御堂筋税理士法人創業者ブログ

頭が粗雑な小生はときどきこの類の本を手に取ってしまう。

論理思考というと小生のような輩はついついビジネススクールのロジカルシンキングってなところに思考が行ってしまう。

 本書は『論理的思考』とは何か?というテーマで、それは決してアングロサクソンのバサバサの直線的な論理回路ではなく、諸民族の価値観によってさまざまあることを示そうとする。

 目的合理性・手段合理性と主観的・客観的の2軸により、事例としてつぎの4つが挙げられている。

①アメリカ風・・・主張→根拠→主張のくりかえし(経済論理のエッセイ)

②フランス風・・・導入→展開(弁証法→正・反・合)→結論(次への問いかけ)(政治論理のディセルタシオン)

③イラン風・・・序論→本論(3つの例)→結論(神への感謝)(法技術論理のエンシャー)

④日本風・・・序論→書き手の体験→感想(社会的論理の感想文)

 著者がアメリカに留学したときの体験談として、レポートを提出したときに何度書き直しても、何を言いたいのかさっぱりわからず採点不能と戻されたというトラウマ的エピソードから話ははじまる。

 確かにわからんでもない。ユダヤ・ギリシア・キリストの『ロゴスの国』と古事記の『言挙げしない国』の遭遇だからそうなるだろう。そういう点では小生も日本人の幼稚さは否定しない(第一ヨーロッパ人やセムハム人のおそろしい顔つきに比べたら、日本人など幼児のような顔つきだからな)。

 わたし的に、上記の4つを較べて思うのは、

①のアメリカ風は、合理主義、最短で成果につなげようという単純陽気な歴史のない民族の浅知恵。右脳無視、論理優先で単細胞、結局えらい目に遭う。ミサイルに乗ったカウボーイが目に浮かぶ。

②のフランス風は、フランス革命以来の彼らの苦心惨憺の産物だとか、なるほど。元はプロシアのヘーゲルの弁証法だが、しかし元来のアリストテレスの三段論法に発する演繹法などの論理思考が新たな発想を生まない構造なのに比して、弁証法では新たな思考展開、創造がなされるし、なによりそこで出てきた結論も、次の批判を待つというとても建設的なものですばらしいと思う。さすがフランス人と拍手を送りたい(がいつまでも議論がかまびすしいやろうなと思うが)

③のイラン風は、小生も知識不足でコメントは差し控えたい。はやくコーランを読破したいものだが、しかしコーランがすべての基礎だから、どのような議論もそこに根拠づけられるわけで、これだと社会発展はないなあと思う。子供のときからこうした構造で思考(作文)をするわけだからなあ。

④はわたしの生まれ育ち住んでいる社会での、学校教育で先生から求められる作文形式だ。論理的と言えるのかすらわたしでも怪しい代物でまあ幼稚ですわ。しかしひときわいわゆる論理を越えてしまう右脳的なものは人類の脳みその体積の半分を占めるわけでうまくそれを活かしてほしいものだ。虫のすざくを雑音にしか聞こえない欧米人の脳みその構造はただ笑うだけではすまないものがある。

 これはただ4つの事例だが、世界中の言葉の数だけ論理的と言える思考法はあるわけで、こら並大抵では相互理解でけへんなあと思います。ちがうところに批判的光をあてるのではなく、おなじところに共感的光を当てたいものですなあ。

 昨日紹介した『暗黙知の次元』でも演繹的分解的左脳的脳だけではなく、直観的総合的右脳的脳(そこにフロイトが発見した無意識も入ってくる)の重要性の発見とその研究・応用・活用・重視がこれからの世界、大事やと思いまっせ。

 先日紹介した経営学のミンツバーグ、昨日紹介したポランニー、明日にでも書こうと思う教育学のブルーナーなど、そういう観点から見てみるとおもしろいと思いました。

 左脳的を左脳で理解するどこやらの大統領、左脳的を右脳で理解するどこやらの理屈コネの税理士、右脳的を右脳で理解するどこやらのご夫人、右脳的を左脳で理解するシリコンバレーの禅にはまる経営者など世の中おもしろい。

論理的思考とは何か (岩波新書 新赤版 2036) 新書

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