御堂筋税理士法人創業者ブログ

 最近、殊の外、おもしろい、すばらしい、刺激的だと思ったのは、アン・モイアという人の書いた『Brain Sex』という本である。この題名は、『脳みその性』とでも訳すべきだろうか。

 なぜ面白いかというと、われわれ男と女の永遠のわかり合えなさ、これがしばしば平和時にはかっこうの話のネタになり、有事には激しい非難合戦の原因になるわけだが、その原因を、性ホルモンという生化学的な物質のあり方に求めているからである。

 さまざまな男女の性質のちがいを「なんでわかってくれへんの?」「あいつ、あほちゃうか!」という気質や知性の問題に帰着させるのではなく、アンドロゲン(テストステロンなど)という男性ホルモン、エストロゲン〈卵胞(らんぽう)ホルモン〉」と「プロゲステロン〈黄体(おうたい)ホルモン〉という女性ホルモンのしわざに帰しているのである。

 かなり前に『話を聞かない男、地図が読めない女』というベストセラーになった本を読んだことがあるが、この本も内容的にはほぼ同じものである。その本はかなりやさしく書かれていた記憶がある。『Brain Sex』は、より学術的で、男女平等のあり方や性不一致の課題について踏み込んで書かれている。楽しく読みたい向きの方は、そちらを読んでいただいてもよいだろう。

 さて、男っぽさと女っぽさの性質形成にとって、妊娠初期でのホルモンの母体での照射状況が、それが自然であっても、例えばホルモンの服用など人工によるものであっても、胎児への影響において決定的であるという。

 そして、その後の、われわれの生涯を通じた両ホルモンの分泌量、その個人差が、気質、興味、能力、行動を決定しているとする。気合、根性、修養、節制、努力、知性などを陵駕してしまうのである。なんとも説得力のある話の展開である。唯心論など消し飛んでしまう唯物論だが、さりとて単純な唯物論ではない。生化学の面で進化した新たな唯物論は、人間の脳とこころの秘密の深淵に、限りない科学のアプローチを施して、しだいにその謎を解き明かしつつある。そこがすごいのである。

 出版は1992年であるからもう20年も前の本である。その後の生命科学や脳科学の発達はものすごいだろうから、今ではもっといろんなことの原因が解明されているだろうと思われる。

 話は、上述のように男女のちがいがどのように誕生していくかから始まる。そして、エピソードとして、女の子っぽい男の子、男の子っぽい女の子の事例が、母体の性ホルモンの照射を描きつつ紹介されていく。

 次に大脳の右半球と左半球が司るもののちがいと男と女で何かを認識する場合の両半球の使い方、連携のしかたのちがいが説明される。

右半球は、視覚的、空間的、全体像、感情的、抽象的、形とパターン認識
左半球は、言語、神経的、細かい点、実際的、具体的、順序
をそれぞれコントロールするということだ。そしてその両半球は脳梁で結ばれている。

 男と女では、さまざまな思考や感情の処理をする領域に違いがみられるとのことである。たとえば、「女性は感情と理性を分離させることができにくい。それは女性の脳がそのように組織化されているからである。」と述べられている。

 本の中には脳みその性テストがあって、私も受けてみた。結果は、男っぽいということであった。

 それから、話は、子どもの性差に進む。これが傑作である。男が独りでおもちゃで遊びたがり、なわばりを占め他人を排除しようとする結果喧嘩になる一方、女は他の子といっしょにお人形ごっこやらをして、結果他の子たちと仲良くする傾向にあるという。それが学校での行動の違いにつながっていく。

 男の子→男の興味の対象が『もの』であり、女の子→女の興味の対象が『関係』であり、それが男の子や男の、そして女の子や女の典型的な行動や性質を形づくっている。

 思春期になると、もう一度男性ホルモンが照射される。それで男は男らしくなり、女は女らしくなる。女の方が早いので、男は遅れがちになる。女は月経がはじまると、そのサイクル上で、かなりの、時にすごい気分の落差が生まれ、それがパフォーマンスに大きく影響を及ぼす。

 男は、数学的思考力、空間的把握力に圧倒的な優位性を発揮し、支配欲=成功欲、出世欲が高くなる。女は、ことばのあやつり、人の感情を読む力において圧倒的に優秀であり、人との融和を好み、男の価値観とは異なる。

 これは老年期になって、男から男性ホルモンが消え、女から女性ホルモンが消えるまで続く。逆に言うと、男は年をいくと枯れてきて優しくなり、女は辛抱がなくなって怒りっぽくなる。まさに実感するところである。

 「性ホルモンが消えていく影響により。老年期になると、男も女もだんだんとおたがいに行動が似てくる。(In old age, men and women increasingly resemble each other in behaviour, as the influence of the hormones fades away.)」

 さて、人は生まれて赤ちゃんからしだいに成長していく。すでにそのころから「男の子はもので遊びたがり、女の子は人とおしゃべりしたがる。(The boys want to play with things, and the girls want to chat with people.)」

 そして、大人になって、仕事を始め、恋をし、結婚して、子育てを経験していく。そんな中で、男性性と女性性のちがいが、その局面のいろいろなところ、性の役割、差別、健全な関係性、行き違いや破綻などの面で、影響を及ぼしていく。そのことが、事実に基づいて、説得力高く説明されていく。

 原始的な考え方からの女性の解放がようやく始まった前世紀から今世紀、それは試行錯誤の連続である。果たして正しい方向を向いているのかどうかわからず、しかもそれは予断を許さない。

