久しぶりに儒教哲学にあたる(荻生徂徠;弁名)
2021.09.14
読書と修養
久しぶりに、儒教哲学の本を読んだ。荻生徂徠の『弁名』である。弁名は、タイトル通り、儒教のキーワードについて、弁じたものである。なぜこの本を読むにいたったかというと、小林秀雄の『考えるヒント2』を読んでいて、徂徠のエッセイがあったからである。
僕はよく知らないが、徂徠は江戸時代を代表する知の巨人だそうである。僕で言えば、高校の日本史の授業で名を聞いた程度である。
日本では、思想の花は、江戸時代において開いたというべきだろう。もちろん、平安期にも、鎌倉期にもそういう時期はあったろうが。
徳川家康が、気に入って使った林羅山によって、朱子学が日本の官学になった。だから彼の作った昌平坂学問所は、いわば東大である。一方において別の知の系統がある。僕の大好きな中江藤樹から熊沢蕃山などの陽明学の流れ、契沖、賀茂真淵、本居宣長にいたる国学の系譜、伊藤仁斎、荻生徂徠などの古学の流れなどだ。これらは、民学というべきだろうか?学校でいえば、早慶、同立の如きである。
さて、日本人の考え方は、やまと心に、仏教、儒教、禅が流入し、渾然となり、やがてそれは武士道に結実していく。さらに江戸期に入って洋学も合流した。そのハイブリッドが日本人の思想を形づくっていると思う。それは西欧人が、ギリシャ・ローマの思想に、ヘブライの思想が入って渾然となったことに比べられるだろう。
そんな中で、儒仏の考え方の影響を排して、古代の人の心情にせまったのが本居宣長である。彼は、『紫文要領』で、仏教や儒教的な視点から勧善懲悪的に源氏物語を解釈した緒論を批判し、式部が著した物語の本質を『もののあはれ』にあると喝破した。すばらしいと思う。その後、彼のライフワークである『古事記』をどう読むべきかに挑んだ。そして、三十有余年心血を注いだ成果が『古事記伝』である。僕は勢いに駆られてそれを入手したが、いまだ書棚の肥やしである。たぶんずっとそうだろう。とても歯が立たないので、小林秀雄の『本居宣長(上・下)』でお茶を濁した。彼は『漢ごころ』を排して古事記を読んだ。そして古人のこころを同感した。その業績は、今も屹立している。
一方、荻生徂徠は儒学に魅せられた。僕もそうだから判る。そして伊藤仁斎の影響を受け、漢代のあとの諸解釈、特に朱子など宋儒の考え方を邪道として、書経など六経をすなおに読み進めた。それも文章を、返り点をつけずにストレートに発音して味わった。これを古辞学というらしい(まちがっていたらごめんなさい)。
余談だが、文字を持たなかった日本人は、他の中国の衛星国と同じように漢字を輸入して、それでことばを文章として記録しようと悪戦苦闘した。その工夫の成果がひらがなであり、カタカナであり、和漢混淆文であった。一方、上流階級の男やさむらいは、漢文をそのまま自分たちの記述形式として取り入れた。だが問題が残る。それは中国語の語順と日本語の語順とがちがうことだ。そこで苦肉の策として、返り点(一二三、上中下、甲乙丙も)を使って、文章を行きつ戻りつして読んだ。
そこでハッと思った。今断続的に史記を読んでいるが、これもわからんでも漢文をそのまま上から下へと読んで、その後解説を読むのも面白いかもしれないと。難しいことは抜きで、ただ棒読みするのだ。語順は、その国民の考える手順だから思考形式である。その国の人の書いていることを、その国の人のように感じようとすればそうなるのではないか?英語でも、わからんでも棒読みするでいいのかもしれない。
本居宣長と荻生徂徠の精神に共通しているものは、研究対象であるもの(この場合古書籍だが)を、何のバイアスも入れずにそのまま吟味したということだ。それが僕を感心させた。そして大いなる刺激と影響を受けた。なぜなら、僕の仕事もお客様の会社をよく知って、もっと良い会社になられるようにアドバイスすることであるが、その場合でも、お客様の会社をすなおに見ることがとても大事だからだ。
