御堂筋税理士法人創業者ブログ

第二次大戦中のドイツの強制収容所の話となれば
われわれ日本人には、少し遠い話に思えるのではないか。
私も、まさにそのような感じを持つ一人だ。
映画、『シンドラーのリスト』など、真正面から扱った作品も多々ある。
しかし、私の場合、できればおぞましいものは避けたいと
今まで、そういった話題には、目も耳もふさいできた。

今回、ゆえあって、ヴィクトール・エミール・フランクルの
夜と霧(邦題)』を読んだ。
フランクルは、ユダヤ系オーストリア人で、著名な心理学者である。
強制収容所に収容されたが、生き延びた人で、
その体験と考察が書かれたのが、くだんの本である。

その内容と率直な筆致ゆえ、読む者に根底から生き方を考えさせる本である。
最終章に近い「絶望との戦い」、そして最終章「深き淵より」を読むと
絶望の中で、生き続けられる人の区別は、
その人が生きる目的をもっているかによることがわかる。

「なにゆえ生きるかを知っている者は、ほとんどあらゆるいかに生きるかに耐えるのだ(ニーチェ)。」
つまり手段ではなく、目的なのだ。
「苦悩の極みによって昂められし(リルケ)」
苦悩の持つ意思とそれを担うという覚悟まで認識が高められることが必要だ。
「必要なのはそれを直視することだ」
まだなすべきことがある、家族、仕事・・・
「人生は彼らからまだあるものを期待しているということ」
「個々の人間を特徴づけ、個々の存在に意味を与える唯一性や独自性は
創造的な仕事に対してあてはまるばかりでなく、
また他の人間とその愛に対してもあてはまるのである。
この各個人がもっている、他人によってとりかえられ得ないという性質、
かけがえないということは、
―意識されれば―人間が彼の生活や生き続けることにおいて
担っている責任の大きさを明らかにする」

「模範的存在であるということの直接の影響は常に言葉よりも大きいのである」

「犠牲は意味をもつものだ・・・宗教的な意味で信仰をもっている人は
そのことをよく知っている」

「『かくも悩んだ後には、この世界の何ものも・・・神以外には・・・恐れる必要はない』
という貴重な感慨によって仕上げられるのである。」

わたしのような凡夫には、語る言葉はない。
ただ、受け止めて感じることだけだ。

「ガスかまどによる虐殺の目撃者、
クルト・ゲルシュタインはその体験を次のように述べている
・・・死体は互いに密着してよりかかっていた。
死者の中の家族はすぐ判った。
なぜならばそれは死の苦しみの中にも抱き合っていたからであり、
それを解き放すのには骨が折れたからである。・・・」

コンサルティングに強い経営エンジン研究所/税理士法人小笠原事務所
大阪 小笠原 でした。


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