御堂筋税理士法人創業者ブログ

「私は教育において、

一番大事なんものとなるものは

礼ではないかと

考えているものです。」

森先生は最初にこうおっしゃる。

火曜日の価値観講座の

予習のために

『修身教授録』を開いて

この言葉に出会った。

(第2部32講)

「ええ、そうなんかあ!?」

という感じ。

思わず本に前のめりになり

「なんでなんですか?

教えてください!」と

心の中で声をあげた。

「つまり私の考えでは、

礼というものは、ちょうど

伏さっている器を、

仰向けに直すようなものかと

思うのです。」

「なるほど!!」と

思わずひざを叩いた。

そうだな、

人間すくすく育つのは

すなおな人だ。

腕を組んで後ろの席で

むずかしそうな顔をしている人は

脳みそのコップを

うつぶせにしている。

だから決してお水はたまらない。

そうした態度を『敬』というが

それは自己の態度の

根本的転換であるといわれる。

その敬う心を起こすことは

そう容易ではない。

そのてがかりを

形の上から地ならしする、

それが『礼』の意味だと

教えてくださる。

社員の方々の態度が

不作法であれば

上司としては見ていて

「たまらない」気持ちになる。

だが、

「習わぬ経は読めぬ」

それは、自分に はね返ってくる。

きちんと指導しなければ。

吉田松陰先生は

「人間にして、

爵の尊さを知って

徳の尊さを知らないものは、

その愚かなこと言うまでもないが、

しかし徳の尊さを知って

齢の尊ぶべきを

知らないものは、

未だ真の人物とは

いいがたい」

と講孟余話の中で

おっしゃっているそうだ。

(自分は覚えていない

情けない、トホホ)

礼があって、敬である。

敬とは相手を受け入れること。

この人の考え方

盗まずんばあらず!

という生命力の強い動きだそうだ。

おのずと胸が熱くなる。

そして、背筋が伸びた。

そして、教えの理論と実践を

一個の統合された

人格の中に見るのである。

生きた手本である。

「尊敬の念を持たないという人は

小さな貧弱な自分を、

現状のままに

化石化する人間です。」

部下や後輩たちを

そうした尊敬心ある子たちに

していくためには、

まず、自分が礼を正しくすること

さらに、自分自身が

部下や後輩たちから

敬われるだけの

人間になるということだと

教えてくださった。

敬は、優れた人格に対して

自分の一切をささげるところから

おのずと湧いてくる感情だ。

自分が他者からみて

そんな対象でないということは

もって行き場のない

自分の修養の問題である。

ドラッカー先生のおっしゃる

「自己啓発に取り組んでいる上司ほど

自らの手本となるものはない」

とおっしゃるお言葉に

通じるところだと感じた。

まさに適宜適切なお教えである。

道のりは遠く、できは悪い。

日々、教えをいただく以外に

方法はないと感じた。

会計事務所の可能性を追求する

御堂筋税理士法人&

組織デザイン研究所

大阪 税理士 小笠原 でした。


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