荻生徂徠の『弁名』で探求の対象になる言葉は、道から始まり、徳、仁、智、聖、礼、義、孝悌、忠信、恕、誠、恭・敬・荘・慎独、謙・譲・遜・不伐、勇・武・剛・強・毅、清・廉・不欲、節・倹、公・正・直、中庸・和・哀、善・良、元亨利貞、天・命・帝・鬼・神、性・情・才、心・志・意、思・謀・慮、理・気・人欲、陰陽五行、五常、極、学、文質・体用・本末・八則、経・権、物、君子・小人 とまあ以上である。興味深い言葉もあるし、得意なものも、不得意なのものもある。
結論から言うと、この話、言いたいことは次のようなことだと理解した。
道とは、あくまで民を安んずる道をいう、その眼目は仁である。
そのために『詩書礼楽』を修め、徳を得ることだ。
道、徳、仁、智、礼、義、恕などはとても大事な概念で、しっかりとその心がまえを身につけなければならないと思った。
「聖人の道を求めんと欲する者は、必ずこれを六経に求めて、以てその物を識り、これを秦漢以前の書に求めて、以てその名を識り、名を物と舛(たが)はずして、しかるのち聖人の道、得て言ふべきのみ(論じることができる)。故に弁名を作る。」
執拗な宋儒の排撃があるが、僕があらためて瞠目させられたのは、道と徳である。
道とは、民を安んずるの方法をいうということだ。つまりリーダーシップ、経営者のあるべき姿とは、メンバー、社員を安らかにする工夫に尽きるという点である。シンプルーッ!!これは目からうろこ、はっとさせられた。
「けだし古先聖王の立つる所にして、天下後世の人をしてこれに由りて以て行はしめ、しかうして己もまたこれに由りて以て行ふなり。これを人の道路に由りて以て行うに辟(たと)ふ。故にこれを道と謂ふ。
孝悌仁義より、以て礼楽刑政に至るまで、合せて以てこれに名づく。故に統名と日ふなり。先王は聖人なり。故に或いはこれを『先王の道』と謂ひ、或いはこれを『聖人の道』と謂ふ。凡そ君子たる者は努めてこれに由る。故にまたこれを『君子の道』とも謂ふ。孔子の伝ふる所は、儒者これを守る。故にこれ『孔子の道』と謂ひ、またこれを『儒者の道』と謂ふ。その実は一なり。」
「それ道なる者は、上古の聖人の時より、すでに由る所あり。堯舜に至りてしかるのち道立ち、殷・周を歴てしかるのちますます備る。これ数千歳・数十聖人を更、その心力智巧を尽くして以てこれを成す。あに一聖人一生の力の能くなす所ならんや。故に孔子の堯舜を祖述し、文武を憲章し、古を好み、学を好みしは、これがための故なり。」
「その言ふべからざるを以てや。故に先王は言と事とを立てて以てこれを守らしめたり。詩書礼楽は、これその教へなり。」
「道、身に在れば、すなはち言おのずから順にして、行ひおのづから正しく、君に事へてはおのづから忠、父に事へてはおのづから孝、人とともにしてはおのづから信、物に応じてはおのづから治る。」
また、徳とは、道に至る特性を得ることだという。それは各自の良いところを伸ばすことであるという。ドラッカーと同じである。これも僕に確信を持たせた。
あとは、仁、義、恕などとても大事なコンセプトがあるが、長くなるので省略。
弁名のよいところは、儒学のキーワードになる言葉を、六経(書経、春秋、詩経、楽経、礼記、易経)にあたり、すなおに読み解いたところにある。学びの大いなる参考になった。
それにしてもこうした著作を手に入れるのはむずかしい。アマゾンで探しても一般向けのものがない。まあ売れないからしかたないが。私は岩波のオンデマンド印刷でようやく、日本思想体系の荻生徂徠で読んだ。ただし高い。うちの社長には、阪大の子安宣邦先生の『荻生徂徠講義 弁名を読む』をポチって読んでみ~と渡した。迷惑な話だろうが…。
最近、僕の読書も迷走気味である。元来の気の散り様が激しくなってきた。仕事の本も読まなければならないのだが、今年は、中国思想と思っていたところに、日本の小説やらあちゃらの小説やら、あれやこれやそれや(面倒くさいのでいちいち書かないが)で支離滅裂、体がばらばらになりそうである。まあコロナで開店休業だし、これから秋の夜長、本でも楽しませてもらいます。