「その問題は性と平等性の混乱から生じる。性に関する点では、『ダイバーシティは生物学的事実である一方、平等性は政治的、倫理的そして社会的な勧告である。』とアリス・ロッシは書いている。(The problem arises from the confusion of sex and equality. Where sex is concerned, Alice Rossi writes,’ Diversity is a biological fact, while equality is a political, ethical, and social precept.’)」

 さて、結婚生活においても、男と女のちがいは深い。男は浮気をしたがり、女は関係を深めたがる。もちろん、乱交を承認しているわけではないが、ほとんどの文化においての性倫理的なルールは、男性のそれを禁止するためである。

 「厳としたセクシュアルで進化的な用語でいうと、男にとって結婚には何事もなく、目新しさと最大の種まきの可能性へのおんどりの欲望があるだけである。(In starkly sexual, and evolutionary, terms, there is nothing in marriage for men, given their rooster desire for novelty and the widest possible distribution of their seed.)」

 そして、子供ができたら女は母になる。一方、男は赤ちゃんをどう扱ったらよいか呆然と立ち尽くす。ほいと赤ちゃんを手渡されたらお手上げである。母親は子どもの様子がよくわかり、男にはそれがさっぱりわからない。父親が子供の相手をし出すのは、子どもの遊び相手としてである。

 夫婦の間での生産的で健全なかたちは、「平和な共存へのカギは、政治面のように、外交と、程度は低くなるがネゴである。(the key to peaceful coexistence, as in the political sphere, is diplomacy, and, to a lesser extent, negotiation.)」

 一般に、女性は他人とのきずなに価値を置くが、男性は、モチベーション、競争、思い入れ、リスクテイク、攻撃性、支配性、ヒエラルキー、パワーの政治学、成功そのものの常なる測定と比較、成功の達成といった、すでに思春期に表れたところのものすべてを追い求める。そしてそれらが、仕事の上での男女差の問題の原因となる。

 しからばどうすべきなのだろうか?「問題は脳みそのちがいにあるのだろうか?しかしながら、むしろ『そのちがいに対してどのように向き合っていくか』が問題なのである。(The question is not ‘ are there brain difference?’ but rather ‘what is going to be our response to those differences?’) 」

 男女平等の問題は大変難しい問題である。能力のちがいをどう扱えば平等となるか?単に平等だからといって、男女の区別なく100m競争をさせるのは平等ではないし、またそうだからといってハンディキャップをむやみにつけるのも一概に平等とはにいえないだろう。男に向く領域と女が得意とする領域が、家庭と同様に企業や政治の場でも明確化、組織化できればよい。そこでは単に錢と地位の問題だけで価値を定めることは適切ではない。

「なぜ両性が同じ仕事につくことができないことには実際的な理由がある。しかしながら、なぜ男と女の異なった仕事を平等に価値評価できないかということには理由がない。(There are practical reasons why the sexes cannot undertake the same work. There is no reason, however, why we could not value the different work of men and women equally.)」

 さて、まとめのところで、筆者は次のように語っている。
「この本は規範的なものではない。それは、単にどのように男女の脳がちがうかを説明し、そしてそれらのちがいが観察される男女の行動のちがいに結びつけようと試みたものである。それは幾世紀もの間、男と女が祝福をし、悲しませてきたものである。(This is’nt a prescriptive book; it merely explains how the brains of the sexes are different, and attempts to link those differences with the observably different behaviour of men and women – which men and women have been celebrating or bemoaning for centuries.」

 このように著者はこの時点でほのめかしていて、それは妥当な話だと私は思った。仕事での成功や報酬と家庭での喜びや満足は等しく大事だが、残念ながら社会の規範を牛耳って作ってきた男がそれをわかるのはおそらく年が寄ってからのことになろう。

 最後に著者は提言する。「もしこの本が何事かについての提言であるとするならば、そして必ずしもそれを意図したものではないが、両性間の関係性、われわれがついに理論というよりも事実に基づくことができる関係の過激な再思考でなのである。(If this book is a prescription for anything – and it is’nt intended to be – it’s for a radical rethink of the relationship between the sexes, a relationship we can at last base on fact rather than theory.)」

「…そしてその空気と地面が改められたとき、ひょっとすると私たちは、男と女が実際にお互いがどう感じているのか、そしてお互いにとってより幸福なのかについて、より率直になることを望むことができるかもしれない。彼らは、自分たちがもはや、何事かの避けることのできない失望、心中彼らがむなしく非現実的だと知っている何ごとかに向って争う必要がないと安堵するかもしれない。自己欺瞞に捕われているよりも、正直さによって解放されることで、彼らは愛と野望、やさしさと争いとの間の、自分たち自身のバランスを見つけ出す自信をもつだろう。私たちはスローガンの終わりを望むことができる、そのスローガンは事実を変えるのではなく、人工的な平等さの不毛な追求を終焉させるものである。骨が折れて不自然な否定のプロセスの放棄であり、代わりのわれわれの自然な自己の喜びである。男と女の新しい関係性の緑化である、性差の祝福である。」

 (And when the air and the ground are cleared, maybe we can hope that men and women will be more honest about how they actually feel, and happier to be themselves. They may be relieved that they no longer have to strive towards the inevitable disappointment of something which in their hearts they know to be vain and illusory. Liberated by honesty rather than imprisoned by self-deception, they will have the confidence to strike their own balance between love and ambition, tenderness and striving. We can hope for an end to the slogans, for slogans do not change facts, and an end to the sterile pursuit of artificial equality; an abandonment of the arduous and unnatural selves; the greening of a new relationship between men and women; a celebration of difference.)

 さて、私たちはこの提言を受けて、自らの家庭、職場、組織、社会をどう変えていくのか。読者に投げられたボールである。

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