価値観である。
 ① 受生の恩→謝恩→報恩→立志→修養
 ② 自分が変われば、周りは変わる

2 事実はない、見解があるだけである
  これはカントの物自体の直接掌握性の不可能さと、感性、悟性による表象のことを示し、独断に陥らず、対話に     
 より、すなおに他者に傾聴することを説く。

3 科学的精神を持つこと
 ① 仮説思考、② 実験による検証、③ 数学による定式化、④ 新たな仮説に表現の自由

 いかがだろうか?上の三つが、私がメンバーたちに伝え、わかってもらい、そして身につけてもらいたい思想である。それだけを話しても、なぜ私がこの3つのことを重要に思うようになったかは分からないだろう。それゆえ、私がそう確信するようになった学びの内容とプロセスを伝えたのである。

会計事務所と経営コンサルティングの融合

御堂筋税理士法人&組織デザイン研究所

小笠原でした。

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