人材育成の取組みのインタビューを受ける
2019.08.23
経営幹部の育成
事務所の卜部から
チームズで連絡がきた。
人材育成のアワードに
応募するので、わたしが
取り組んできたことの
話しが聞きたいとのことであった。
もちろん、よろこんで応じた。
なんでも、そのアワードでは
人材育成をストーリーとして
プレゼンせねばならないらしい。
ということで、
思い出されることを
ぽつりぽつりと話しはじめた。
インタビューをされると
ものごとを思い出し、
話しをしているうちに
考えがしだいに具体化してくるので
たいへんにありがたい。
コーチング的なアプローチの極意である。
まず、子どものころのことで
思い当たることから考えはじめた。
ひとつは、Curiousだったということである。
好奇心、「しりたい」屋であった。
3つくらいの子どもたちに見られる
『なんでなの?』症候群である。
次に、少年から青年時代前期に
よく思っていたことは、
「ワニのようでありたい⁉️
死ぬまで前進して前を向いて倒れたい」
という観念であった。
それは、どういうことかというと、
ワニというのは、
死ぬまで成長し続ける、
(実際かどうかは知らない)
そのことに託したわたしの
生き方の思いである。
そして、新入社員として
クボタに入った初日の
入社式で出会った
『自彊不息(じきょうやまず)』
という言葉である。
これは、当時クボタの廣社長が
師と仰いでいた
陽明学者、安岡正篤先生が
揮毫されたお言葉で、
大講堂の正面高く、掲げられていた。
わたしは瞬間的に感じ入った。
まさに、自分自身のありたい姿を
端的に表していたからだ。
その後、この言葉は
わたしの座右の銘となり、
創業の折には経営理念の最後
社是に入れさせてもらった。
「易曰,天行健。君子以自彊不息。」
読み下すと、
「易(えき)に曰く,天行健かなり。
君子はもって
自ら彊(つと)めて息(や)まず。」
「易経に曰く、
天地の運行がすこやかであるように,
君子も自ら努め励み,怠ることはない。」
という意味だ。
易経とは、
ご存じの方もいらっしゃると思うが
むかしよくあった
当たるも八卦のあの易である。
易経はその解説書だが
実によくできていて
占って出てきた相に対して
的確な処し方を示している。
それがMECEなのだ。
だから、かならずなるほどとなる。
その後、会計事務所の業界に入り
お客様の社長さんとの会話の中で
二つのことが強烈に印象付けられた。
一つは、お客様の経営者に
お会いするごとに
新しい情報が絶対に必要だと
感じたことだ。
経営者はきびしい。
おなじことを、二度目に言ったとしたら
その不勉強をなじられる気がした。
二つ目は、
経営者は、税理士に
自社の経営課題や
世間の動静を
聞きたがっていらっしゃるということだ。
ところが多くの会計人は
「それは専門外でして…」とか
「それは自分で考えてください…」とか
話しをはぐらかして、
彼らの期待に応えていない。
わたしは、このふたつのことに
身もだえするほどの
自己不全感を感じた。
経営者から見下されるような
そんな、恥ずかしい目にあい、
無力感にさいなまれることは、
自尊感情が絶対に許さなかった。
だから、わたしは
会計や税法や法律などの他に
さまざまな分野の知識を
むさぼるように求めていった。
本を読み、セミナーに行き、
訓練を受けた。
また、丁稚として入所した
出口会計事務所の所長に
専門知識の彼我の差を
痛切に感じされられた。
わたしはいつになったら
この人に追いつき、追い越せるのだろうか?
