御堂筋税理士法人創業者ブログ

ヨーロッパの思想を理解するには
ギリシャに源を発する思想とギリシャ人の神話、
ヘブライ人の信仰とキリスト教の思想
膨大な西洋の思想の流れをわかっておく必要がある。

ダンテの『神曲』を読んで強くそう感じた。
その神髄を味わい、理解するには、
なにしろ全篇ほとんどで引用されてくる
ギリシャ神話のエピソード、聖書の記述内容を
わかっていなければならないからだ。

だから、膨大な注釈を読みながら読み進める、
もっというと、そうした引用が出てきて
それが気になれば、
そのつど、聖書やギリシャ神話の話の本に横道をそれながら
読み進めなければならないからだ。

その上、ルネッサンス前夜の13世紀末から14世紀初頭である。
科学的な思想の萌芽も出てきて、その方面の話も
射程に入れておかねばならない。
さらに、千数百年におよぶキリスト教神学のおもな思想家の
話もでてくるのでほぼお手上げだ。

だが、おかげさまで、
ダンテの教養を通じて、西洋人がキリスト教の思想を
どう理解していたかはよくわかる。
結局、西洋人の考えること、しゃべること、表現し造るものは
ギリシャ思想、ヘブライ思想、キリスト教の習合であり、
さらには、中世生成発展し、支配してきた神学と
そのアンチテーゼとしての科学的思考の広がりと展開の
とても複雑な混合物なのだ。

それは、あたかも
とても上質で手間のかかった複雑な風味で
芳醇な赤ワインのような味わいなのであろう、きっと。
それが、彼らの造るもの
色合い、詩歌、小説、建造物、音楽、オペラ、服装・・・
すべてに表現されているわけだと納得した。

神曲の天国篇は、そうしたダンテの教養発露の独断場であって、
そこには、遠くギリシャの神話の主役たち、哲学者、
アウグスチヌスやトマスなどの巨星のごとき神学者たち
新旧聖書に登場する、人類の父祖たち、預言者たち、救世主たち、
そして、神と子(キリスト)と聖霊、聖母
こうした聖なる存在が、光というイメージで
神々しく表現される、神曲、後半のすこぶる長い白眉、
筆が冴えわたるのである。

ダンテは、ベアトリーチェの言葉を借りてこう言う。
「お前の承知のように、五官に信を置く理性は
 短い翼しかもっていないのです」 と。
そのとおりである。

しかし、そこでは自然科学の研究発達の精神も語られる。
「実験こそ人間の学芸の流れの変わらぬ泉なのです」
これは今でもわれわれの経営の成功の基本姿勢であるが。

だが、結局は理性に限界がある以上、神への信仰、帰依が必要なのだろう。
そして、それは神から与えられた精神の自由な発露でかなえられるものだ。
「もしおまえが請願を立てれば
 神は必ずやそれをお受けになるでしょう。
 なぜかといえば神と人の間で契りが結ばれる際には、
 いま述べたような、〔意志の自由の〕贈物が、
 自発的に、犠牲に供されるからです。」
神への人々の供え物には、そうした意味の側面もあるのだ。

ベアトリーチェはさらに続けてこう言う。
「脳裏に刻みつけなさい。理解しても
 頭に留めておかなければ、学問とはなりません。」
 耳の痛いはなしだ。記憶するという作業がないと学びに意味はないのだ。
 そりゃそうだろう。だが私のような老体には厳しい作業でもある。

「あらゆる秤の平衡を
 狂わしてしまうほどの価値の重みのあるものは
 他の何事によっても償いはつきません。」
きびしいことばである。

「神は、自分から赦しを与え給うのみか、
 人間が再び身を起こすことのできるよう
 心寛(ひろ)やかに自分自身をお与えになりました。
 (キリストとして地上に降りて、自ら人類のために十字架に登ったことをいう)
 神の子が自らを卑(ひく)くして肉体と化し給うことのないかぎりは
 他のいかなる手段をもってしても
 正義を果たすことは不可能だったのです。」

キリスト教では、三位一体説といって
神とキリストと聖霊は、一つの存在の異なる位格だと説明される。
原初の力とは父なる神、わが子とは言葉、愛とは聖霊である。
それが三位格の関係だと謳われている。

そして存在はこう定義される。
「死なないものも死にうるものも
 所詮われわれの主が愛によって
 生み出す観念の〔反射の〕輝きにほかならない。
ここに、キリスト教の世界観が簡潔に示される。
われわれにとって永遠の謎である、生・存在についての
優れたひとつの解釈がここにある。

つまり世界を支配している一貫した本質は愛なのである。
それはあくまでも父なる神の恩寵なのである。

そしてわれわれは信仰に至る。
「信仰とは望みの実態であって
 まだ見ぬものの論証であります。」
と、ダンテは、天国篇第24歌で、ペテロからの、
よきキリスト者としての信仰とはなにか
の審問に対して、見事に答えている。

さらに、その認識はどうして得たのかと訊かれて
「旧新二枚の羊皮紙の上に
惜しみなく降りそそぐ
聖霊の慈雨は
私に鮮やかに真理を示してくれました。」
旧新二枚の羊皮紙とは、聖書のことである。

そして、希望とは
「希望とは未来の栄光を
 疑念をさしはさまずに待つことで、その期待は
 神の恩寵と人間のその時までの功徳とに由来します。」
と答えている。
愛と徳に基づいた、生き方が求められるのである。

「恩寵は神にたいする愛情の大いさに従って
 その功徳として授けられるのです。
 その点、疑問をさしはさむ余地はまったくありません。」
ベアトリーチェの口を借りたダンテはこういい切る。

ダンテの詩人の魂はこう発露し、頂点までに高まる。
「ああ至高の光よ、人間の観念の極限を越えて
 高く昇る光よ。私が仰ぎ見た御姿の一端なりとも
 また私の記憶に授けてくださらぬものか。
 あなたの栄光のたてい一閃の光なりとも
 未来の民に語りつぐだけの力を
 私の舌に授けてくださらぬものか。
 私の記憶の御姿が少しでも戻るならば、
 この詩句に少しでも鳴り響くならば、
 あたなの栄光はさらに広く世に伝わるのだ。」

「私の空想の力もこの高みには達しかねた。
 だが愛ははや私の願いや私の意(こころ)を
 均しく回る車のように、動かしていた。
 太陽やもろもろの星を動かす愛であった。」

ダンテの壮大なこの世とあの世、存在と本質を体験する旅は終わった。

コンサルティングに強い経営エンジン研究
所/税理士法人小笠原事務所
大阪 小笠原 でした。


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