御堂筋税理士法人創業者ブログ

大阪の税理士 小笠原 です。

さて、みなさん、「ものの見方・考え方」にはふたつの考え方があります。

人がふつうものを考えるときには、対象がふたつあります。

ひとつは「もの」について考えるとき、

もうひとつは「ひと」について考えるときです。

 

その場合、私たちはものごとの理屈についてのある仮説によって考えます。

「もの」について考えるときには、「もの」の成り立ちについての論理で、

「ひと」について考えるときには、「ひと」の成り立ちについての論理でです。

 

「もの」の成り立ちについての論理とは、

ものは科学的、客観的に分析可能だという論理です。

数式やニュートンの物理の方程式をあてはめて解決可能なのです。

ものは押せば動きます。

だからこの場合私たちは、

ものごとを部分に分け、それを分析し、批判的に検討していきます。

つまり「分断・分析・批判的な考え方」です。

 

大事なことは、それを見ている自分は、

対象であるもの動きや結果とはかかわりがないことです。

私はあくまで冷徹な観察者なのです。

 

その見方は、いわば対象物を車のように考えることです。

そしてそのように接し、扱うことになります。

車は、たくさんのパーツの集まりです。

もしタイヤが悪くなれば、良いタイヤに変えます。

これが、ものに接する場合の基本的な考え方です。

こわれれば、取り換える、です。

 

「ひと」の成り立ちについての論理とは、

ものとはまったくちがうものです。

それは、全体がひとつの有機体だと考える論理です。

 

ひとつの命と考えます。命は作ることができず、自己完結的な存在です。

これは、ひと、ひとの集まりについて考えるときの

私たちの「ものの見方・考え方」です。

 

だからこの場合、私たちは

ものごとの部分部分を全体とのをつながり(関係性)の中で考え、
それを統合的に見ていきます。

そして反省的に考えていきます。

つまり「つながり・統合・反省的な考え方」です。

 

大事なことは、そこでの自分は

自分の存在や行ないが影響を与えているということです。

ひとはだれかに見られているというだけで、
言動は影響を受けざるを得ません。

つまり自分のアクションが、
相手のリアクションを呼んでいるということです。

そこでは、私は冷徹な観察者でいることは不可能で、

おのずと自分もその主体として巻き込まれる、

主体として考えざるをえないということです。

 

そこで、ひとに対する見方・考え方は、
ひとをいのちある存在として扱うことです。

いのちある存在として扱うということは、
愛をこめて扱うということです。

いのちは、たくさんの部分がお互いを助け合って、成り立っています。

もし私たちの胃ががんになって切除したら、
十二指腸がその代りをしてくれます。

臓器移植という方法がありますが、なかなかうまく行きません。

 

これは、「ひとに対するものの見方・考え方」に
「ものに対する見方」をあてはめることが

いかに誤った結果を導くかの、悪しき好例です。

 

自分が、もののように人から見られ、
扱われた場合のことを想定してください。

分析され、批判されたら、どうでしょう?
どんな気持ちになるでしょうか?

 

それとは別に、相手の言動に、つながりを感じ、
一体感を感じ、相手の反省を感じたら

どんな気持ちになるでしょうか?

 

ひとがひとに接するとき、ひとは純粋な意味で、
相手に関係ない観察者と観察される者で

いることはできません。

そこでは、必ず観察される者の言動は、
観察する私の言動が影響をしているのです。

ある意味で、相手の言動は、
私の言動が「原因」となっている「結果」です。・・・

 

税理士小笠原/河原事務所 大阪 小笠原 でした。

 


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