そんな気がしていたものだ。
しかし努力は
長い時間の末に
徐々に報われていくものだ。
10年も経ったころ、
お客様の社長さんにも
自分の見解を
堂々と言えるようになっていったし、
さらには、所長がわたしに
質問されるようになった。
読書の習慣は
そのための勉強の過程で
形成されていった。
ちなみに読書や研修は
われわれにとって単なる勉強ではない。
それは、仕入なのである。
仕入をしない商人はおるまい。
仕入をしないと売るものがないからだ。
だから税理士にとって
勉強は仕入なのである。
そして、事務所の創業をむかえる。
わたしがその手始めとして、
経営理念をつくったことは
以前にお話ししたと思う。
そのなかで
自己啓発目標という一節を設けて
次のような文言を宣明した。
「知識分野を順次拡げ、
常にアウトプットに勝る
情報のインプットを続け、
情報発信能力を身につける。」
「普遍の価値観形成に努める。」
「自らの人脈を築き、育てる。」
これらは今でも変わらない。
ここに私自身の
人材育成の考え方の基本がある。
https://www.management-facilitation.com/company/policy/
創業当初から
月に2日、訓練の日を設けた。
一日は、
第三営業日の早朝からの会議である。
ここで、業績をオープンにし、
目標管理と業績管理を徹底的におこなった。
わたしの目的は、
経営者とタイタイで話ができる
担当者の養成にあった。
経営者と話をするのに
経営の感覚がないような者は
話しにならない、資格がない。
なぜなら、話し相手にならないからだ。
結果的に、
これが幹部、次の経営者を
育てる基本だと認識した。
もう一日は、
月末最終日の研修であった。
これは終日おこなった。
はじめのころは
税法や会計、法律などの
基礎的な知識を授けた。
創業して、3、4年したころ
これではだめだ、
もっと体系的に
教育しなければならないと感じた。
そこで、わたしなりに、
自分の歩んできた道を参考にして、
10年間で私の眼鏡にかなう
一人前の税理士を育成する
道筋、能力例示、学ぶべきことを
『職能要件書』として
鉛筆をなめながら、したためた。
これは今でも、
弊社の人材育成の
基本的なフレームワークとなっている。
ちょうど、
学校のカリキュラムのようなものである。
くわしくお知りになりたい方は
弊社の経営計画書をご覧いただきたい。
おりしもそのころ、
わたしは親友の縁で
パナソニック(当時松下電工)の
子会社指導や代理店指導に
深く関わらせていただくようになった。
そこで、多くの営業部門の
幹部社員の方々とお知り合いになった。
ある日、そのお一人が
社員手帳を見せてくださった。
そこには、
「収入と時間の10%は自己啓発に使え」
と書いてあった。
おそらく、幸之助さんの訓示
なのではないかと思量した。
わたしはこれにも感じ入った。
自ら取り組んでいたことに
どんぴしゃな言葉だったからだ。
わが意を得たりとはこのことである。
やがて、また
ドラッカーの経営思想を
深く学ぶようになった。
そこには、人材育成について
珠玉の言葉がちりばめられていた。
「成長は、常に自己啓発によって行われる。
…マネジメントたるものはすべて、
ともに働く者それぞれの
自己啓発努力を助けることについて
責任を与えられなければならない。」
「自己啓発にとって、
自らの自己啓発に取り組んでいる上司ほど
よい手本になるものはない。
…部下をくじけさせる上司、
人ができないことに目のいく
上司、成長につながる経験を
積ましてくれない上司ほど、
自己啓発の邪魔になるものはない。」
「今日のマネジメントにとって、
明日のマネジメントを育てることを
期待されることほど、
彼ら自身の意欲、ビジョン、成果に
効果のあることはない。…
人の自己啓発を助けることほど
自らの自己啓発に役立つことはない。」
「自らに対する要求水準が上がるのは、
人の成長に力を貸すときである。
いかなる職業においても、
そこで最高の業績をあげている人達は、
自らが訓練し育てた人のことを、
自らが残すことのできる
最も誇るべき記念碑と見ている。」
そのとおりである。
なんど読み返しても
魂が震えるようなお言葉である。
わたしの人材育成の
精神的支柱の第一である
それゆえ、わたしは
自分の人材育成法を
ドラッカー流だと考えている。
…小学校2年生のとき
校庭にあった藤棚の藤の木に
猿のように食らいついて
登ったことがあった。
ふと下を見ると1年生の子が続いてきた。
その時だ。
長澤校長先生に下から
「こらっ!」と一喝されたのは。
校長室に連れていかれて叱られた。
忘れもしないが、そのときこう質問された。
「下を見たら、何か見えたか?」
わたしは、正直に
「ハイ、1年生の子が続いていました」
と答えた。
「そうやろ。小さな子がまねをするのやぞ」
この一言は鮮明に覚えている。
人は、人の言うことではなく、
行なうことを信じ、マネをする。
フォロワーは、上司の
いうことにではなく、
することをまねるのだ。
だから
リーダーシップを体現するには
リーダーは、自ら範を示さねばならない。
わたしの場合、それは
学び続けるということ、
『自彊息まず』なのである。
もう一人、人材育成について
影響を受けた経営思想家がいた。
それは、エドガー・シャインである。
著書『キャリア・ダイナミックス』の中で
彼は、生涯キャリア開発の
考え方を展開している。
そのなかで、組織の中での
シニア・メンバーの役割について
実に妙味のある言葉で
人材育成の取組みの大切さと
そのパッションの源を述べていた。
それは、子育ての終わった世代にとって
人材育成はその代償行為だと
いうことであった。
わたしはフーン!
