御堂筋税理士法人創業者ブログ

クセノフォーンという人の

『ソークラテースの思い出』

という本を読んだ。

クセノフォーンは

プラトンと同じく

ソクラテスの弟子だった人で

知名度からして

おそらくプラトンに次ぐ人だろう。

プラトンは

『ソクラテスの弁明』ほか

多くの著書の中で

師ソクラテスのことを

書き残しているが

プラトンの描くソクラテスは

ソクラテス自身なのか

プラトンの思想の語り部としての

ソクラテスなのか

よくわからない部分がある。

その点、クセノフォーンの描いた

ソクラテスは

そのままの彼の素描

のように思えて好ましい。

その本の最後、

ソクラテスが、

独自の神にしたがい、

アテナイの青少年をたぶらかした

との罪で死刑を言い渡され

毒杯を仰いで死んでゆく

クライマックスが

描かれているところは

とても胸を打ったので

ぜひともご紹介したい。

「古今に絶して真実に満ち、

自由に満ち、正義に満ちる

答弁を法廷で述べ、

死の宣告を無比の温容と

男々しさを以て耐え、

偉大な精神力を

満天下に示して

不朽の名声を獲得したのである…」

「事実人の心に残る人々のうちで、

これほど美しく

大死に堪えた人はほかにないと

言われている。」

こうした記述の背景を言っておくと、

この判決がなされた時期が

宗教的な催事の時期で

神託の使節が戻ってくるまでは

処刑が禁じられていたのである。

そのために、ソクラテスは

死刑判決を受けたのち、

30日のあいだ

生きていなければならなかったのである。

これは想像を絶する

精神的な苦しみであろうが

ソクラテスは、以前と変わらぬ

快活さでそのときを過ごしたという。

彼が訴えらえると聞いて

知人の一人が

「弁明の文句を

お考えになっておく

必要がありましょう」というと

ソクラテスは

「私は一生涯その用意をして

暮らして来たんだが、

君にはそう思えないか」

と答え、

さらに

「自分は一生涯を

ただ正義と不正とを考究することと、

正義を行ない不正をさけることとに

ついやしてきたのであって、

これが弁明の

もっとも見事な準備と信ずる。」

と語ったという。

さらに続けて、

「・・・不思議と思うかね、

もし神が、私はもう

生命を終るのが良いと

お考えになるのであったら。

君はよもや知らぬことはかかろう、

この今日に至るまで、

私はまだ私より良く、私より楽しく、

生涯を送った人間があると

は認めないのである。

なんとなれば、

できるかぎり良い人間になろうとして

最善をつくす者が、

最善の生涯を送り、

前よりも一層良くなっているとの

自覚のもっとも大きい者が、

もっとも楽しい生涯を送る者と、

私は思うからである。」

「しかしながら、

もし私が罪なくして殺されるならば、

正義を無視して

私を殺した人々に、

この行為の恥がきせられるであろう。

しかしながら、

人がわたしの正義を知ることができず、

わたしに正義を示すこともできないのが、

私にとってなんの恥であるか。

私はいにしえの人々が、

不正を加えた者と加えられた者とでは、

後代の人々に決して

おなじ名を遺していないのを見ている。

私もまた人々の心に残り、

たとえいま死んでも、

私を殺した人々の受けるのとは

異なる心づくしを

注いで貰えるのを知っている。

なんとなれば、

世人は私が世界じゅうの

いかなる人にも、

ただの一度として

不正を加えたことがなく、

また堕落させたこともなく、

自分と交わる人々を

ますます良い人物にすることを

つねにつとめて来たことを、

私のために永遠に

証明してくれるであろうことを

知っているがゆえにである。」

以下はクセノフォーンの追想である。

まさに

ソクラテス自身が自負したように

彼は、私たち後代のとても多くの人々に

その生きざまを通して、

「善く生きる」とは

どういうことなのかを、

その死に方という

最高の手本を示したことによって

いま、満天下と人々のこころのなかに

燦然と光り輝き続けている。

「ソークラテースの

人となりを知る人々、

および美徳の達成につとむる人々は、

いずれも美徳の修養に対する

もっともすぐれた助言者であった彼に、

いまだになおかぎりない思慕を

よせているのである。」

「私(クセノフォーン)は、彼が

実に私の述べて来たとおりの人であり、

敬神の念の篤き、

神の心を伺うことなくしては

何ごとも行なわぬほどであり、

正義を重んじては

微塵の害も人に加えたことなく、

己れと交わる者には

最大の助力を与え、

克己に富み、善を措いて

快楽をえらんだことかつてなく、

頭脳の明瞭なることは、

より善きものとより悪しきものとの

判別を誤ったことがなく・・・

またこれらの事柄を人に説き明かし、

かつ定義を与えることに堪能であり、

さらにまた他人を験し調べ、

もし迷誤に陥っているときには

これを認めしめ、

彼らをみちびいて

美徳ならびに君子の道に

つかしめたのであって、

じつに私には、

かくのごとき人として

彼は至善の人であるとともに

至幸の人と思えるのである。」

と述べている。

すばらしく

気高く、ゆたかで、うつくしい

名文である。

そして、それを通じて

実に、偉大な人格の威容に

ふれる思いである。

2400年後の私たちが

祖先のこうした

すばらしい生き様や思想に

触れることができる、

こうしたの遺産が

遺されていることは

なんと、すばらしいことだろう。

この著者たるクセノフォーンや

プラトンといった偉大な精神の持ち主が

敬愛と思慕の思いを込めて

また限りないなつかしさを込めて

師たるソクラテスの思い出を

語るのを読むとき

ソクラテスという人物の

壮大な偉大さを実感するとともに

弟子たちの僥倖をうらやましくも思い

またその謦咳に触れることができた

私自身の幸運に

みたされた気持ちになるのである。

経営コンサルティングと会計事務所の融合

組織デザイン研究所&御堂筋税理士法人

税理士コンサルタント 小笠原 でした。


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