御堂筋税理士法人創業者ブログ

私が開業したのは

1991年(平成3年)6月3日 月曜日

 

それ以前から

開業の準備を

ぼちぼちとしていた。

 

最初にしたことは、

経営理念作りであった。

 

『私たちは、

適正納税の実現を本務とし、

企業発展の良き支援者で

ありたいと希っています。』

 

これが、その理念である。

会計事務所の理念が色濃い。

だが、コンサルティングに

射程を伸ばしているのがわかる。

 

その後、経営理念は二度改訂した。

 

一度目では

『私たちは、

財務の知識を基に、

経営者のよき補完者として、

経営の成長発展に貢献します。』

とした。

 

軸足は

大きくコンサルティングに移っている。

 

ここでは、引き続き

財務が自分たちの本拠地であるが、

経営コンサルティングにおいて

財務がわかっている優位性を謳い、

それをもって経理が専門外である

経営者を補完する存在でありたいという

私の思いを表現した。

 

そして現在の理念は、

『私たちはお客様とともに

お客様の問題解決を通じ

お客様の成長発展に貢献します。」

とさらに変わってきている。

 

この理念は、

お客様という言葉を三度もくりかえし、

内容は、きわめて抽象化され、

どの企業にも通じるような内容で

ユニークさがなくなったとも言える。

一見、行けていないなあとも感じる。

 

だが、やはり私たちの仕事は

経営の問題解決なのであり、

それを経営者の同伴者として

取り組んでいきたいという

思いを表している。

 

それゆえ、弊社のキャッチコピーは

『Solutiin & Accompany』

(問題解決と共に取組む)

としている。

 

変らない思いは、

『お客様といっしょに』

ということである。

 

この背景にある私の原風景は

アメリカ映画の

『Stand by Me』

その映像と音楽である。

 

こうした理念のバックには

わたしなりのお客様の定義があった。

 

それは、

経営の発展に真剣に取り組んでいる

2代目経営者の『営利企業』

ということである。

 

その後、私たちが

素晴らしいお客様の皆さんに

恵まれたとすれば、

それは、こうした、ターゲット顧客の

絞り込みがあったからだと言ってよい。

 

ドラッカーがおっしゃっている

『顧客の定義』とそこへの『集中』である。

そして、それは、逆にいうと、

契約しないお客様を決めたことである。

 

顧客の選択は

ビジネスの生産性と、心の衛生に、

決定的な影響を与える。

それゆえ、決定的に重要だと思う。

 

理念をつくったら次に

ロゴとキャッチ・コピーを考えた。

 

当時の勤務先、出口会計が入っていた

ビルのオーナーの娘婿さんだった

アメリカ人の若者に

「経営を便利にするって

英語でどない言うのん?」

と訊くと、

 

『management facilitation』

と教えてくれた。

生まれて初めて

ファシリテーションという言葉を聞いた。

この言葉は、その後

わたしの仕事のスタイルに

大きな影響を与えることとなった。

 

それで、その言葉を

稚拙なシンボルにひっつけて

それをロゴマークとした。

 

(パソコンに残っていた

 事務所案内のワード文書

 に見るロゴマーク

 手作り感満載である)

 

選んだ色は、

今の弊社のシンボルカラーと

よく似たボルドー・レッド、

いわゆる緋色っぽい色で、

正確にはクリムゾンというらしい。

 

緋色は、ローマ時代から、

高貴な色とされていて、

皇帝の着用するトーガの色であり、

燃える情熱の色である。

 

わたしは、

マゼンタ色が色濃い赤が

なぜか好きなのである。

 

さて、開業するにあたって

お客様各位とスタッフの2人に

わたしに対する

名前の呼び方についてお願いした。

 

「小笠原さんと呼んでください。

くれぐれも『先生』と

お呼び召されるな。」

 

先生なんて、

まあ、符丁みたいなもので

誰も本来の意味(尊敬をこめるということ)で

使っていないだろうが、

それでもこちとらは勘違いする。

 

なんで、

帳面の代書人、税金の計算人が

先生と呼ばれるのか

まったく理解できない。

 

そして、今でも

わが社は全員が「さん」付けである。

これは、事務所の自由な雰囲気を築くことに

大いに役立ったと思っている。

 

ところで、私は、

開業した翌月から『早朝会』と銘打って

(なんともダサいネーミングである)

月次の業績検討会議をやりだした。

といっても、

たった3人の会議であるが。

 

そして、毎月欠かさず個人面談もした。

お客様との取組みや時間の使い方などを

コーチングした。

 

こうして、コミュニケーションの

しくみを確立させたことが

事務所の経営を

安定したものにしていったと思う。

 

そこでは、経営の数字を

オープンにし、共有した。

 

わたしが関わっていた

多くのクライアントの会社で

業績が非公開だったのを

あまりよろしく思っていなかったからだ。

 

『オープン・ブック・マネジメント』

(帳簿公開経営)

という本があるが、いたく共感した。

会社のお金は、私物ではない。

 

「お金の使い方を見れば、

その人の価値観が分かる。」

という名言があるが、

まさにその通りである。

 

私も、むだ遣いの浪費家で

偉そうなことは言えないが、

経理がガラス張りだと襟が正される。

 

もちろん、経理と資金管理は

スタッフにしてもらった。

自分ではやらない。そんなひまはない、

生産性が下がるからだ。

家内にもさせない

(共稼ぎだからどだい無理だが)。

 

(さて、ここからはのお話は

読まれた方が同様の状況にあっても

すべての方に該当するわけではないことを

始めに断っておく)

 

憎まれるのを承知でいうが、

世に、奥様に経理をさせている経営者は

ゴマンといるが、はっきり言って

その多くは、百害あって一利なしである。

 