なるほどなあと思った。
さて、その当時、わたしは
大きな経営構想ももたない
職人経営者ではあったが、
それなりに、
よき社員とお客様に恵まれ
ささやかだが
満ち足りた経営をしていた。
変革はその後
二つのできごとを通じて
事務所と我が身とに起こった。
一つは、古参の幹部社員に対する
心理的葛藤である。
その人は、十分とはいえないが
まずはつつがなく
仕事をしてくれていた。
しかし、
彼女との関係において
わたしの心の中のどこかに
すきま風が吹いていた。
なんか、さみしいというべきか…
それは、彼女が、
仕事とプライベートとの間に
壁を設けているように感じ、
どこか心が通じえず、
わたしが求めることにおいて、
なにかにつけ、彼女に対して、
遠慮を感じざるをえなかったからだ。
彼女のことで、お客様からのクレームも
ときどき入ってきた。
おおむねは、お客様が
寄り添ってもらっていないと
感じられたことについてだった。
幾度か、本人に、
改善の要望を
長文の手紙にしたこともあった。
その都度、反省の弁は述べるのだが
本質において直らなかった。
かてて加えて、
その当時、わたしは、
自らの拙劣さをさらけだしたような
業務上での税務事故を起こし
お客様への巨額の賠償責務を
負っていた。
そうしたことが重なって
雑誌で知った『会計人共同体』という
税理士の有志がしておられる
勉強会を参加した。
2003年ころだったと記憶する。
そして、そこで、
『思想性』というものを学んだ。
思想性とは、
一言で言うならば、
自他分離ではなく自他統合の考え方を
身につけなければならない
というものだった。
つまり、相手が悪い、
相手が変わるべきだという
他罰的思考から
自分が変われば、相手が変わり、
周囲が変わり、運命が変わるという
ふりかえり思考である。
なかなか理解しにくかったが
それこそ、むさぼるように
思想、哲学の本を読んでいった。
さて、残念ながら
その女性については
お引き取り願おうと思うようになり、
彼女にそのことを告げた。
その前に、
幹部社員たちにそのことを
相談したら、
なんと、だれも反対しなかった。
結果的に、
もう一人の多少扱いにくい
男性社員も
これは自分から去っていった。
その後、
組織の風通しががぜんよくなった。
不思議な体験であった。
今から考えれば
当たり前のことであるが。
こうして、組織の
コミュニケーションがよくなり
進めたいことがしやすくなっていった。
大木を伐ると
それまで日の当たらなかった
地表に日が当たり
若い芽がすくすくと育つといった感覚である。
やはり、辞めてもらった彼女に
遠慮してものが言いにくかったという。
思想の勉強の中で出会ったのが
森信三先生の
『終身教授録』であった。
これはわずかの間在籍した
盛和塾で知った。
そこには、人倫のすべてが
とてもわかりやすく説かれていた。
わたしは魅了された。
やがて、社員にも
この思想を共有すべく
勉強会のテーマとして取り上げた。
中でも『教育の神髄』
と銘打たれた一コマの授業録が
わたしの心を激しく揺さぶった。
「教育の根本目標は、
一人ひとりの個性を発揮させ
社会に有用な人材に育て上げることです。
この目標に達するためには、
教師は3つの段階を
通過しなければならないのです。
① 生徒たちの一人ひとりを、
一個の生きた魂として
かき抱くということです。
② 自分の受け持っている
子供たちの一人ひとりが、
親の身としては実にかけがえのない
大事なお子達だということが、
真に実感としてわかるということです。
③ 一人残らずが、
やがては民族の一員として、
それぞれの角度から国家を支えると
いうことです。」
わたしはまた心が震えた。
自分にこのようなまごころがあるだろうか?
今でも、
自問自答し、経営者にも説き
日々の援助活動をしている。
さて、
そうこうしていた2007年の秋
わたしにプチ天啓が下った。
少し召命され、すこし回心した。
突然、
もっと真剣に経営に取組み
会社を成長させよう
との思いが
脳裏に去来したのだった。
わずか2時間ばかりの間に
堰を切ったように考えが溢れ、
3年で売り上げを倍にする
構想をまとめた。
そのためには、人材に対して
先行投資しなければならないと
思い至った。
ドラッカーさんも、
戦略計画とは、
不確実な未来に対して、
可能な限りの知識をもって
リスクを伴う意思決定と
定義しているが、
小さいなりにも
家業が企業に変わっていくためには
儲かったら投資をするのではなく
未来に対する先行投資という思考が
身につかなければならない。
どうしようもないバカだが
やっとそのことに気がついた。
それから、よりダイナミックに
人材育成に取り組みだした。
まず、マーケティングの先生に
来てもらって
全員でマーケティングに取り組んだ。
販売なくして事業なしだからだ。
なんぼ職人といっても
経営の番を張るには
営業力がなければならないからだ。
うちのスタッフにはそれを要求した。
次に、人材育成の先生にきてもらい、
コーチングやファシリテーションの
勉強をさせた。
彼は、まさにわれわれに寄り添って
わがことのように指導し、意見をくれた。
これが、現在の弊社の会長
本山先生である。
さらに、NLP、PSSなど
外部研修や集合研修なども
精力的に取り組んで行った。
当時、第二世代の若手が
多士済々入ってくれて
彼らは、すなおに
タフな営業活動にも
音をあげずに取り組んでくれた。
これが今日、
一風変わった、アグレッシブな
社風を築いていった
基になっていると思う。
こうして、
今まで、頭打ちだった売り上げが
目論見どおり3年で倍になった。
爾来、成長の路線は続いている。
これが、わたしの
人材育成の取組みの歴史
My Story であった。
ささやかなものである。
これらのお話は
あるとき取材を受けた
『月間致知』に
小さなコラムとして掲載してもらった。
赤面の至りである。
https://www.management-facilitation.com/media/pdf/161111-news01.pdf
まだ、答えは出ていないが、
もし、この後、わが組織が
さらに発展できたとしたならば
その原因は、
ふさわしい人間の採用と
たゆまざる教育訓練にある。
アテネのアクロポリスの丘の上に
パルテノン神殿がある。
あの巨大な屋根を支えるのは
大きな列柱である。
その一つ一つがわが組織の人材
に譬えられる。
松岡正剛先生は
『17歳のための世界と日本の見方』
の中で
10人の立派な人材がいれば
世界を制覇できるとおっしゃっている。
仏陀も、孔子も、キリストもそうだ。
「人は石垣、人は城」なのである。
さて、奇しくも、
今日、ある業界団体の事務局の方が
事務所においでになった。
要件は、
人材育成についての講演依頼だった。
春にも、著名な
コンサル会社の方に
話しをいただいたようなので
わたし如きの話しは必要ないのでは
とお話ししたところ、
それはそれ、
ちがう切り口でお願いしたいと
とおっしゃったので
わたしは
ドラッカーさんの教えを受け、
そこに、森先生を教えをのせて
人材育成にあたっている
小さなわが社を事例として
お話を展開させてもらうという
アイデアを述べさせていただいた。
わたしは、
経営の長期発展の原動力は
人材育成だと確信している。
それはそのとおりだと
ほとんどの会社の経営者は
おっしゃるのだが、
そのあとに But…が続く。
いわく、時間がない、
仕事に追われている
予算がないなどだ。
この時点で、この経営者は
できないことの申し開きをしている。
ほんとうは取り組むつもりはないのだ。
それはその大事さが
腑に落ちてないからである。
わたしから言わせれば
これらの問題は、問題ではない。
それは、決意と覚悟、勇気の問題なのだ。
わたしはこの問題を
よく、勤め先の経営が芳しくなく
給料を下げられた
お父ちゃんのいる家庭になぞらえる。
「あなたは、給料が下がったら
子供たちに学校にいくな
というのですか?」
と設問する。
断じてNo!であろう。
苦しくても、飲まず食わずでも
借金をしてでも、
子供には教育を受けさせ、
知と智を身につけさせなければならない。
なぜかというと、
それは、教育こそが
親が子供に残せる
たった一つの財産だからだ。
同様に、社長は
どんなに苦しくても
社員を育てなければならない。
そして一人前の職業人に
育ててあげることが
社員にしてあげられる
たった一つのことだからだ。
だから、教育に有無は言わせない。
どんな仕事のことよりも
教育が優先なのだ。
それに関しては
わたしは容赦しない。
出ても出んでもええ
といったような
教育に対する生半可な態度では
鉄の組織は決してできない!