いわく、人件費が助かる、

いわく、信用できる、

というのがその理由らしい。

 

前者はまだしも、

後者は、経営者自らの無管理ぶりを

さらけ出しているに

過ぎないのではないか。

 

語弊を顧みず言うが、

だいたい、世の多くの

世間知らずの奥さん経理係というものは、

経営も経理もわかっておらず、

自分のお金は減らしたくない

という狭い了見で

ときに、社員を疑う、性悪説に行きついて

ものを見、発言し、行動する。

 

それが、どれだけ、

後継者、社員のじゃまに

なっていることか。

 

そもそも、企業の経理は

プロフェッショナルの仕事であり、

専門知識と見識の不足する

素人の出る場面ではない。

 

これは、わたしが

よく出くわす状況である。

世の経営者諸氏、

ゆめゆめ、そうした奥さんに

経理をさせないように。

 

奥様という大切な伴侶を

検討ちがいなミス・ユーズ

しないでください。

奥様の価値が下がるだけである。

 

奥様は私生活の話相手であって、

あなたのビジネスのコーチではない。

 

さらに、

これは出口先生からの教えであるが、

日報で時間を記録し、集計をし、管理し、

使い方の改善をし続けた。

 

時間管理は、

ドラッカーは、『経営者の条件』で

経営管理者がまず身につけるべき

習慣と位置づけていることである。

 

こうした、私の経営のあり方の

お手本としたのは

尊敬してやまないドラッカー先生の考え方と、

お世話になった

クボタのスタイルである。

 

反対に、

反面教師となっているのは

実家のすし屋と

お世話になった出口会計での

マネジメントのしかた、

そして担当したお客様で

体験したこれはいやだなあと

思ったやり方である。

 

ところで、開業した年の秋

びわ湖々畔で経営計画の合宿をした。

 

たった3人だったので

さみしくて女子スタッフの

友だちに来てもらったくらいだ。

 

それをもとに、年末にかけて

経営計画書を作った。

手書きである。

年末年始返上で、

家で一所懸命、執筆した。

今でも、事務所の書棚にある。

 

(これが残っている

最初の経営計画書である)

 

初出の新年度には

経営計画発表会をした。

 

爾来28年間

ずっと同じパターンで

経営を進めてきている。

 

経営計画では

ある年に、

正月前にがんばって、ほとんどを

『一太郎』に入力し終わったと思ったら

データがすべて飛んでしまって

また、元旦からつくり直したという

悲惨なこできごとも

忘れられない思い出である。

 

しかし、おかげさまで、

経営のデータや評価は

28年分残っていて、

歴史を振り返るのには

たいへん役立っている。

 

また、毎月、月末の出勤日は

丸一日、研修にあてた。

それを『終日研修』と呼んでいた。

(これもとびきりダサい名前である)

 

これは、松下の社員手帳に

「収入と時間の10%は

自己啓発に充てなさい」

と書いてあったのを

丸ごといただいたものだ。

 

さらに、

スタッフの賃金や処遇の決定、

能力開発のために職能要件をまとめた。

 

およそ10年間で

学ぶべき知識、身につけるべきスキル、

読んでおく本などを決めた。

今でも、これがわが社の

人材育成のガイドラインとなっている。

 

終日の研修は、

現在も『SAトレーニング』

名前を変えて続けている。

 

人材育成ほど長期の経営発展に

効果のあるものはない。

わたしはそう確信している。

皆さんにも、

ぜひ行っていただきたいものだ。

 

それはそうと、

開業した年の年末、

賞与を払って、預金の残高を見ると

39万円しかない!!

びっくりした、そして覚醒した。

お金の管理が大事だと思ったのは

その時、以降である。

 

以後、きっちりと

貯金の残高を見て管理するようになった。

税理士と言ったって、この程度である。

経営は素人なのである。

これを『紺屋の白袴』という。

 

このように経営とは、

体験の中から、教訓を得、

意味を汲みとり、

認識を深めていくことで

しだいに、まともになっていくものだ。

 

私のような、

器量の小さな、職人経営者が

まがりなりにも

やってこれたのは、

こうした、経営の原理原則の設定と、

その継続があったからだと思う。

 

・理念を作る

・顧客を絞り込む

・民主的な風土を創る

・経営計画を中心に経営する

・毎月、会議と個人面談をする

・時間を管理する

・帳簿をオープンにする

・経理は他人にさせる

・資金を管理する

・社員を育成するしくみを作り教育する

 

これらが

私の経営のベースにある考え方なのだろう。

爾来、私の経営は、

常に、お客様に向けた

コンサルティングの実験場と化した。

メンバーにもそのことを理解してもらった。

 

自分のところでうまくいったことを

お客様のところでお薦めして展開する。

 

それゆえ、確信をもって

支援を進めて行けるのである。

 

その一例が、

経理改善であり、

コックピット会議であり、

人材育成なのである。

 

名コーチが、必ずしも名選手である

必要はないかもしれないが、

名コーチが、名選手であれば

より説得力があるのではないだろうか。

 

なにがもっとも大事なのだろうか?
ふと、考えてみる。

『お客様にとことん貢献し、

社員に幸せになってもらい

あくまでも生産性を追求する』

 

結局、これが理念のひな型なのだろう。

 

そして、そこから

『生産性の向上』という

これからの私の

究極の中心テーマ

が東雲の海に姿を見せはじめるのである。

 

次年度に向けた、

とてつもなく大きなテーマである。

 

そして、それは

日本が是が非でも

取組んでいかなければならない

壮大なテーマでもある。

 

経営コンサルティングと

会計事務所の融合

 

組織デザイン研究所&

御堂筋税理士法人

 

小笠原 でした。


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