それはローマ人の教訓である。
もし、時間がないなど
くだんの経営者の発言を
是として援助するとすれば、
まずは生産性を
上げなければならなくなる。
生産性が上がらなければ
時間やお金などの
余裕など生まれないからだ。
生産性を上げるには
経営者の頭を根本から
革新しなければならない。
自社をブランド化し、
仕事を徹底的に効率化する。
こうした才覚と勇気が必要なのである。
しかし、それは
誰にでもできるという保証はない。
わたしは、皆さんに援助はできるが
それをやり通すのは皆さんの
決意、勇気、そして才覚である。
だから、
人材育成についての意識革新と取組み、
それを可能にする生産性向上の
両面作戦が必要なのである。
どんなに忙しくても訓練する。
同時に、生産性を上げる策を
歯を食いしばって進める。
人材育成の良き見本は
近代の国民皆教育が示している。
そこでは二つのことが
眼目としてなされた。
一つは、カリキュラムの体系化だ。
そして、もう一つは、
先生の育成である。
国民教育の道を切り拓いたのは
スイスのペスタロッチである。
それゆえ、
ペスタロッチを称揚した
森信三先生は称揚される。
わたしもそう思っている。
トヨタの社内調査によれば
人材が育つか育たないかは、
よき先生についたかどうかによるという。
だから指導者の育成は
この上なく重要である。
なぜなら、人材育成は
未来のわが社をつくることだからである。
だからこそ、ドラッカーが
下の者に脅威を感じるような人間を
管理者にしてはならないと
きびしく教えてくださっている。
そもそも人を育てられないような
人間において見られる言動は、
人格的幼児性の露呈である。
そんな者を幹部に登用して
文句をいう経営者は
愚の骨頂である。
これこそ、他罰思想の典型である。
なぜなら
それはみずからの蒔いた種であり、
それを判っていないのは
経営者本人だけであるからだ。
わたしもかつては
そちら側の人間であるから
そのことは、よく判るのである。
今も、気を抜くと
そんなくせが出てしまう。
つねに
ドラッカーさんと森先生や
その他の先哲の教えの導きがなければ
すぐにでも躓いてしまう自分なのである。
さて、要約すると
わたしの人材育成についての考え方は
次の5つの原則から成り立っている。
1.高業績企業を創るための
最重要の取組みは人材育成である
2.人材育成は
幹部、次の経営者を育てるという
長期的なストーリーに基づいて
設計し、行なう
3.人の成長は、常に自己啓発による。
そのためには、上司の自己啓発に
取り組む姿が手本となる。
だから、上司は自ら
自己啓発に取り組まなければならない
4.人材育成とは
明日のわが社を創ることであり、
そのためには、
人をはぐくむ思いが必要である
5.人材育成には、
どんなに経済的にきびしくとも
取り組んで行かなければならない。
そのために必要なものは
決意と勇気である
皆さんは、そのような話しは
あんたの業種、あんたの状況だから
そうできたのでしょうと
おっしゃるかもしれない。
そういう側面もある。
だが、人材育成の基本は
どんな業種でも規模でも変わらない。
現に私だって、
社員がふたりのときから
してきたのだから。
それは子育てを考えればわかる。
そこにショートカットや簡便法はない。
時間をかけ、手塩にかけるだけである。
卜部ちゃん、
これくらいでいいかな?
経営コンサルティングと
会計事務所の融合
組織デザイン研究所&
御堂筋税理士法人
小笠原 でした。